ジャン・ヴァール『イギリスとアメリカにおける多元論哲学』(途中まで)

第一巻 イギリスとアメリカの一元論

 

 イギリスの大学教育が、ドイツ形而上学の観念論的一元論の影響下に入ったのは、影響そのものは十九世紀の初頭から感じられてきたが、主に1870年以降である。コールリッジはシェリングに従い、「奇跡的な全者」、「万物を創造する」精神、理性と想像力によって捉えられる統合、神の内では無になる人間の魂を歌った。ド・クインシーはカントとヘルダーを研究した。後に、カーライルはイギリスの若者に、「ゲーテをひもとく」ことを助言し、ドイツ哲学の不可分な性質を黙って讃仰するよう勧めた。


 ドイツの観念はーー最初は詩人や作家によって採用されたがーー次第に哲学者たちの仲間にも地歩を占めていった。ケアードはカーライルの後継者となった。スターリングは、不規則で曖昧な文体で二巻にわたってヘーゲル称讃を歌い上げた。この著者によると、ヘーゲル主義だけが、バックルとその友人たちが進んだ超越論の趨勢に対する反動にうまく対抗することができる。理性だけがイギリスにキリスト教を取り戻すことができる。彼はただひとつの必然性、永遠なるかくあるべき姿を信じ、その信念を次のようにまとめた。

 

「ひとつの絶対的な比率が全体であり、
その唯一の関係、その相関物は
  同時に無数のものからなるとともに
  統一されーー有限であり無限であるーー
  物質と精神ーー被造物とその神。」

 

 スターリングの影響は確かなものだった。グリーンは『ヘーゲルの秘密』をドイツ哲学の発展を真に、また完全に解説したものとして推薦した。アメリカでもまた、ハリスがスターリングを「思弁的な思考を習得することが不可欠だという多大なる信念を哲学の学生に目覚めさせる力をもった」作家だと語った。


 ギリシャ学者であるジョウェットは、ミルの経験論や「スペンサー流の一元論」と戦って成功を収められる哲学の観念を数人のものに吹き込んだ。


 1874年と1875年に、T.H.グリーンとその友人たちは唯物論的一元論と観念論的一元論を対比した。グリーンは主として、どんな些細な知覚にも考える主体の統一があること、もっとも小さな生物にも普遍的意識の統一があることを示すことに関心があった。ある事実が与えられると、彼はそれが一部であるような全体との関わりでのみ見ることができた。彼においては、全体性の必要と感覚とがまさに宣言されていた。彼は事物間の関係を、主体の存在、それらの関係のあいだにある精神的結びつきなしに考えることはできなかった。あらゆる観念は全体との関わりで思い描かれる。


 哲学に冠する書物、雑誌、定期刊行物、『精神科学ジャーナル』でさえ当時はヘーゲル的観念が詰め込まれていた。それらの観念の助けによって、形而上学における懐疑論、心理学における連想説、道徳における功利主義をのり越えることが可能だと希望されていた。1897年ユーケンがイギリスについて語ったように、「ますます、ヘーゲルの体系は、懐疑主義、二元論、ユニテリアン主義と戦うための包括的な体制を必要とするものの集結地となっていった。」


 形而上学、道徳、宗教において必要なものはすべて、新カント派、新ヘーゲル派の哲学が救いだしてくれているように思えた。


 しかしながら、すぐに、宗教的必要のもとに発展してきた一元論は、ある種の哲学者によって、宗教の否定と見なされることになった。超越されねばならない思考の一段階とブラッドリーに見なされたのは宗教ではないのか、と彼らはいった。一元論者は、宇宙は全能の道徳的個人の統治のもとにあると見なすべきではないといわなかったか。


 かくして一元論は変容をこうむったように思えた。その第一の側面においてはーーグリーンとその友人たちや教え子たちが解釈したようにーー哲学を絶対的思考のある種の段階に還元するようなことはなかった。ジョウェットはそこに人間と神性とのあいだの「調和のとれた比率」を望んだ。ジョーンズとハルダーンは絶対を個的なもの、あるいは個的なものの集まりと考え、ときにその哲学はヘーゲルよりはロッツェに近かった。全体的に、彼らは一者を思考するものにおける絶対、信仰者における神と見なしたコールリッジに忠実でいた。彼らの絶対主義は懐疑論と、ある程度はまたスピノザ主義に対立するものだった。(1)それは有神論的な傾向をもつ絶対主義だった。しかし、数年後には、ある教義、プラグマティスト、多元論者があらわれ、宗教的思考の名のもとにーーごく自然にまた単純に魂を信じるという意味での宗教的思考であるがーー絶対主義者の観念に対して武器を取った。プラグマティストは、それらが凋れていくドグマとより一層凋れた懐疑論、刻み込まれた楽観論と治癒しがたい悲観論を含んでいることを示した。一言で言うと、それらはまさしく宗教と信仰の否定でできあがっている。

 

(1)ネトルシップは「私のスピノザ主義者としての日々は終わりを告げたと思った」と書いた。『哲学講義』p.xlvii

 

 ブラッドリーは観念論的一元論に新たな形を与えたように思われた。出発点においては、純粋にヘーゲル流に思われる観念を打ちだしていたが、『論理学』(1883年)そしてとりわけ『現象と実在』において、いずれにしろはじめて先行する新ヘーゲル派の教義とは明らかにまったく異なる一元論と絶対主義の形を提示した。


 ブラッドリーの形而上学が向かおうとする絶対的実在の観念、その出発点となる経験の観念、採用する方法の観念は、古代のソフィストの考えとともに、スピノザの『エチカ』、ヒュームの『人性論』ヘーゲルの『論理学』に見いだされる。にもかかわらず、すべての教義はその体系において変貌し、変容され、包括的で正確になり、知りえぬもののなかに深く潜り込んでいるところが豊富にある。あるときはジェームズの考えに近づいているとも感じるし、ヘーゲルに近づいていると感じるときもある。信仰と経験、全体性と多様性、プラグマティスムと反プラグマティスム、超越と内在がこの観念には混合しているように見える。妥協することのない絶対主義との結合、経験と個別な事実への熱望がこの哲学の難解さと独創性を形づくっているが、その深遠さは否定しがたい。


 ブラッドリーには多様な傾向の観念の影響が見いだされるが、我々はその教義の道筋を見失い、根本的な概念を無視しないようにしなければならない。我々は多元論者たちによっていかにそれが非難されたか理解するためにも、またその教えを正しく解釈することにどんな労力が必要とされるかみるためにも、それを簡潔に述べてみよう。我々の研究では特に『現象と実在』を用い、暫時『真理と実在についてのエッセイ』についても言及することにする。


 『現象と実在』の第一部において、ブラッドリーは、我々が一般的に用いている概念が経験をどのように扱い、どのように区別をし、全体を形づくるのかを示し、それが最終的には理性にとって不満足なものであり、矛盾に満ちており、結果的に現象しかもたらさないとしている。一次性質と二次性質の、実体と形容するものとの違い、諸関係と諸性質の、時間と空間の、因果性と活動性の、事物と自己の、身体と魂についての考えはすべて批判される。


 いたるところで我々は事物と用語とがばらばらになり、諸関係が生じると関係そのものが無益に自らの項を探し求め、我々の把握を逃れ去る。


 事物を関係と性質に分離しようという幻影はその他すべての幻影の起源である。それが実在を理解できないものにしている。というのも、一方において、性質は区別と関係によってのみ存在するものであるゆえに、性質は関係なしでは何ものでもないからである。また、他方において、我々が関係の観念を認めるなら、性質は理解し得ないものとなる。その上、性質は条件としてとともに関係の結果としてもあらわれる。この二重の肯定は矛盾である。


 「関係的な」思考は我々に現象を与えてくれることができるだけでーー真理ではない。実際には、折衷が取られ、分離すべきでないものが分離される。ブラッドリーがいうには、彼が却けるのは、感情と対象の、あるいは欲望と対象の、あるいは思考と対象の、あるいはなんであれ実際にそうであるものとそれ以外のなにかの分離である。


 こうした批判はすべて、それゆえに、関係が内的であるという観念に基づいている。項から離れたいかなる関係も幻影である。「AとBとの関係は、実際にそれらの項の内部にある実体的な根底を含んでいる。」結果的に、関係のあるものを含む全体性は至るところにあるに違いない。


 かくして関係が外的だという観念は我々の行動に必要な相関的な見地でしかない。「内的関係」と「外的関係」とに絶対的な相違はない。純粋に外的なものを認めることは実在についての我々の無知を示すだけである。一方において空間における位置が、他方において比較が、項を変化させない関係を与えてくれるとされるだろうか。これはブラッドリーが『現象と実在』の補遺で十分研究している問題である。二つの項の関係が項とはなんの関係もないならば、それらを変更するにはなにをもってすればいいのだろうか。もしそれが項に外的なものならば、いかにしてそれらは適用されるといえるのだろうか。もし我々が本当に判断を創造するもののであるならば、判断は純粋に任意なものとなるのではないか。根底において、事物の外側にある真理とはなんであろうか。外的な関係は実在ではあり得ない。全体性の内部にあるのではないならば、同一性も類似も存在しないだろう、とブラッドリーは言う。結果的に、もし全体性が異なったとしても、もし新たな総合が創造されたとしても、項がこの新たな全体性にあるという事実そのものによって、項は異なったものとなるに違いない。


 空間的な関係を見ることにしよう。項がそれらのあいだに存在する関係を変化させるのはなぜであるのか理由など存在しないことを我々は認めることになるのではないだろうか。もしそうなら、我々は純粋に非合理的な過程を認めていることになる。実際とは異なる空間の点をあらわすことはそれらが実際とは異なることとすることである。ブラッドリーはライプニッツが空間について認めたのと同じ結論に、同じ理由で達している。空間は一つの抽象であり、純粋に空間的なものなど存在せず、外的なあらわれはここでは我々が現象しか有していないことを示す兆候でしかない。「AとBが同時期にあらわれるなんらかの理由があるに違いない。」彼はまた偶然のようなものは存在せず、すべてが決定されているという同じような一般的断言に達している。


 それゆえ、ブラッドリーは二つの理論を拒絶することができる。一方は現象そのもの、他方は実体そのものの理論。現象主義と実体主義である。


 我々が現象を批判する理由は、我々がある確かな基準を用い、我々内部の合理的な必要を満足させていることは確かだからである。もし我々が異なった概念を自己矛盾するために、あるいは互いに矛盾するために不満足なものと判断するなら、それは究極的な実在には非矛盾的な性格があるという観念によっている。それゆえ、我々はいたるところに絶対的実在の証拠が明らかであると言うことができる。


 この基準を否定したり疑ったりしても無益である。我々の否定や疑いそのものがその重要性を肯定している。実在は首尾一貫したものである。この一貫性は調和、包括性によって示されるだろう。調和と包括性は、実際には、互いに含み合う観念である。なんであれ絶対的に一貫しないものだけが内的に矛盾するに違いない。


 あらゆる関係は統一の基礎を含み、外的な関係は本質的に矛盾したものであるために、実在は一貫し、個的で、唯一無比にして全体的なものである。


 もし統一が出発点において存在しないなら、決してそれは到達されることはないし、経験と知識は不可能となろう。我々が事物を知るという事実によって、ただひとつの実在が存在する。「宇宙が複数だと想定すると」というのは自己矛盾している。根底においてそれがひとつであることを想定するべきなのだ。多くのヘーゲル流派に愛された定式、「一者のなかの多数」は捨て去られる。


 実在は経験である(感覚し―知覚する経験)。加えてそれには余剰の快楽が含まれているに違いない。一方において、絶対のなかでは満足されない欲望は存在し得ない。他方において、絶対は我々の本性全体を満足させねばならない。我々の本性全体を満足させないような結果は完全ではない。我々の主要な必要はすべて満足されられるに違いない。」


 かくして、第一に、我々の主要な概念が実際的な折衷でしかないという意味では、プラグマティストであり――ブラッドリーもまた、我々が絶対について形づくる観念が我々の本性全体を満足させなければならないという意味ではプラグマティストである。


 しかしながら、ある点では留保が必要である。我々の満足が完全なものでありうると想像してはならない。「我々が欲望するものをすべて満たし、欲望した通りであるいかなる理由もない。」


 しかし、つながりのことを語るなら、絶対と我々が批判してきた観念とのあいだにはどんなつながりがあるのだろうか。第二巻の第一章から次第に、ブラッドリーの考えが明らかになってくる、現象は間違いなく人間的な価値を持っている。それだけではなく、現象は存在し、「実在」に属している。現象のなかに、我々は実在の本質的な性質を発見することができる。他方において、現象の外側に実在は存在しない。現象なしには、実在は不確定であり、実在の内部でなければ現象はどこにあるのだろうか。かくして現象の実在が存在する。まず現象はいかようにか存在するからであり、絶対は関係的なものと同じくらい豊かであるに違いないからである。実在の世界は、ボサンケットがいうように、現象そのものの世界である。


 現象の実在は現象を変容することによってのみ得られないことは間違いなく、というのももしそうしたように考えられるなら、矛盾を含むだろうからである。なにものもそれ自体において実在ではない。しかし、他方において、絶対においては何ものも失われず、そこではすべてが変容し、この変容によって新たな意味が想定される。特殊な統一がないところでは、どんな差異も消え去りはしない。そうした差異と不調和が絶対の豊かな富を形成する。


 有限な中心がそれを超えたところに引きずられるのが直截的経験であり、そうした現象のなかで、絶対の現前が意識される。それゆえ、我々はここではじめて出発点、人間の思考の方法と方向を定めることができ、「有限な中心」の理論から出発するのである。直接的経験の研究において、ブラッドリーは、ジェイムズやベルグソンと同じく根底的な反知性主義をあらわしている。彼が最初にくるものと見なしているのは区別を欠いた経験である感じであり、そこで存在と知ることはひとつであり、無限に多様でもある。この知覚された実体が生の統一を形づくる。自己と世界の背後、項と関係の背後には、その対象の名は与えられていない知覚された事物の不定型な塊がある。また、対象と主体とのあいだには、最終的にはなんの関係も存在しない。対象の前にある主体の存在は事実であり、名状し難く説明しがたい事実である。絶対が有限な中心のなかに、またそれに対してあらわれる事実であり、それらが単一の経験に結びつけられる。その上、ブラッドリーが有限な中心で意味するものは、自己でもなければ魂でもない。というのも、自己や魂は自己と対立する非自己、実体と異なる現象と同じくそれ以前やそれ以後の他なるものを想定するからである。私の自己と魂は、いかなる意味でも対象になり得ることのないもの、実在と結びついた経験の有限な中心に依存している。それ自体の経験とは、同時に宇宙の経験である。有限な中心とは、それ自体において、全世界である。時間のなかにはなく、現前している。他の対象と対照されるものではなく、すべてである。


 この直接的な経験には、最初は共通の含意、存在と内容あるいは性格、我々があれとなにと呼べるものとの完全な統一があるように思える。しかしながら、直接的な経験の諸事実は、『真理と実在についてのエッセイ』でブラッドリーがいうところでは、それらもまた現象であるために受け入れがたい。つまり、それらを観察すると、性格がその存在の地位を奪い、性格と存在との適合が欠けている。観念的には事物はそれ自体を超える。事物は変化するという意味で観念的であり、その変化は次々に異なった性格が想定されることに存している。


 直接的経験のなかで最初は互いに含み合っていたあれとなにとを本質的に区別することに思考は存する。それは観念的であり、この運動を続けていき、すべての運動自体が観念性であり、つまりは、存在と性格を分離し、新たななにをもったあれを想定することにあるので、この観念性は世界に内在している。


 真理へ向かう思考の絶え間のない努力は主語と述語、あれとなにを等価にしようとする意志であり、事物をそれ自体と結びつけ、項のあいだにあるつながりの内的な根本を探ろうとすることにある。全体性、事実と性質のあいだの結合を再構築しようとする。破壊によってのみ、観念による分離によってのみ、我々はこうした具体的知識に近づくことができる。それが哲学の仕事となろう。ここで我々は合理的思考が直接的総合と絶対的総合のあいだに位置を占めることを理解する。


 かくして、直接的経験は超越される。最初から超越的見方はそれ自体を超越しており、それ自体を超えた世界を含んでいた。しかしながら、別の意味で言うと、それは超越する発展を含み、それを判断するので、決して超越されることのないものである。分析を可能にし、最終的には分析を判断するのはこの分析不可能な背景である。まさしく、ブラッドリーの弁証法の力は、特に『現象と実在』では、非矛盾の原則と全体性の観念にある。しかし、『エッセイ』では、むしろ初源的な経験そのものが調和的であり包括的で、多数的でも統一的でもあり、我々のうちに全体性の観念を喚起し、もたらす。そこで我々は合理的思考では再構築することができない、合理的思考では無視できない多数性の結合を見いだす。


 神あるいは絶対は「私のある状態でもある」というブラッドリーが汎心論を公言しないことには正当性がある。あれは思考の外部である。思考は実在全体を含みはしない。思考は常に別のものとともに見いだされ、思考に外的なその項の存在は無限の全体へ向かう主体の努力によって、知覚の直接的な性格によって、あれとなにとの分断を欠いた知覚によってあらわにされる。結果的に、思考は対象を完全に吸収することはできず、常に思考以上のなにかを前にしている。


 実在とは、それゆえ、思考以上の何ものかであり、ある意味では思考である。思考は本質的にそれ自体を更新しようとし、観念性は世界の原動力である。つまり、実在はそれ自体を実現するために思考を利用している。かくして、ブラッドリーに従えば、観念論と実在論は調停しうる。判断はそれが達することができる以上のより高次の「直接性」の形式を探し求め、この思考の努力は何ものにも行き着くことはできず、それというのも行き着いたなら、我々は思考の領域を去りーー真理以上のーー実在そのものに行き着くはずだからである。観念は決して首尾一貫することはなく、常にそれ自体の否定であろう。ある述語がどのように主語に適用されるか、世界がいかにして一にして多様であるのか。それらは我々が解決することのできない問題である。


 かくして、主語と述語が同一でない限り、思考は目標に到達しないが、到達すれば、項と関係は存在することをやめるだろう。主語と述語は互いに同一化すべきであるとともにそれが不可能でもある。


 諸関係の世界は不適切なものであり続け、本質的に初源的な実在の間違った表現である理由はこうしたものである。我々は思考の発展、批判されてきた諸関係に立ち戻ることができる。それは妥協の産物であり、思考は世界における多数性と統一の双方の性格を調停し、調和させるが、しかしながら、この妥協は決して十分に満足のいくものとはなり得ない。


 初源的な実在とは関係以下のものであり、究極的な実在とは関係以上のものである。諸関係は非関係的な統一の矛盾した表現のために必要である。もし我々がそれらを外的なものと考えるなら、我々は経験の直接的な統一を否定しており、我々はそれを完全に内的なものと考えることもできない。


 主語と属性を分離することや統合すること、残りの宇宙から分離することはそれらを非条件的なものと提示することであり、多様な条件を含み、判断は不適切な思考のかたちとなる。我々の感じや感覚、そして知性を同様に満足させる思考の形は、判断や知性を超えたどこかに見いださねばならない。


 そこで我々は再び絶対の観念に行きつくことになり、そこでは思考はいかなる矛盾もなしに、「他者」を見いだし、それぞれの要素が自己実現に達すると同時に他の要素と混じり合う。


 間違いなく我々は十分に絶対の存在を実現することはできないが、いずれにしろ批判されてきた感じや関係の使い方、善や美の観念の、我々が一なる実在に近づくことを可能にする実在の程度を知ることができる。


 差異は消え去らないが、すべて変容された後に全体のなかに含まれる。ブラッドリーが言うところによれば、それぞれの要素はその特殊な要素を保つことができる。特殊を吸収する経験のなかにおいて、特殊なものはその個別の意識を保持することができる。


 我々は常に絶対に立ち戻る。しかし、ある種の問題が我々の前にあらわれざるを得ない。第一に、誤りや悪はどうして絶対のなかに含まれることがあり得ようか。そして、「ここ」であるとか「私のもの」であるとか、自然、身体、魂などの個別の限定はいかにしてそこに属することができるのか。一般的な方法では、我々は宇宙がそうした限定した存在の特徴をどのようにして、またなぜもつにいたるのか証明することはできない。どのように絶対のなかに関係的な形式が含まれるのか理解できない。しかし、我々が示すことができるのは――それで十分であろうことは――そうした特殊な限定が矛盾しないことであり、その富を増すことである。可能であり、一般的な原理によって我々が知らざるを得ないことは、そうであるはずであり、必然的にそうである。ここでは、可能性が実在を証明するのに十分である。


 ブラッドリーは、誤りが部分的な真理であり、絶対的な完璧性と矛盾しないことを肯定する。こうした部分的真理は、異なる諸個人の関心にとって必要なものではないのではないか。


 悪の問題を解決しようとして、ブラッドリーは苦しみ、失敗、道徳的悪を区別する。苦しみについていえば、僅かな苦しみはより大きな快楽に飲み込まれることを我々は頻繁に観察する。もし我々が宇宙に快楽の剰余を考えることができるなら、そうすべきである。世界には快楽よりも苦しみの方が大きい――非常に議論のある点だが――ことを認めるとしても、この世界は全宇宙のほんの小さな部分に過ぎない。さて、我々は宇宙全体に関して、そうであり得、同時にそうであるべきであり、実際にそうである、知ることを余儀なくさせるある原理をもっている。失敗としての悪については、我々が達する結果は、もしそれをより大きな全体のなかで見るなら、もはや失敗とはみなしえないだろう。道徳的悪の問題を扱うには、道徳性としての道徳性は絶対に帰するべきではない。道徳的悪は道徳的経験のなかにのみ存在し、この経験は本質的に非常に不整合なものである。人間のより高次の目的は道徳性を越えている。そして、悪はより広範囲な善のなかで役割を果たしている。


 否定的な問題の後に――誤りや悪の問題を意味するが――特殊についての問題に取り組むなら、我々は空間的時間的現象を前にしていることを見いだすことになる。しかし時間は、ある程度なにかしら永遠なものを仮定し、科学は時間の外部にあるなんらかの実在を造りあげることに腐心し、連想や記憶は時間を否定している。我々は時間が自らを超越しようと努めており、永遠へと向かおうとし、空間はより合理的でより統一された知覚の場に自らを失うところを見せられる。我々には時間を単一の継起と考えるいかなる根拠もない。時間的諸系列が互いに時間的関係をもっていないかもしれない。我々は単一の時間を打ち立て、それを真の時間と呼ぶが、我々自身の同一性から出発し、想像力の創造を無視し、我々が知らないあらゆる現象の系列を無視した上でのことである。時間の方向、過去と未来の区別は我々の特殊な経験に依存している。この関連において我々がなにかを肯定できる限りにおいては、互いになんら時間的接着のない時間的系列の集まりが絶対のなかには存在するのかもしれない。それらの間を結びつけるものはまったく時間的なものではないかもしれない。ブラッドリーは同じような観察を空間の性質についてもしている。空間のなかには関係のない無限の物質的世界が存在するかもしれないし、自然は私の身体と関わりがある限りにおいてだけ延長のある世界である。


 かくして我々は、時間と空間が依存すると見なされるこれと私のものという現象を検証するよう促される。両者は双方とも肯定的側面と否定的側面をもっている。その肯定的な側面とは、すなわち、これと私のものは単純な感じであり、絶対と矛盾しない。真実のところ、我々はなぜ経験が有限な中心の内部に位置づけられねばならないかを説明することはできない。我々が確実にできるのは、宇宙の内部に見いだすあらゆる区別や差異は宇宙をより豊かなものにすることに寄与しうるだけだということである。しかし、これと私のものは否定としてもあらわれる。さて、ブラッドリーが言うには、否定とは誤った現象でしかあり得ず、それというのも、あらゆる否定は何ものかに関する限定だからである。すでに見たように、あらゆる外的関係は自己矛盾である。これら私のものとこことの関係の相互に排除する性格でさえ、それらを含む統合の観念を含んでおり、すなわち、それらを通じて私のものとこことはそれら自身とは違う、それを越えたなにかに関係する。その背反する性格は、かくして、包括的な絶対のなかにそれらが必然的に吸収される証拠である。〈これ〉は本質的にそれ自体を超越している。無それ自体は「対立し」、融合を拒むとブラッドリーは『現象と実在』の補遺で述べている。〈これ〉と〈私のもの〉は形式と物質をもっているように見える。しかし、それらを性格づける人格を燃やし尽くす形式は、「中心的な火との結合」から来ている。その物質は、単にある文脈から他の文脈へと継起するものではなく、統合しようとする我々の失敗から来ている。それは本質的に偶然である。絶対の観念を批判しようとしてこうした否定的性格に頼ることは、我々の無知という単純な事実を肯定的な反論に変えるものである。実在では〈私のもの〉や〈これ〉に属するように見えるすべてがより大きな全体の一要素となることができ、我々の心的生活は、実際には、あれこれのデータがあらわれるがそれだけで十分にそれを有しているわけではないそうした性格を連想や一般化によって明らかにすることで、この種の特殊なものを超えようとする努力に存している。


 絶対を除けば個的なものはなにも残らない。絶対には有り余る豊かさがある。区別されるものすべてを含み、それでもなおそれらより高くに存在している。それは人格的なものだろうか。確かに。すべてを、個人的なものを含むのでそれはなにかそれ以上のものであり、個的なもの以外の多くのものがある。「それを人格的と呼ぶことは、それが道徳的かどうか探求することくらい不条理なことだろう。」絶対は時間を超え、個的なものを超えている。


 ところで、我々は一側面が誤りであり、他の側面が真であると見なすべきではない。誤りも真理も絶対ではない。かくしてブラッドリーは、真理あるいは実在の程度という教義にたどり着く。二つの現象が与えられたとき、より包括的で調和のとれたものがより真理であり、それらの低いものが変化を必要とするだろう。


 我々にもっとも豊富なもっとも具体的な実在の概念を与えてくれるのは精神である。実在は精神的である。事物が精神的であればあるほど、より真の実在になる。


 かくして、あらゆる現象は事実上実在に影響を与えているといえるかもしれない。実在は抽象ではなく、現象のただ中にあらわれるものである。それがすべての真なる哲学の中心における二つの主張である。


 『真理と実在についてのエッセイ』で、ブラッドリーは、以前にした自分の教義と具体的な実在とを同化しようとする以上のことをしており、その具体的な価値を示そうとしている。我々各々の経験においてさえ、全体は部分的に達せられるもので、絶対的な実在に真に達するためにはある種我々の感覚が知覚し得ないものを得なければならないのは間違いない。


 あらゆるものが内在的で超越している。一方において、我々の全知識と実在そのものは超越を含んでいる。私は「超えた」ものである限りにおいて存在している。他方において、宇宙の内部に分離はなく、神を含め絶対の真の現前は有限な中心で感じられ、経験される。


 現象は、その有限性のなかで、有限を超えさせるなにものかを現前しているように我々には思える。かくして、現象を構成しているのは絶対である。ある意味において、絶対的実在は与えられた事実である。それを見いだすために、事実を超越する必要はない。我々は絶対にとどまり、より実在的な形式に進むために、あらわれのより低い形式を超越する。しかし、最初の瞬間から、有限な中心は超越されている。最初の瞬間から、それは宇宙とともにある。


 ブラッドリーはそのエッセイを、観念が実現するために通る有限な条件の重要性を肯定することで結論としている。この点について、彼の考えはボサンクエットと衝突する。彼が言うには、神、美、真のあるは不死の楽天がここにあり、有限な存在はどこにいようとこの高次の生に引き上げられるのであり、それには実在に目覚めるだけで充分である。「老人の弱さのせいかどうかわからないが、子供の頃に讃仰し愛していた詩が文字通りの真実とますますなり始めている。」


 同時に、彼は哲学的思考の努力がなんであるべきかについてより強く主張しており、それは矛盾に思われる観念を同時に保持することにある。人間は、同時に、完璧な善が存在し、善に従って企てた行動以上に強いものはなく、その二つの信念が結びつき合っていることもある。他方において、私の意志は善はすでに実現されたと考えねばならないだろう。我々は同時に世界のなかでの闘争と神の平安を信じ、二つの観念のどちらかが消え去ったと考えないように努めねばならない。神は我々の内部、それに我々を超えたところに存在するはずである。ブラッドリーは整合性をあまりに熱心に追い求めすぎるとプラグマティズムを非難した。絶対主義、「困難な教義」は時にはそれなしでもやっていけることを教えてくれようとする。哲学とは、恐らく彼にそうであるように、英雄的な哲学である。


 ブラッドリーがいうには、そうした教義は、我々の本性についての主要な関心事を満足させるような適切な知識を与えてくれるが、他方において、我々が知ることのできる限界を超えることは許さない。批評家たちの非難にもかかわらず、我々が幻影の世界のただ中にいることを信じさせるものではない。それは実在の程度についての教義のおかげで、我々がもっとも真で、最も美しく、もっとも善だと考えるものが実際にもっとも真であり、最も美しく、もっとも善で〈ある〉ことを認める。それは実在がいたるところに見られるという超越主義とも、どこにもないと見る不可知論同様に拒絶する。それは異なった程度で、現象のなかにあらわれる実在そのものである。


 ブラッドリーは特殊なもの、正確な事実を崇拝した。彼は経験を、「有限な中心」のなか以外では取って代われないものと見なした。具体的なものに渇いて、彼はカテゴリーや「それらの非物質的なバレー」をもなしで済ませているようだ。彼は知りうるものと実在とを同一視しなかった。そうした命題は、唯物論者の世界のように、世界を冷たい幻影的な現象に変えてしまうだろう。絶対に関しては、それぞれの有限な経験の細部を参照したジェイムズと同じ疑問を自ら投げかけている。「我々はこの体系の具体的な本性についてなにか言うことができるのだろうか。」そして我々はブラッドリーの沈着さと帰納と還元の反転にプラグマティストの理想的な方法の一部をみないだろうか。絶対とそれに関するある種の事物を認めながらも、にもかかわらず彼はそれが真に理解されるとはいうことは拒んだ。


 他方において、人間的要望を満足させるのに必要なあらゆる観念は真であること、価値の点から採用された観念はたとえそれ自体矛盾に思われようとも、なんらかの真理を持っているということでは彼はプラグマティズムに同意する。実際的な必要のためには、理論的な首尾一貫性よりも高いなにかが存在する、と彼は言う。彼の真理についての評価基準はーー自然と実在世界についての分野と同様にーープラグマティズムに密接に接近している。


 ブラッドリーは生はその非劇的な価値すべてを保持するべきだと主張する。我々は彼が特殊な事実を崇拝しているといった。彼の宇宙は、ある意味で、多様性に満ちていえるといえるかもしれない。絶対主義が相対主義へと導かれるように、彼の一元論はある種多元論的主張をすることを許すものだといえるかもしれない。全体が統一や調和だけを優先できるかのように、彼はあらゆる事物を区別、分解し、存在と性質を同様に壊した。プラグマティストは彼らがブラッドリーの「多数化」攻撃と呼ぶものから経験を防御することを知らされていた。ジェイムズは、「ブラッドリー氏の理解力は分離を見分けることにおいてもっとも非凡な力を有しており、結合を把握することにおいて際立った無能力を示している」と宣言されているのを聞いていた。


 ブラッドリーの目には、あらゆるものが緩まり別れている。彼の絶対主義そのものがこうした分離を可能にしている。彼の絶対は事実の無限の塵を支配するだけである。なぜ単一の時間が存在すべきなのか。事物は時間から離れて絶対のなかで結合している。絶対においては方向など存在しないのに、現象の世界ではなぜ多数の方向が存在しないわけがあろう。原因と結果の結合もほどかれるかもしれない。絶対の統一は原因と結果を超えているからである。


 世界を多数化してみよう。「自然は、厳密に言えば、単一の世界ということはできない。」ジェイムズのように、ブラッドリーは「互いに空間的関係のない好きなだけ多くの物理的体系」「不整合な諸世界」お互いに独立し、経験とともに変わる世界を考えていた。我々のこの制限された世界が実際的なあらゆる目的のために受け入れねばならぬものだとしても、夢の世界を非実在だと証明するものはなにもない、と彼は『真理についてのエッセイ』で述べている。性質と諸性質は、時間と空間のようなものとして再現される。


 彼はなぜ世界が同じものであり続けるのか、なぜ「多数の世界で無限の変化」を見せるものであってならぬのか不思議になり、同一性のある種の水準を認めるだけになる。


 疑いなく、彼は自然をかく定義し、絶対の自立性と統合と強く対照されるものだと見なしている。それでもやはり存在はしている。そのようにして、実在の理論の後に現象の理論を組み立てて、彼の議論を逆にたどってみると、彼の先人であるパルメニデスが古代においてしたように、我々は絶対の背後にどんな区別や多様性が保持されているか発見することができる。一にして不変の絶対という観点から見ると、彼はあらゆるものが変化し統一しているとみている。しかし、もし我々が現象のただ中に身を置くなら、我々はいたるところで部分的で断片的なものと接していることになる。ブラッドリー自身が言っている。世界のなかで行動したい人間は有限な人格と時間における事物の継起を信じなければならない、と。もし失敗したなら、彼は全世界が自身とともに打ち壊されると信じねばならない。もし彼が勝利を収めるなら、彼は自信を宇宙の勝利の原因だと感じるだろう。


 だが、ブラッドリーの哲学で多元論者がなににいらだっているのか理解するのは困難なことではない。第一に、この知的な快楽論は折々に思考の緊急性のことしか考えていないようで、そこで出てくるのは関係という観念の否定と絶対のことをなにも知りえないことから不可避的に生じる不可知論であり、あらゆる経験が絶対のなかで変容するだろうという考えであり、最終的には、時間と個人的目的、人間の自由の最終的なものを否定する楽観的な静観主義の一種だと思われるだろう。彼らは我々が教義の教条的な懐疑論と呼んだところを強調している。ブラッドリーが事物の多様性や豊かさを主張した箇所は、その大部分が単なる用語の矛盾だと見なされている。ブラッドリーの哲学における実在と彼の後継者や多くの対立者の目にあらわれるものとの間を区別しなければならない。


 すべての哲学者のなかで、ブラッドリーに最も近いものとしては、ボザンクエットが間違いなくもっとも重要である。


 根本的な概念の同一性にもかかわらず、我々はこの二人の人物の考え方の相違に気づかねばならない。懐疑論はボサンクエットではより発せられることは少ない。我々がすでにブラッドリーにみた実在の程度についての理論に頼り、ボザンクエットは自然、想像力や理性の創造という肯定的な要素を重視した。現象の矛盾した性格は現象のつくりだす錯覚ではない。それは現象を破壊することなく特徴づける。


 現象はひとつの啓示になる。時間は、有限なものが無限なものの一部であり、結果的に全体性として時間の外部にある実在が自己をあらわにしていく事実と分離することができない現象である、とボザンクエットはいう。


 それゆえ、実在はーーブラッドリーのものよりもより具体的でありーーその本性について示唆を与えてくれることが可能である。人間の経験、特にそのもっとも崇高なものは絶対の現前でありあらわれであって、そうした例がその本性、つまりは「世界」を我々に理解できるものにしてくれるだろう。


 ブラッドリーはーー少なくともその教義から受ける第一印象ではーー精神によって行われる分離の仕事を特に主張した。ボザンクエットは理性の統合する活動、「全体性の行動的な形式」、我々を具体的なものから切り離す代わりに、事物に生気を与えより豊かな意味を与えるような思考を重要視した。ブラッドリーとまったく異なった考えを表現しているように思われるある文で、もともとの経験から離れていくことで、我々は決してその直接的で意味深い性格を失うわけではないと語っている。


 芸術作品のなかで我々は、普遍的具体の意味を理解することを可能にしてくれるような例が与えられるのを発見する。「ここでは思考は実在のなかに休らっており、直感的な知性の姿勢を当然のこととしている。」ボサンクエットは我々が十全な経験に帰れるような具体的な思考様式が存在することを主張する。


 同じ具体性の概念に関連するもうひとつの相違は、ボサンクエットに見られる魂の発達に必要な外在性の理論、外在的なものに対するある種の集中、身体が演じる部分の概念、身体と魂に関する大きな対照と和解に関するものである。彼は合併と伝統を、身体と歴史、物質と他の魂の連続性を主張した。


 ボサンクエットとその若い弟子たち――ヨアキム、テイラー――この哲学の論理的存在論的帰結を発達させたが、他のものは、ブラッドレーが捨て去ることに決めた「他のなかの一」「一のなかの他」という図式に頼っていた。『スフィンクスの謎』(1893年)でのシラーの多元論は、根源的な一元論に対して広がった反動の部分をあらわしている。


 一元論ではあるが、「ヘーゲル主義の批判者」に分類される一軍の思想家がいた。この運動の代表者としては、セス兄弟をあげることができる。アンドリュー・セス(プリングル-パティソン)海外から輸入されたヘーゲル主義をスコットランド哲学と対照した。ジェイムズは、「現実を思考へと還元する傾向に反抗する」代表として、『スフィンクスの謎』を『ヘーゲル主義と人格』に比較した。間違いなく、セスは多くの新ヘーゲル的な信念をもっていた。彼は世界の体系を信じ、多元論を否定した。「私は存在論的多元論に対するほんの僅かの疑念に対しても、十分に守備されていると思う。」と彼は書いている。彼の意見によれば、我々の断片的で矛盾した経験を完成させ、それを維持説明するようなあらゆる事物を包含する経験や存在がある。彼は真理は神にだけ属するという考えをブラッドリーと共有していた。彼は自分の新たな意見と以前の概念とのあいだにいかなる衝突も、矛盾も存在しないと宣言していた。どちらにせよ、一元論に可能な道徳的帰結についての考察と、おそらくは多元論の発達に大きな貢献をしたロッツェとルヌヴィエの二つの教義を研究したことによって、アンドリューおよびジェイムズ・セスは彼らの意見を相当に変えた。


 ある点までプラグマティストであったアンドリュー・セスは、ヘーゲルの教えのなかに「麻痺させるような」存在の概念を見ている。それは「我々の最上の基準と矛盾する」。最終的な分析においては、それは非合理的な哲学であり、神性と人間主体双方の実在を破壊する。彼はヘーゲルが個人の具体的な現実を抑圧することを非難した。彼は「世界の過程が時間における真の過程である」ことを肯定した。


 「それぞれの瞬間において、実在する段階はひとつしかない。」神は時間のなかにおり、抽象だけが時間の外部にある。かくして、アンドリュー・セスは、持続と個人の深い実在を信じていたので、自身を多元論に結びつけた。それぞれの自身は、侵入することのできない存在であり、物質的不可侵性は精神のそれの弱いイメージでしかない、と言った。個人はその存在のもっとも深い性質まで下りていっても個人である。


 ジェイムズ・セスは、おそらくは意図的に、究極的な形而上学的概念として人格性を受け入れた。もし我々が意識のすべての要求を全体として認めても、我々は形而上学を完全な全体と見なしてはならない、と彼は主張する。道徳的生の実在は神と見なされる人間の独立を含んでおり、宇宙の一元論的見方よりも多元論的味見方を課するものである。


 かくして、一元論に対する反動が生じ、イギリスとアメリカの哲学雑誌には、一と多についての論争的な論文がかつてないほど満載された。「多元論者の運動は」とリッチーはいっている「セス教授の反ヘーゲル的議論に含まれていたものが、明白な理論としてあらわれただけだろう」と。


 おおよそこの時期に、ジェイムズ・マルチノーの後継者たちが、神、自由、不死性の観念をもとにして倫理的な人格論を発達させた。


 もっとも忠実なヘーゲル派のなかでさえも、個人性の感覚がより明瞭になってきた。ある点において、もっとも非妥協的なブラッドリーの後継者であるテイラーは――部分的にはアメリカ哲学の、特にロイスの影響かもしれないが――いかに経験が一であり多であるかを示した。「全体系が一つの経験を形作り、その構成要素が今度は単純な経験となる。」結果的には、彼の哲学は一元論でも多元論でもない。彼は人間の自由の実在と、人格的生についての神学的カテゴリーが宇宙の最終的な解釈において仮定されることを主張するスタートの傾向に、深い共感を言明した。彼は論理における項の多数性を、我々に自己を、つまりは実体を理解させる心理学的経験を主張した。シラーが頻繁に攻撃したこの哲学は、根底のところでは、多元論的哲学に近しいものだった。


 にもかかわらず、テイラーと一元論者たちは、その根本的なカテゴリーを包含の一種としてみた。むしろ並置によって論を進めたマクタガードは当てはまらなかった。しかしながら、彼はヘーゲル主義の精神に忠実であることを主張した。ヘーゲル思想の注釈者であるとともに解釈者でもある彼は――絶対における多数性の観念を修復しつつ――セスがしたようにヘーゲルを修正するのではなく、彼の哲学についての完全な批判的研究をした。


 正統的なヘーゲル主義から、彼は非人格的な絶対という観念、時間的なあらゆるものは不完全だという観念を保持した。しかしながら、彼は世界の統一はその多様性よりも深い真実だというわけではないとみた。彼は個人性についての鋭い感覚と不死性への強い欲望によって、新ヘーゲル学派の正当から遠くに流されていった。彼の考えでは、この不死性の問題は、結局ジェームズはしばしば僅かの興味を示しただけだったが、頑固に存在するものだった。この問題に対する回答によれば、我々は実在の至上の目的であるか、道具という受動的な状態に還元されるのだった。かくして、この不死性の観念によって彼は、形而上学個人主義に導かれた。ロウス・ディキンソンのような多元論者の影響は、こうした傾向を強調している。


 マクタガードは「差異と多数性の要素は、一般的に信じられているよりもヘーゲル体系のずっと大きな部分をなしている」と主張する。彼が示そうとしているのは、その体系において、世界は魂の社会、精神の集団であり、神性というのは、それらの精神のなかでの一つでしかないということであった。すべての個人は永遠である。精神の社会が存在し、絶対は諸個人において、またそれを通じて生きる。知り、意志し、感じる人格、意識的存在のみが存在しうる。「全体の各部分は完全に個人的なものである」それはロイス同様彼にとっても、全体は完璧な統一だからである。個人は絶対的な実在をもっている。しばしばマクタガードは、個人を規定し、一者に対する知識からすべてについての知識に到達すると考えているのは間違いないようだ。各々の精神の本性は絶対との関係の表現に過ぎないであろう。それぞれの自己は多の自己との関係を通じてのみ存在する。にもかかわらず、ヘーゲル的宇宙はパッチワークの宇宙だというのは本当である。


 『宗教のドグマ』において、マクダガードは、詳細に全能で創造的な神の観念を論じ、神の有する絶対的な力の観念は人格の絶対的個人性に矛盾するだろうと結論している。彼の我々に対する力は制限されており、我々はある程度神に反対することができる。もし神が存在するなら、善の側で戦う有限な人格であり、神の勝利は不可避的なものではない。かくして、マクタガードはここではジェイムズと一致する。彼は多神論の可能性さえ認める。


 これまでそうされてきたように、マクタガードを多元論に含めないとすると、彼は一元論のなかで特殊な位置を占めるに違いない。テイラーとマクタガードの哲学は、新ヘーゲル派の教義のなかで、多様性を含むことができるものとしようという試みにあった。


 しかし、多数性は存在するものの、テイラーとマクタガードの哲学では持続のなかの発展は存在しない。彼らを、特にマクタガードを多元論の教義から隔てているのは、事物や存在の可動性という観念、また、時間の観念の欠如である。


 スコットランド大学で、スコトス・ノヴァンティカ(ローリー教授)が続けた書いたMetaphysica Nova et Vetusta, Etica, Synthetica独自の形而上学体系を発展させた。彼はある種の多元論的一元論をつくりだし、そこでは主語と対象が互いに否定しあい、人間は神に対立し、個人は絶対的な権利を持っている。宇宙には非合理性、不調和、偶然性が存在する。非合理の要素は、神が自らを否定する宇宙的な罪に説明されている。しかしながら、この非合理性の要素なしには、世界は自由とはならないだろう。かくして、神は善の勝利を得るために戦わねばならないが、この否定、この非合理性が世界には強く存在しているため、我々の助けによって神はこの戦いに打ち勝つことができる。彼を忠実に信じ、その働きに協力し、共感を持つことにしよう、というのも我々は仕事においてだけではなく、苦しみにおいても神の仲間でなければならず、我々の悲しみのあいだにも抗しがたい希望への本能を保ち続けるからである。*

 

*似たような理論はサー・オリバー・ロッジの考えにも見いだされる。人間という種を基礎づけ、発達させるには、神性は無限の苦しみに耐えてきたし、いまでも耐えている。しかし、この種族はそれ自らのうちに無限の可能性にあることを知っていなければならない。その努力は宇宙的なものとなる。全世界が苦悩の場となる。

 

 ある種のオックスフォードの哲学者たちと同様、ローリーでは、もはや我々が知覚するような静的な多元論はなく、完璧でなく不完全な世界の感覚があり、世界が救われるには際限のない人間の可能性が必要となる。そこには将来ジェイムズやシラーに見られる多元論的形而上学の奥深い感情がある。

*     *     *     *     *

 大西洋の反対側では、ドイツに発する哲学的観念は、最初は特殊な形をもつものと思われ、超越的論であるとともにユニテリアン的なものだとされた。しかし、チャニング、ヘンリー・ジェイムズ、エマーソンといった哲学者は、みな純粋な一元論者ではなかった。我々は彼らのなかに一元論の肯定とともに、多元論の萌芽を見いだすよう努めねばならないだろう。


 ウィリアム・ジェイムズはドイツ哲学の輸入に疑問をもっていたが、彼の父親は「アングロ-ジャーマン的な精神」をもつものとみられていた。彼の形而上学は「なかばスウェーデンボルグ的で、なかばヘーゲル的」なものだった。彼の息子は個別なものに宗教的な敬意を示していた。ヘンリー・ジェイムズの宗教は普遍的なものへのものだった。普遍的なものは理性によって到達されうる。彼はエマーソンを、知性を軽蔑しているといって非難した。彼にとっては、生のなかには知性に最初にあらわれないものは存在せず、知性によって理解できないような創造も存在しない。知性が感情と結びつき、心と理性が共感によって融合すると、我々は普遍的なものを把握することができる。


 ヘンリー・ジェイムズの教義では、魂と魂、魂と神との融合を妨げる自己、は有害なものでしかあり得ない。神と個人のあいだにはどんな私的な関係もあり得ようはずがない。「自己放棄せよ」というのが彼が教えである。個人の真の本性はそれを普遍化することにある。多からでて一となれ、というのは合衆国とともに自然のモットーでもある。


 すべての事物が独立を失い、他のものとの関係のなかで存在している。存在の見せかけ自体がまったくの幻影である。


 物質的事物は精神的事物の象徴でしかない。哲学は、有限が無限に重なるかぎりにおいて有限を扱う。


 こう考えたとき、世界に自由は存在しうるだろうか。ヘンリー・ジェイムズは自由意志を欠いた自由、「無意志的にかき混ぜられた」緊張のないエネルギー、を信じた。「私が望む生は」と彼は書いた、「自由で、自発的で、制限のない善の生である」と。彼はよりよいものはそれ程よくないものからゆっくりと静かに発展すると考えた。小説家のヘンリー・ジェイムズは、父親の楽観主義を、物事が瞬間ごとに完全に変わり、すぐ前の瞬間には失意し落胆したものが、美しくもなるという隠された可能性を見る力にあったとしている。従って、ヘンリー・ジェイムズにもウィリアム・ジェイムズにも、無限の可能性と終わりなき変化が支配している。しかし、父親の楽観主義が見られたところに、ウィリアム・ジェイムズの場合、行動の自由が努力とおののきと考えられるようなある種の悲観論が生まれている。ヘンリー・ジェイムズは、自由は善ともなれば快楽のうちに邪悪にもなり、どちらも危険で悪魔的なものだと考えていた。しかし、この地獄のなかで、その息子は生きたいと願ったのである。むしろこの危険な世界よりも楽園の方で、あらゆる努力が無意味になるだろう。


 ヘンリー・ジェイムズアメリカにおける宗教の進化に重要な役割を果たした。アメリカは、ある歴史家が書いているように、「天国の門は狭く、救済は少数に限られている」*とされていた初期の移住者のころほどではなかったが、ヘンリー・ジェイムズは、ジョナサン・エドワードが少数の選ばれたものが認められたのちに鎖してしまった天国の門を、大きく解き放った。彼はこうした視野の拡大を行い、ドグマの軽減をなした、と同じ歴史家は述べている。運命の代わりに甘美や自由が支配し、悲観主義が確かな楽観主義に変わった。

 

*バウトミー『アメリカ人の心理学』305,6ページ。

 

 エマーソンは、アメリカ思想の進化において、ヘンリー・ジェイムズよりも重要な位置を占めたといっていい。エマーソンの友人や弟子たちは、昼と夜に、楽しみと悲しみの瞬間に輝きを、音ととりわけ沈黙の背後に、より高いところにある神の魂が表現しようのない統一を、自然のあらゆる現象にある象徴と寓話を通してあらわれる神的な真理を語りかけていることを発見した。彼らは創造はしなくとも、少なくともひとつの特殊な感情を一般化した――現象の無限に神秘的な深遠さ、閃光のなかにあらわれる永続的な奇跡の感覚である。すべては卑俗なものには隠されていて、より高次の魂に参入したものにあらわれる。超越主義は本質的に単一的で、一元的な哲学である。被創造物同士の類似は相違よりも大きい、とエマーソンはいう。自然という究極的な覆いの背後、事物の奥底には、統一がある。それゆえ、それぞれの真理は絶対的なものとしてあらわれ、単一の側面のもとに見られる。「人間の内部には全体の魂、賢明な沈黙、各部分と分子が等しく関係し合った普遍的な美が、永遠の一者がある。」エドガー・アラン・ポーは超越主義者を皮肉に模倣した作品のなかで、「天上にある一者のことを入れよ。忌々しい地獄の二者のことは口にするな。」と書いている。


 民主主義の哲学者であるエマーソンは、民主主義の詩人であるウォルト・ホイットマンに後継者を得、「普遍の唄」と自らいう詩人は、すべてが一者を形づくる歌を歌った。それぞれの人間に彼は人類全体を、全世界を見た。ジェイムズは彼を「国民的な存在論的詩人」と呼んだ。我々は彼の詩から、十九世紀後半が始まろうという時にアメリカの存在論はどんなものだったか、宇宙的統一への信頼がいかに熱烈なものだったかを見る。*

 

*『見本の日々』でヘーゲルは「真の宇宙への献身者あるいは宗教者でありもっとも深遠な哲学者」として考えるべきだと述べられている。

 

 我々はこれらの作家たちの一元論的な傾向を強調してきたが、彼らが行動と多様性の哲学の方向へも野心をいだいていたことを明らかにする必要がある。実際、その外見にもかかわらず、彼らの教義はある意味プラグマティズムに似ている。チャニング、ジェイムズ、エマーソンのような人物は、その哲学を道徳と行動の必然性の上に基礎づけた。彼らの方法は具体的であり、ほとんど実験的であった。最後に、世界を人々の巨大な連合とみる彼らの傾向は、多元論の傾向とある類似性をもつものである。


 チャニングは抽象的な思弁に陥ることを拒んだ。物事は行動する人間の観点から判断されねばならない。結果的に、彼は自己矛盾的に思われるような真理を受け入れ、ジェイムズに見られるのと同じようなやり方で、楽観主義と悲観主義を結びつけざるを得なかった。彼にとって、宗教的生とは孤独なものであり共同のものだった。しかし、同時に、彼は各々の個人的な努力を通じて、集団的な救済のときが訪れると信じていた。


 ヘーゲル哲学に影響はされたが、ヘンリー・ジェイムズは具体的なものに非常に鋭い感覚を持っていた。このことは彼の魂に永続的な葛藤を引き起こしたに違いない。「彼は自分の読者のうちのもっとも実証主義的なものと同じく、抽象を毛嫌いした。公式を表現するやいなやそれを嫌った。」彼にとってヘーゲル的な弁証法は抽象のなかでのみ適正に思われた。「肯定的な精神」はすぐさま真理を認め、その後で多産なこの真理の特殊例を探し出す、と書いている。これはパースの原理ともいうべき公式ではないだろうか。おそらく、彼の息子は自分の考えの起源がどこにあるのか常に意識してはいなかったろうが、真理というのは善の役に立つかぎりにおいて真なのだということ、真理は役に立たねばならないということをヘンリー・ジェイムズから学んだのではないだろうか。ヘンリー・ジェイムズはエマーソンの教えの曖昧な性格を非難した。真理は生から切り離されるべきではない。生そのもののように、それは個人的なものである。「重大な真理が単純にまた純粋に、一つの精神から別の精神に伝わることはない、というのも生だけが真理を検証するからである。生は真理を判断する以上のことをする。真理を明らかにし、生み出すのである。  普遍主義者ではあったが、人間が自らの救済を図り、それだけができることだと教え込むことで、息子の個人主義を発達させることに寄与しなかっただろうか。個人は自足していなければならない。そして、自由は彼が最初に定義した行動のたやすさとはまったく異なるものとしてあらわれる。彼は「誰もが神の生きた精神となることが可能となり」、互いの関係が独立したものとなり、それぞれの人間の自由が「神の輝かしい星と見なされる」ときを祈る。


 いかなるところにも生命があり、いかなるところにも変化がある。彼は、宇宙とは驚くべき変化から成り立っており、次々に起こる出来事というのは、常に出生を否認することであり、完全な豊熟というのは自らの起源を否定することにあると言った。かくして生の観念と矛盾の概念は、ヘンリー・ジェイムズの精神のなかで、ある種ロマン主義的で、ヘーゲル的な仕方で結びついている。同様のことは『多元論的宇宙』にも見いだされる。このたゆまぬ運動を理解するには、この生を学ぶべきではない、というよりか学びを放棄する必要がある。精神的な建築、素晴らしい完成は自然な建設によって達成されるのではなく、むしろ自然の破壊によって成し遂げられる。


 この変化と努力の世界において、個人は互いに助けあわねばならない。ヘンリー・ジェイムズは「人間の友愛」を主張する。その上、彼にとって世界とは人間と神との共同作業の結果であり、自足する神には敬意を払わないだろう。神は同じ仕事で協力する「正直な労働者のように」振る舞うべきだ。


 マーガレット・フラーがエマーソンの教えから霊感を得たように、マリー・テンプルはヘンリー・ジェイムズの理想に忠実であり続けた。彼女はより広い自己のなかに自己を失うことを夢見、個人の努力の価値に、孤独な努力に絶対的な価値を信じた。「最良のことを僅かな可能性のほうが、それほど価値のないことの絶対的な確実性よりいい。」その探求において、彼女は我々の本性のすべてに信頼を置き、すべての人間に理性をもたらそうとした。我々が必要とし切望するのは、神のうちでの調和である。我々がどんな不整合に直面しても、我々がたどらねばならないのがどれほど複雑な迷宮であったとしても、我々はこの世界で解決する希望がある問題については決してあきらめることは許されないだろう。ウィリアム・ジェイムズは生涯を通じてマリー・テンプルについては、感謝と忠誠の念を持ち続けたと認めている。


 同様の理論はエマーソンとその友人たちによってより深く説かれている。個人と瞬間は永遠の一者とかなさり合うために、無限である。瞬間は永遠と同じように、滅することがあり得ず、永遠のように、計り知れない深さを隠している。それがエマーソンの教えのひとつである。「それはまさしくこの世界の哲学である」と賛美者の一人はいい、「いまを包み込む」哲学だとウィリアム・ジェイムズはいった。「個別的な事実を通じて」と彼は語っている、「常に彼には普遍的な理性が輝いていた。」


 もしこのように個人が絶対そのものであり、無限に開かれているなら、各人が自身の規則をつくり、自らの生をつくりだつべきだろう。生の聖なる性格への信念と結びついたこうした非順応的な確信は、ジェイムズがエマーソンの特等と見なしたものである。彼は世界がいまだ新しく、経験されていないものであることを教える。もし我々が新たなヴィジョンをもって探し、他者が語るヴィジョンを聞き、現在の考えを以前の考えと調和させようとするなら、真理を見いだすことになろう。彼が常に持っている観念は実際的な人間としてのものである。ロングフェローのように、彼は「生きた現在を」行動するように忠告する。我々はエマーソンがジェイムズに与えた影響を想像することができる。「こうした崇高なページは、我々若者を鼓舞し、勇気づけてくれた」と彼はいっている。エマーソンは彼に、実在は現在の瞬間であること、現在は決定的なときであること、毎日が審判の日であることを教えている。


 その上、そのそれぞれの瞬間は異なっており、すでに見たように、同一の魂を隠しているが、にもかかわらずそれらは際限のない違いをもって切り離されている。


 エマーソンによって想像された世界では、カーライルの世界のように、善はそれだけでは存在しない。悪もまた存在し、我々はそれに対して戦わなければならない。我々の生は戦いであるべきである。もし我々が打ち負かされたら、それについて何も考えるべきではなく、厳しく絶え間のない努力に信念を据えておくべきだ。ジェイムズのように、エマーソンはこうした人間の努力を世界そのものの努力とみた。「自らの世界を打ち立てよ・・・精神の影響に従って事物に革命が起こるように。」


 人間はこの戦いにおいて結びつくべきである。世界は大学のなかにあるホープデールに比較され、「社会改革の世界的連合」であり、超越主義者たちが出発した生産と消費協働する合資会社であるブルック農場にも比較される。経済法則は、エマーソンにとって道徳法の象徴であった。


 ホイットマンの一元論の背後には多元論が見いだされる。「私が歌うのは自己、単純な異なった人格」。かくして、彼は個人を歌う。「アルゲーニーの住人である私は、彼を彼自らの権利において扱う。」かくして、彼は他者の自己を歌う。「それ自体は滅多にあらわれることのない生命の脈動が押し寄せ・・・」


 彼は人格の形而上学者であるから、人格の歌い手である。個人的な性質以外なにも永続しない。自己は創造的であり、法と価値を創造する。単一の神は存在せず、多数の神がいるので、自己は神である。


 個人の力と世界のおやみない変化。それらが彼の根本的な概念である。世界の発生の衝動さえそうである。時間はひとつの深遠な実在である。「私は時間を絶対的に受け入れる。それだけがすべてを達成し、完成する。この神秘的なめくるめく奇跡はすべてを完成する。」


 勝利はゆっくりと迷っているが、最終的には確かになる。どのような成功が得られようと、そこからは「より大きな戦いが必要となってくる」。「私への呼びかけは戦いの呼びかけである」とホイットマンはいう。「私は活動的な反逆を養う。」世界の地平が広がる。


  「ああ、有害で恐ろしいもの。
   弱々しく敬虔な生から遠く離れたもの。
   証明されないもの。我を忘れているもの。
   停泊所から離れ、自由になったもの。」

 

  「ああ、奇妙なものに対して戦い、たじろぐことのない敵に出会う。
   彼らに全くの一人だけで、どれだけ耐えられるだろう。
   戦い、拷問、牢獄、一般的な汚名に直面して」

 

 彼はまた帆が折れ、嵐のなかにいる男、持ち物も家族も乗せ、美しい冒険心に富んだ男、アメリカ風に法や儀式を軽蔑し、「自然のなかに気安く立つ」男、「非合理的もののただ中にあっても冷静な」男、「信仰に充ち満ちた」男について語っている。「われわれはすすまねばならぬ、友よ、我々は危険な熱さに耐えねばならない」と彼は開拓者たちに叫んだ。

 

  「我々は新たな、力強い、多様な世界に躍り出る。
   新鮮で力強い世界、労働と行進の世界を我々はつかむ
      開拓者よ。おお、開拓者よ。

      固定されたものから切り離され
   切り立った山の際に降り立ち、
   未知の道を征服し、進み、立ち向かい、冒険する
      開拓者よ。おお、開拓者。」


 彼はまた、戦いから生まれた仲間、戦争仲間の友情についても歌っている。


 仲間と個人は互いに対立するものではない、

 

   「自己について、異なった単純な人格について私は歌った
    だがそれは民主主義の言葉であり、大衆の言葉である。」

 

 かくして、我々はチャニング、ヘンリー・ジェイムズ、エマーソン、などの人物に、後に多元論と合致するような教義を見いだす。二度目にドイツの理論がアメリカに侵入した。今度は、コールリッジ、カーライル、コージンなどの採用を経ることなく、直接的にテキストそのものが入ってきた。作家ではなく、大学の教授によってである。ドイツからの移民者、ヘンリー・ブロックマイヤーが絶対主義をアメリカに輸入したのは間違いない。ヘーゲル主義者として彼の周りに集まったのは、ウィリアム・T・ハリスであり、彼はサン・ルイをアメリカにおけるヘーゲル的観念の中心にし、1867年に『思弁哲学ジャーナル』を創設した。アメリカの大学はドイツの大学との関係を絶つことはなかった。後に、ドイツの影響が間接的に、グリーン、ケアード、ボサンクエット、ブラッドリーに感じられるようになった。ジェイムズが語るところでは、スコットランドと並んで、アメリカは絶対主義がもっとも急速に発達した国であり、1904年には、「我々の大学には超越主義のクラスがあり、学生たちの熱狂をあおり立てており、イギリス哲学のクラスは二番手に収まっている」と目撃証言をしている。


 だが、アメリカ哲学の絶対主義は、イギリスの絶対主義ほど徹底してはいない。ロイスの一元論には、アメリカ特有の哲学に対する忠誠と、キリスト教的な解釈の哲学が寛容に入り交じっている。


 ロイスは、フィヒテシェリングヘーゲルに深く影響を受けた。フィヒテの創造的な自己、ヘーゲルの自己、それ自体の観察者としての自我、それらはロイスが表現するように、その生と死の光景に生きている。それらはみな彼の哲学に見いだされるものである。しかし、ドイツの影響のほかに、彼はまた、「パースの見事の宇宙論的エッセイ」、ジェイムズの作品、それにブラウニングの詩にも影響を受けている。


 彼の哲学の主発点は認識論に見られる。彼が一元論である理由は、多様性は統一を背景にしてあらわれるのでなければ、知り得ないからである。しかし、彼の一元論はまた主意説でもあり、個人主義的でさえあり、それというのも、もしそれが個別化されなければ、もしそれが他の経験的内容と代替し得ないような内容をもっていないなら、価値がないからである。「単なる一般性は常に実際的には欠点を意味する」。結果的に、彼は実在であるものは、有限な実在の観念に完全に編み込まれてあらわれ、無限の観念のなかで有限な実在に編み込まれたものだと主張する。


 彼の思考は、明らかに彼がその著作に題した『現代哲学の精神』とは幾分異なった方向に進む。「もし私のそこにある世界が知りうるものであるなら、それはそれ自体において、本質的に心的な世界でなければならない。」外的な世界はある経験の可能性である。さて、経験の可能性は精神だけである。この観念論的な主張から我々は一元論に進むことができる。もし我々がある事物について知るのなら、我々にとってこの事物に似たものを我々の内部に持つだけでは十分ではない。我々はその事物を示そうとしなければならない。どうやって我々にそれが可能なのだろうか。どうやって我々ではないものを心に現前させることができるだろうか。それは不可能である。「対象を示し、それについて主張する――それについて疑い、驚きさえする――より大きな自己、深い人格だけが実際にこの対象をもつことになる。」かくして、名前を探っているとき、我々はすでにそれをもっている。それを知らないのは暫定的な自己のみである。それゆえ、失われた名前や観念を追跡しているとき、私が追っているのは自己そのものである、思考とその対象は結果的により広い思考の一部を形作らねばならない。もっとも深い自己とは真理の全体を知るであろう、また現実に知っているものである。この自己の存在はもっとも確かなものである。真理の観念は私の思考と対象とをともに含んだより広い自己の観念によってのみ理解される。そして、この種の単一の自己だけが存在しうる。というのも、いくつもあるなら、その多数性と関係がある自己の対象とならねばならないからである。前の議論と同じく、この過程においても、同一の観念が見いだされる。主体と対象の、個人と普遍の意味の融合。


 より大きなよい豊かな全体へと際限なく含まれていくことで、意味はより高い意味となり、次第に宇宙的な自己、絶対的な個人性へと近づいていく。しかし、有限な個人性は、絶対性の自己が意識的な自己であるために、無限な自己とともに消え去りはしない。それゆえ、その生命は、自身以外の個人性を知ることにある。「すべてを知るものという考えは」とジェイムズはいう、「もっとも最近の進歩であり、一元論のもっとも洗練された形である。」実際、このような方法で、統一性と多様性は調停しうる。神は意識である。それゆえ、統一であり、全体である。他方において、絶対的な存在は特殊な事実の知識、特殊な事実のより深い意味である。それは諸事実の組み合わせであり、個人性を否定はしないが、把握する。至上の個人は、我々が観念に注意を固定することによって観念を個別化しうるのと同じように、特殊な個人に現実化しうる。「カテドラルが唯一無比のものとしてあらわれうる、存在の全世界がそうではないかもしれないが、このカテドラルのすべての石、アーチ、彫り物は唯一無比であり、宇宙と同じく、すべてがひとつの絶対的意志の表現であり、生命の各断片は神的生命のなかでひとつの位置を有している。」


 神の生命は対照的な生の体系であり、多様性は意味の統一性が影響を与えうる最良の道である。それゆえ、ロイスは多様性を主張する。「この生命―計画の意味によって・・・神的な計画によって融合しようとするにもかかわらず、常に別のものであり続けようとする意図――その魂―実体の所有によって、あるいはもたないことで、私は限定され、自己として創造される。」かくして、個人性はもはや多様性ではなく、対照性として定義される。絶対性の各部分は、残りと可能性として異なる。絶対はこの差異によって豊かにされる。


 差異の生命は不活発なものではない。その本質は意志、意味、目的である。ロイスの世界はそれらが達成することに反対し、善となることが打ち負かされるような世界である。


 それゆえ、個人的生の唯一無比の意味、個人の相違の意味は、ロイスの哲学に保持されている。絶対は有限を破壊することなく有限を含む。普遍的生は我々自身、また我々の行動を通じて実在である。我々の各々、世界における意志のそれぞれの脈動は、「この生に唯一無比の関係」をもっている。我々の人格の個人性は全宇宙にとって必要なものである。「そのとき自由な人間が立ち上がり」とロイスは結論している、「まっすぐに立つと世界の方に歩み寄る。それは神の世界であり、同様に君のものでもある。」


 その上、すでに見たように、個人の力の肯定は、個人の結合の肯定によって完成される。世界は社会である。ロイスは真の形而上学を打ち立てるべく、ある種の宇宙的社会学を考えた。


 ロイスは、少なくとも、その形而上学の肯定的で、建設的な面において目立ってブラッドリーと対立している。また、彼自身ウィリアム・ジェイムズの弟子として振る舞うこともあり、同時に、ジェイムズは彼を敬意をもって、真の導師として語った。ジェイムズの『多元論的宇宙』やその他の著作によれば、絶対をもっとも大きな富と十全さで扱った同時代の哲学者だということになる。彼はロイスをフェヒナーと比較し、生を意味、成功と失敗、希望と努力、内的な価値で満たしたと語っている。ここでは、絶対がそれ自体多元論的な対象としてあらわれている。「彼の個人性は」とマクギルヴァリーは書いている、「伸縮自在なので、一滴の個人性も漏らさず、すべての有限な個人性を包み込むことができる。このように寛容で自発的な絶対に対して、プラグマティズムさえ極端だとはいえないだろうか。」


 そしてロイスのある種の主張には、彼の思考方法が根底においてプラグマティズムであり、多元論的であることを感じさせる。かくして、彼は「我々のあわれで、束の間の有限な観念」について語り、絶対について「それのみがある」と語る。時間とは彼にとってしばしばなんの重要性もなく、永遠な実在の縮小でしかない。時間的な出来事、有限な事実は我々を完全に満足させることには成功しない。彼の絶対はいかなる瞬間においても完全であると主張されているのは確かだ。彼が想像する無限の観念によって、有限を永遠に反復して、それら二つの主張を調停しようと試みている。しかし、そのときそれらは永続的な現在の観念に融合し、再びロイスは絶対主義者にとどまる。彼が批判するこの変化の観念そのものはおそらく彼の教義の一部である。

 

 

第二巻 多元論の形成

 

第一章 ドイツの影響

 

 フィヒテシェリングヘーゲルの体系の発達ののち、事物、人格、神の多様性を主張する様々な作家たちとその多彩な教義があらわれた。全体的に、彼らの哲学はヘーゲル哲学と明らかに対立していた。


 フェヒナーはそれら反ヘーゲル派のなかでもっとも独創的である。非常に一般的な――我々は非常に曖昧にいうことができるだけだが――観念が、もっとも厳密な物理学と心的物理学の研究へと通じている。他方において、経験主義とロマン主義を混ぜ合わせた方法によって、物理学や心的物理学者としての正確な調査を冒険的な思弁に変えている。経験主義とロマン主義という二つの傾向の混合は、ジェイムズを魅了したもので、フェヒナーに自分と近い精神を認めていた。


 彼は経験主義者の典型であるとジェイムズは書いている。彼の経験主義は、本質的に、抽象に対する不信である。抽象は存在をもっていない、その結果彼の方法は異なった単純な観念に基づいて、演繹によって進むものではない。類推による方法で、その助けによって密着力の緩んだ具体的な事物が互いに結びつく。我々は世界の概念を造りあげるためにもっとも通常の論証を用いねばならない。類推は類似を捉え、相違を保っておくことを同時に可能にするだろう。それは類似と類似とだけではなく、類似しないものと類似しないものとに盲目であることはないだろう。世界は常に別のものになり、新たなものは古いものから演繹することはできない。抽象が事物を一定不変のものとするところで、類推の方法はそれらを先に進むものと捉えることを許す。通常の哲学者が生きているものを概念に適用することで殺してしまうのに対し、経験論的な哲学者は、ピグマリオンのように、真の創造者のように、事物を活かしておくに違いない。抽象的な論証しか用いることのない演繹的な哲学者が不可能性と矛盾にしか直面しないのに対し、具体性から出発する哲学者はいつでも可能的なものと実在のなかにとどまっている。


 かくして、この経験主義は、自然にロマン主義的傾向と融合する。実際、フェヒナーは、ヴントがいったように、「ロマン主義の自然哲学を復活させ、完成した人物」である。彼の考えは、オッケン、そしてオッケンの先生であるシェリングにまで辿ることができる。オッケン、シューベルトスウェーデンボルグ、という三人の彼のお気に入りの作家は、彼自身のように博学で、大胆なロマン主義的想像力を持ってはいなかったろうか。


 彼の哲学は本来、長引いた病のあいだに訪れた突然の啓示によるものであり、この啓示が彼の生活を変えた。それは彼の後半生を通じて発展し、本がないときでも、新たな世界のヴィジョンを、魂によって支配される世界を広がらせた。


 神秘的汎神論と科学的決定論にもかかわらず、彼は世界を運動と生気に満ちた場所だとみた。生命がいたるところを動き、空気とエーテルが波のようにあちらこちらに寄せては返している。彼のペンはこの生命の発酵を表現することが難しかった。フェヒナーは精神を力の中心とし、植物から人間まで、人間から星まで、それぞれの存在は意識のコロナに囲まれ、それぞれが無限に向けて投影する光が交錯し、交わる。それら多様な精神的な領域は浸透しあっている。世界は彼の群衆的な教義では、多様な活動があり、「揺れ動き、大きな波のように働く運動によって決定される体系」である。波はいっては返し、渦を巻き崩れ、進んでは引き、消え去ってしまう。


 無限の意識の円環とより小さな円環とのあいだにはあらゆる可能な程度の意識がある。植物の王国や人間の集団的意識では、幾千もの意識が含まれている。そうした結びつけられた意識は巨大な地球の魂となり、「神の光の球のように空間を転がっていく。」この意識が太陽系の部分を形づくる。最終的に、こうした段階を辿って、我々は神に到達する。


 フェヒナーの神は個人の意識を神の下に、あるいは側に住まうことを許してくれる。もっとも大きな円環は残りのすべてを含み、各円環はいわば自足している。有限な魂は、いまだ個人であるまま神に内在している。至上の個人に吸収されるように思えるときでさえ、いまだ人格性を保持している。視覚的な感覚は、より大きな意識の感覚に入り込むわけだから、本来の姿を失ってしまうのだろうか。


 我々は個人的な生を生き、行動するだけではなく、我々の行動は神性に影響する。生まれでたそれぞれの人間は絶対における新たな思考である。事実、絶対は生き、歴史を持ち、現実に発展する。


 個人性はフェヒナーの体系で、人間の個人性というだけではなく、劣った神々として保持される。「天界はかつて、神々、あるいは天使と呼ばれる天上の存在によって住まわれていた。」それらの神々に、我々は祈りを捧げることができるだけである。唯一神と我々とのあいだはあまりに距離が大きく、神々や天使は中間的な存在であり、人間の祈りは至高の神よりもむしろ容易に彼らに捧げられる。フェヒナーの体系では、地球の魂は我々の祈りを最初に受け入れてくれるものである。


 ぼんやりとではあるが、次第に、我々は彼岸からの精神世界によって取り巻かれたより広大な意識と交流していると感じるようになる。こちらからの波と向こうからの波が交叉する。フェヒナーは心霊主義を信用していなかったが、深く影響されている。宇宙は魂たちの都市となる。


 ヴントがいうように、フェヒナーがヘーゲル哲学に感じたのは原因のない反感ではなかった。彼の汎神論は多の誰とも異なっていた。ヴントはそれを、世界において人格的な神と個人との存在を認める学者の汎神論だといって定義しようとした。そして、第二には、内在的で現象にとどまっており、超越的で、超自然的な実体による汎神論ではなかった。しかし、そのほかにも古典的な形の汎神論とは異なる特徴が数多く存在し、幅広くロマン主義的でもあるこの経験論哲学が、生き生きとし、個人間で交叉し衝突することもあるが、互いに調和をとって結びついていることなど、ジェイムズがなぜ好んだのかよく理解される。ある種の多神教に終わる汎神論であり、我々の精神生活の出発点で、天使と神々の段階を感じさせてくれる超越主義なのである。*

 

*フルーノワによって引用されたジェイムズの手紙を参照のこと。179ページ。「フェヒナーのZend-Avestaの前半部分を読み終わったところです、素晴らしい才能による素晴らしい本です。」1908年1月3日。

 

 フェヒナーは、ジェイムズを除いて、アングロサクソンの国にほとんど影響を与えなかった例外的な哲学者である。自国にさえほとんど後継者はいなかった。ラスウィッツだけが、アトミスムの伝統を守りながら、教師とは幾分異なったある種の個人主義を擁護して、その哲学を引き継いだ。「この人格性ははじまりも死もなく、空間に場所を占めることもない。」


 他方において、ヘーゲルやカントは別にすると、イギリスとアメリカでロッツェほど広く認められた作品はない。ブラッドリーとボサンクエットはそのいくつかを翻訳した。しかしながら、一元論的な観念論者だけが彼の影響を感じたわけではない。正反対の学派のほとんどすべてが彼を読み、尊敬した。F・C・S・シラーは自分がこの哲学者にどれだけ多くを負っているか気づいていた。ロッツェほどあまりに厳格な体系がもたらす破滅的な帰結を見たものはいないし、経験に彼ほど常に目を注いでいたものはいない。彼は新ヘーゲル派による一元論に対する「手強い敵対者」であった。一元論的な哲学に到達しようとする努力にもかかわらず、ロッツェは多元論哲学の発展に主として貢献した。アメリカでは、1877年から彼の作品は翻訳されていた。デューイは彼を読み、頻繁にその考えを受け入れた。ジェイムズは個人的観念論とプラグマティズム先行者として、数回彼を引用している。


 ロッツェの考えはヘルバルトにまでさかのぼれる。ヘルバルトは実在を諸実在に分解したが、そのそれぞれが運動を獲得し、他との関係によってのみ力を得た。世界は空間のなかを往き来する(Kommen und Gehen im Raume)。質的アトミスムトいうのは、ロッツェがヘルバルト哲学に与えた名であり、弟子と呼ばれることは拒んでいたが、最大限に尊敬していた。ロッツェの哲学は――ヘルバルトのそれと同じく――カントへの、カント的な現象論への回帰だといえる。「空間を満たすことは、この空間に入ろうとするものをとなんであれ対立することである」というのはカント的ではないだろうか。


 他方において、ロッツェはヘーゲル派、特にヘーゲル右派の影響を受けた。彼の担当教授であるワイス、友人の一人であるI・H・フィヒテは、人格的な神と魂の自由を打ち立てようとしていた。一見するところ、彼の哲学はヘーゲルの哲学とヘルバルトの哲学とを調停するところに特徴があると思われる。


 ロッツェは二人の同時代の哲学者の示唆に助けを受けた。トレンデレンバーグは、事物とカテゴリーの建設者であり、運動の重要性を彼に教えた。彼はヘーゲルの論理学が批判を招いたところを彼に示した。フェヒナーにはおそらく、宇宙全体と至る所で接触する力の中心、ということに彼のアトミズムの考えを負うているのだろう。


 ロッツェは具体的な特殊な事実にも目を注いでいた。「単一のどんな真理の一片も帰納の犠牲になるべきではない」と彼はいっている。彼は事物それ自体を検証しはしなかったが、我々との関係における事物については価値を認めていた。彼に従えば、人間の知性は表象の道具ではなく、事物を変化させるものである。彼は冷たく、努力に応えようとしない実在にはなんの関わりも持たなかったろう。結果的に、形而上学者は価値判断に、人間の欲望に、感情の先取りに、美的感覚への示唆に訴えるべきだとされた。「形而上学の始まりは、それ自体にあるのではなく倫理学にある。」それゆえ、我々は論理的知性だけを働かせておくべきではない。それは我々の多様な必要によって制限されるべきである。たとえ理性であっても、最初の、我々の自由な選択に従うべきである。


 統一の問題は、ロッツェが最初に探求したものである。彼の批判のもと――後にその批判はシラーによって思い返されることになる――実体という観念は消え去った。「実体という言葉は、それ自体実在の堅固な性格をもつ固く真の核を指し示すのに用いられてきた」と彼はいう。常識的な理論に従えば、この核から現象が首尾一貫したものとなる固く粘着性のある物質が生じるのだろうとされた。実体とは通常の想像力に従えば、ある種の接着剤である。しかし、この奇妙な錬金術によらなくても、「この驚くべき結晶化の現象」、世界の統一を説明することができる。


 他方において、ヘルバルトの「実在」、単純な存在は考えることができず、形而上学者は常に諸属性によって実体を多様化することを余儀なくされる。哲学的精神の苦悩とは、「現象的な多様なあらわれを決定するような諸条件として事物そのものを求めたり、多数性や多様性を決定する事物そのものを拒むことを責められることにある」とロッツェはいっている。


 もし我々がこの論理的統一の受難から自由になれば、我々は「非実体的な神話」以外の何かに達することができる。


 実体、事物それ自体、といった多かれ少なかれ、プラトン形而上学が実在の世界に添えた観念的世界は消え去る。感覚の世界を維持するのに足場は必要ない。感覚はそれ自体で自律している。実在だけが存在する。実在が、その内部にあって、「生きているものがそれをもとにして肉付けされるよう」に思われる必然性のある外観を生み出している。形而上学者は大量の抽象的原理を仮定し、それをある種立法的力を持つものとして、事物の存在と内容を、時間と具体的な生成を切り離す間違いを犯している。実在は思考よりも豊かなものである。ヘーゲル的な言葉で、ロッツェがいうところによれば、概念によっては打ち立てることができない、ましてや我々の推測することができない存在と非存在の融合が存在する。事物の真の創設はすべての思考を超越する。実在の根拠は、我々には矛盾としてあらわれる。実在は諸関係が入り交じり合い、我々に把握することのできない微妙な関係が働き、構成と分解の過程によって、絶え間なく動く実在が実体と統合のあらわれを提示する。持続的で決して完成することのない運動というヴィジョン。そうしたものがロッツェに最初にあらわれた。彼は事物の内的な可動性を我々に理解させようとした。彼は「たゆみなく続く生成のメロディー」を聞いた。変化は事物の本質である。我々はすべての存在を生成の過程にあるものとみなければならない、それを我々の固定したカテゴリーから解放しなければならない、それがあらわれたときの整合性を、特殊な生成の形として、終わりなく更新される誕生と類似なものの消失であり、同一なものの永続性ではないものとして理解しなければならない。


 存在は静止した同一性ではなく、自律的な永遠の運動である。絡まり合った関係は紡がれてはほどかれる。変化する行動と反動、局面によって発展する内的活動の絶え間のない流れ、終わりなきメロディーに高まっては静まる無数のポリフォニーしか存在しない。しばしば我々はこのメロディーのリズムを捉え損ない、生成や進化は我々の理解の法則から逃れ去る。


 この後では、実体はもはや実在の流れに運ばれるより固い集合体、より密な渦でしかなく、事物の多数性から生じるりん光体、誰もその理由を十分に知ることはないが、ある瞬間にあらわれるものである。厳密に言えば、現象、あるいはむしろ現象の性質といった方がいいか、と切り離される実体は存在せず、その実体性、反映する力はある種の調和のとれた秩序にあらわれる。その反映、それらが外部に投影する理想的な法則が実体である。ロッツェによれば、実体とは、自然に内在する美的必要に従うかのように、実在の各点が焦点を合わせるヴァーチャルなイメージだといえるだろう。


 こうしたものが、ロッツェの最初の『形而上学』における実体の理論であった。それはまた1879年の『形而上学』で圧縮、一般化され、現象の現象、実体の実体としての現象として実体が分析された。「事物が存在するのはその内部にある実体のせいではない。それらは実体のあらわれをもつと我々を説得できたときに存在する。」確かに、この第二の『形而上学』では、実体はもはやつかの間のりん光体ではなく、永続的な事物の反映である。にもかかわらず、ある種の性質あるいはそれら事物の反映なのである。

 

 かくして、おそらく個人的な世界観、ヘーゲルのある種の観念のどちらの影響もあるだろうが、新たなヘラクレイトスがヘルバルトの新たなメガリアスに取って代わった。


 この概念は運動の可能性を取り去りはしなかった。実際に起こったことはむしろその反対である。「実在の生成において、以前には存在しなかった何か新しいものが取って代わることを認めるならば、生における我々の行動すべてを規制する深淵かつ破壊し得ない必然性が我々の精神にもたらされる。」事実は、我々は行動と運動を切り離すべきではない。生成は機械的な発展ではなく、諸力と諸行動の結果である。本質とは行動の背後にある死点ではなく、行動そのものである。存在の多数性の世界が存在するなら、そこにある諸力を応用する新たな創造点が生じることになろう。「我々は普遍的な法の価値を知っており、適用される点が変化することですべてが変わるかもしれないという秘密の希望を持っているにしても。」結果的に、我々がするべきなのは、世界に存在の多数性が実際に見いだされるかどうかである。ロッツェによれば、多元論は自由を可能にし、宇宙における新たな方向での創造を可能にする。どのように彼が多数性を認めたのかを見てみよう。


 第一に、世界は諸関係の体系であり、一般的なものが関係に持ち込まれる。ロッツェの哲学は、行動と反作用の相互的なものである、全体は互いに影響し合う多重かつ異質な部分に分解される。異なった物体の広範な複合性、戦い合う単純な本質の複合性。それが純粋な知覚によって提示されるものであり、ひとつの単純な物質の観念など無用だとする学者にとってもっとも便宜的なものでもある。諸事物の統合は理解不可能なままにとどまっているが、その多様性は科学にとっても扱うことが可能で、決して極め尽くされることはない。かくして、連続性は不連続性に分解される。異なった出発点、行動の焦点しか残らない(Augangpunkte der Wirkungen)。


 この世界像はヘルバルトのものに比較されるが、ロッツェはヘルバルトの考えに運動を付け加えた。彼は自分の哲学に合うようにしながら、1841年の『形而上学』では、ヘーゲル流の生成の観念とフェヒナー流の交差(Durchkreuzungen)の観念を導入した。彼の欲望は、「経験の多様な事実を条件付けるのに必要な復合性、多様性、関係のすべてを」回復することにある。同様なものは同一なものに取って代わる。築地性は類似なものに働きかける。


 結局、これら力の中心の本質は何であろうか。ある程度我々がもっているのと類似した意識と定義してみよう、とロッツェはいう。それは彼の形而上学的研究に始めに、おそらくはフェヒナーの影響のもとに、普遍的な「生気」(Beseelung)として保持されている。というのも、事物が事物以上でならなければならないとするなら、事物が真にあるべき姿があるからだ、と彼はいう。もし事物をそれ自体から切り離し、その分離に気づいているなら、環境からも区別することができる。世界は関係する事物の体系である。さらにいえば、対立する意識の体系ともいえないだろうか。それゆえ、生は意味を持ちうる。一時的に、諸関係の相互関係と見なされているのは、時間において発達する魂の戦いである。それゆえ、各個人の魂の義務は、自らに力を及ぼし、労働することである。個人はその救済に値打ちがある、モラリスムと道徳的誠実さは、動き多様な、不完全で多側面的な世界の観念の結果としてあらわれる。


 だが、ロッツェはこうした多元論的概念にとどまらなかった。フェヒナーのように、魂のよって構成された世界という観念に導かれ、彼は一元論に進んだ。フェヒナーのようにロッツェは多元論の先行者であったが、これらすべてにもかかわらず、一元論を真実だとした。実体の観念から、彼は実在の影をつくりだそうと意図した。影がいまや実在となる、本質的に、実在はこの明らかな実体の偶然の自体である。彼は自ら言いあらわしているように、世界に統一をもたらそうとしているように思われる。たしかに、1841年の『形而上学』においては、彼は主観的統一にしか達そうとしていないかのようである。世界の統一は我々がそれをひとつとみるあり方にある。1879年の『形而上学』でさえ一元論の痕跡が見て取れる。諸事物の関係は、と彼はいっている、絶対的統一によってのみ説明できる。「当初あった我々の概念であっル多元論は、把握することのできない推移的な因果関係が内在的な因果関係になることで、一元論となった。


 だが本来あった多元論がすべてなくなり、普遍的な実体が個別的な諸事実の観念を扱うことができるとは想像できない。普遍的な存在は生きており、質的な観念であり、「多様な衣装を身にまとう」。統一の各部分は、理論をつくりだすのに調和的に結びつく公式に比較できるだろう。「こうした公式は、異なった内容の言葉でなっていないのなら、何の意味もないだろう。」かくして、多様な存在の複合性は残ったままである。ロッツェが知ることを拒んだのは、自身の言葉で言えば、多元論ではなく、むしろ「制限を知らない多元論」、「世界を複合的な諸要素から発し、後に法則によって互いに無関係なものが結びつくことができるものと見なす」多元論である。


 宗教哲学では、ロッツェは自ら達した単一の実体を変化させ、彼にとっては非人格的に思われる、その実人格的な神に達した。神の人格性のなかでは、多元論や実在世界の一時的な性格が、ある程度は、合理性を持ち正当化を得ることになる。


 同じような人格的要素をもっていたすべての哲学者に言及することは不可能だろう。プレイヤー――ウィリアム・ジェイムズは彼をフェヒナーの弟子と見なした――は純粋経験の理論を打ち立てた。シグワルトは、ジェイムズにある種の影響を与えたように思えるが、統一の観念、意思の統一から始めたが、本能的に個人の差異を理解していた。彼は不完全な世界の発展、現象の流れを見る。この流れは屑や塵をも運び、悪が存在することを彼は知っていた。神が、人格的な神が我々の努力を見ているのだから、我々すべてで悪に抵抗することにしよう。自由な諸個人の社会が勝つ日が来ることだろう。


 テイクミュラーはロッツェの弟子と見なされているが、経験の必然性、「個人の絶対的領土」を主張した。「自己自身というのは、つかの間で価値のない現象ではなく、実在する世界全体の不死の一員である」。彼によれば、我々の思考が我々のなかにおいて個人性を保っているように、自己は決して死ぬことなく、神のなかにあり続ける。


 哲学的思考におけるヴントの影響はより長続きした。ジェイムズは多元論の先行者として彼をほとんどロッツェと同列においている。ロッツェと同じく、彼はヘルバルトの哲学によって提示された問題に捉えられた。「カントの次に」と彼はいっている、「私の哲学的発展にもっとも大きな影響を与えたのはヘルバルトである」と。ジェイムズは彼をフェヒナーの弟子だと見なしているが、ヴントの理論は主にフェヒナーとロッツェから、特にロッツェから来ている。Tagesansichtの著者を尊敬していたが、彼の体系は奇抜な夢だといっている。彼の意図は科学的な哲学を打ち立てることにあった。


 運動し流れる事物を考えることを教えてくれたのは科学だった。ロッツェのように、彼はすべてのモナドジーを静的な哲学として非難した。実体と活動性、実体と意志、実体と生成は同一の用語である。これもまたロッツェのように、実体が投影されたある種のりん光体だとしても、真の活動性は実体の存在を我々に説得できるものだとした。もはや実体は存在せず、支えのない諸関係のみが存在する。


 こうした関係は個人的な意志単位(Willenseinheiten)のあらわれである。それらすべての単位は、フェヒナーの体系でのように、調和的に配列され、重ね合わされ、結びつけられる。かくして、行動と反作用の相互的な動き、連続的で絶え間のない世界の発展が可能になる。ロッツェよりも多元論に忠実なヴントは、一元論にそれを付け足すようなことはしなかった。彼は相関的な単位を超えていこうとはしない。彼は、アイスラーがいうように、多元論的形而上学を打ち立てた。


 ヴントは世界の要素を意志の単位と考えた。それが意思主義と多元論との固い同盟を構成する。ジェイムズは時にポールゼンを多元論の予言者の位階においてヴントよりも上位においているが、この意志的な多元論はポールゼンには見いだせない。確かに、彼はすべてが意志的だと主張した。しかし、ロッツェのように、彼は速やかに多元論から自由になり、一元論に帰って行った。


 多元論と意志論のこの総合を再獲得するためには、我々はドイツ哲学の最極端にまでいければならない。世界を神のない国家、共和国と見なしたフォイエルバッハにまで。ショーペンハウアーの意志を多数の戦いに参加する意志に分配したバーンゼンに。ハルトマンがバーンゼンとともに、「多元論的美的個人主義」の闘士に加えたニーチェにまで。

 

 

第二章 ポーランド哲学の影響

 

 ある場合のニーチェのように、ワルテンベルグとルトスラウスキはポーランド思想の代表、選択に基づいた国家、全会一致による国家の哲学者として自慢されている、ワルテンベルグは、世界を数において有限な実体の力動的な関係のアンサンブルだと見なした。それらの実体は意志である。彼の多元論はロッツェにその起源があったが、実際には一元論に向かう彼の進化の後を追ったのだが、ルトスラウスキはテイクミュラーの多元論から発したが、その体系を人格主義のもとに扱った。我々はジェイムズの友人であり、文通者でもあったルトスラウスキをより大きく扱うことになろう。彼によれば、彼の特殊な多元論をもたらしたのはテイクミュラーでも、ストリューヴでも、フェヒナーでも、ヘルバルトでも、ロッツェでも、ジェイムズでもなかった。全会一致の思想、君主の同盟が彼の哲学の中心を形作っている。「我らがポーランド組合」*という名で彼は語っている。彼は個人主義をその極端にまでもっていったポーランドの詩人や哲学者を好んで思い起こした。リーベルト、ミチエウィッチは神の前で歌った、「私は不死を感じる。私は不死を創造する。あなたが成し遂げることができたことはなんと偉大なことだろう。私の羽先はあなたを害する。」誰がこの叫びを止めることができよう。「あなたがあなたのものを取り去るか、私がそれを失うのを恐れるのでないなら、私の力はそこから来る。」

 

*『一元論者』1895~1896年 352ページ。 

 

 ルトスラウスキの方法は、ある種情熱的な演繹だが、プラグマティストと似たところはなかった。しかしながら、我々は一般的な定式に信頼を置くべきではない、いかなる瞬間でも、統一や多様性が世界を支配しているということはできない、と宣言した。それ以外にも、彼の方法の意志論的側面は、彼をプラグマティスとの一員と見なすことを許すものだろう。多元論は一元論と同じく、証明も反駁もできないものである。意志の働きだけで十分である。


 テイクマイヤーの人格主義から出発して、ルトスラウスキは「多元論と呼ばれる個人主義の形」に到達し、彼が言うところによれば、新たな「世界観」であり、彼のことを信じるなら、「もっとも特徴的な資産」である。彼の見解に従えば、これはジェイムズも同様だが、統一と多様性の問題は根本的な問題であり、それに従って哲学者は分類されるべきである。


 主意主義者として、彼は自分の哲学を意志を高揚させるものだと宣言する。精神主義者として、彼は世界に不死の魂の合奏を見る。彼の精神主義は、個人主義の一つの形に過ぎない。彼は自分自身を魂、創造されない不死の魂と感じ、自らのヘルシンキ・テーゼに従って、より高次にあってそれを支配するものはないと認めた。そしてこれは他の発言と整合性をとることが容易ではないのだが魂には多様な程度、位階があると付け加える。ここで精神主義心霊主義になる。魂のあいだには神秘的な交流が存在する。我々が無意識と呼んでいるのは、他の魂が我々に働きかける神秘的な作用である。


 世界にはより高次な存在がいるに違いない。しかし、個人主義者の神は全能の創造者ではあり得ず、結果として、神は世界を絶対的に支配することはなしに、導くことができるだけである。そうでなければ、どうして悪の存在が説明することができよう。それ以外にも、魂の永遠という信念は、神が全能だと信じることを妨げる。「私は創造されたものではあり得ない」。ルトスラウスキは、ミキエウィックがしたように、ただそれを無視するだけかのように、神の存在を肯定する。「普遍論者には神の到来を待たせておけばいい・・・幾万もの卑屈な存在に働きかけてくれるだろう・・・私は彼が私の主人になるように挑戦する。」また彼はこの神を力強い友人とも想像する。「我々はほとんど共通の対象をもっており、それゆえ、共通の無数の敵がいる。」


 生成、世界を生気づけ、動かす普遍的な努力を導入することなしにルトスラウスキの考えを研究するとこのようになる。自由の感覚、選択の力、意志が世界を自由にする。自由の意識を通じて、私は宇宙の真の発展を肯定できる。「普遍主義者にとって、世界の計画はすでに完成している。他方において、個人主義者は、すべての魂が自由に進み後退することを信じている。」かくして、世界の不完全な性格という観念は、ジェイムズ同様ルトスラウスキにとっても、自由意志を信じることに結びついている。宇宙の成長を認める第二の理由は、我々の宇宙とルトスラウスキによって言及される他の宇宙との相互干渉の仮説にある。実際、我々が魂によって構成される世界を信じるとき、もはや自然法則の規則性を信じることはできない。多元論、非決定論精神主義は互いに関連し合っている。


 世界が善と悪との混合であり、彼にとっては不完全であることから、多元論者は、善は我々の努力によってのみ実現する、対照的な道徳と形而上学の教義とでの選択は、宇宙的な意味合いと重要性をもっていると信じるようにさせられる。故人の魂は「自由意志をもって全世界の目的と協力する」。ジェイムズが、またルトスラウスキが言ったように、多元論者は「高い目的のためには、そうした目的が必要とされる場合には」地球の生命をかけるかもしれない。


 この個人主義的倫理から、ルトスラウスキは世界という社会的概念へと進む。彼の個人主義によって、多元論者は寛容であるべきだろう。彼は少数者の権利を認める。どんな人間も宇宙に集められた力だと言うことができる。自由な否決。しかし、少数者は多数者のために自らの権利を喜んで犠牲にしなければならない。愛が行動の主要な動機となる。「私は人類を、真理を、美を愛する・・・それゆえ、これは私個人の自由な楽しみなのだ。」


 かくして、個人は自分が献身する目的をすべての存在に共通するものだとする。彼は個々人の魂が自由に協力しあう宇宙的進化を信じている。


 多元論者の先駆者のほとんどに見いだされ、多元論者にはほとんど例外なく見いだされるこの「形而上学的集合主義」は否定的なものではなくむしろ、多元論を補完するものと思われる。この集団的生のなかで、個人は個人にとどまっている。しかし、我々はこの自由で普遍的な存在の連合の観念と、現実には多元論の本質とは矛盾するある種の一元論的な信念とを明確に区別しなければならない。ルトスラウスキは魂は何かしら固定したもので、事物は同一のままにとどまると言わなかっただろうか。そのとき、彼の想像する宇宙から真の運動と時間は消え去る。「時間と空間は自己のなかにある。」それゆえ、我々はもはや多様性がどのように可能になるか理解することがない。少なくともある目的と考えることはできるのではないか。諸個人は次第に異なっていくものなのだろうか。彼らは次第次第に対照的な生を生きることになるのだろうか。ルトスラウスキが語るのはむしろ正反対である。諸事物の中心では、すべてがある程度の類似性をもっており、ある種のものはより類似しており、よりお互いに関係している。こうした集団が「次第に世界の全体性」を作り上げる。「魂の世界は統一を目指す・・・我々は世界の統一のためにたゆまなく労働している。」多元論的な傾向が突然支配力を取り戻すように思われることもあるが、ルトスラウスキは宣言する、「完全な統一はいまだ個人主義によっては実現することのできない理想である。」と。にもかかわらず、彼はこの理想を統一のうちに見て、多様性のうちには見ない。
 かくして、ロッツェやフェヒナーのように、ルトスラウスキもまたそうだが、こうしたほとんどの哲学者においては、多元論の立場が変わらないということはあり得ず、思想家のヴィジョンを構成しているということもできない。一元論的な哲学による一つの世界を多元的で動的な世界に変えようとするのだが、思考の必然性に従うかのように、世界に統一の観念を再導入し、再導入することで考えを根本的に変えてしまうのである。最終的に、最初は克服したと見なしていた統一の思考が復活するのを見るのである。

 

 

 

第三章 フランスの影響

 

 ジェイムズは礼儀正しく、ルヌヴィエと『哲学批判』に影響を受けていることを認めている。1884年に彼は書いている、「私の論証はそのほとんどがルヌヴィエのものだといわなければならない」と。彼は『哲学体系の分類』を素晴らしくまた重大な著作だと述べている。彼は心理学についての作品をルヌヴィエとピロン、そして『哲学批判』に捧げている。


 ルヌヴィエの理論と影響が彼の多元論に及ぼした力を研究する前に、我々はフーリエプルードン、そして特にメナールの理論がルヌヴィエの精神に及ぼした影響について扱うべきだろう。


 フェヒナーがジェイムズに教えたように、フーリエはルヌヴィエに魂の位階を考えることを教えた。一つの宇宙が存在するのではなく、「諸宇宙」が存在する。そして彼は神と人間との「協力関係」によって生み出される諸宇宙の活動性を想像した。神は人間に「偶然を残した」。彼は人間の理性の「水準に合ったゲーム」をしようとしている。人間はたっぷりと偶然はもっている。そして、自由意志をもったこの人間を神はパートナーに選ぶ。彼は世界に「社会的規範」をもたらし、人間は神とともに「責任ある生の管理」を分け合う。我々はこうした「神による社会概念」をこの時代の多くの共和政体者や社会主義者の作品に見いだす。


 フーリエのように、プルードンも、世界を平等な共和国的なものだと考えた。我々のそれぞれが「自由意志を分け持ち、ともに用いること」ができるような「普遍的な調和」を望んだ。


 彼にとって、モナドジーライプニッツ主義者が宇宙をもっとも理性的に考えている。もはや「封建領主」は存在せず、創造的な自由人の自由な民主主義があり、正義だけが、それについてはルヌヴィエとほぼ同様の定義を下しているが、支配する。しかし、これはいまだ理念だけにとどまる。今日、世界は「戦い合う力の集まり」であり、「ピタゴラスが語った偉大なる全体の旋律」を聞くことができない。「諸存在間の敵対関係、実体、原因、意志、判断それぞれの独立。」そうしたものが宇宙である。しかし、この敵対関係は最終的には自由な調和になるだろう。ルヌヴィエの以前にはプルードンが、民主主義者であり共和党者として、絶対を世界の主人と見なす神学的、哲学的教義を批判している。


 こうした引用は、ルヌヴィエとメナールの体系が、いかにフランスの共和制や社会主義的闘争から生じているのかがわかる。この起源から、多元論は現在まである種特徴的な部分を保持している。ジェイムズがその哲学を提示したのも民主主義者であり、共和主義者としてだった・・・それはフランス思想が貢献している部分でもある。


 本性上、メナールは多元論者だった。その多元論はラテン的なものであり、ギリシャ的なものだった。彼は聖なる光の国としてギリシャを愛し、そこでは人間は聡明さにあふれており、市民の「聡明な」まなざしは「接することのできない光源の高み」に向けられていた。
 彼は明確で限定されたものを愛した。「大理石に刻まれたような」形。ギリシャの空の下には、「明確な線、純粋な地平」しか存在しない。


 どうしてギリシャ人が曖昧な存在を考えることができよう。至る所に、日光に縁取られた形がある。至る所に多様性がある。それは「正確で、限定した制限をもつ」形である。「形式は物質と精神を結びつけ、言葉は思考に具体性を与え、限定的なものと無限定的なものとを媒介する。」ギリシャ人が限定的なものを完全だと見なしたことに不思議はない、とメナールはいう。どうして無限定なものを形式のなかに限定することができよう。メナールと同様、ギリシャのすべての神学は、限定的なもの、光への愛から生まれた。それぞれの神、それぞれの英雄は、「異なった特徴」、「特殊な形式」、「個人的で、完全に輪郭づけられた外観」をもっている。メナールは「神々の特殊な属性」を混同する神秘めかした宗教には怒りを覚える。「ディオニュソスを扱うときには」と彼は悲しみと憤りを入り交じらせて書く、「神話学全体が曖昧になり、不確かになる・・・敵たちをふらふらにする神が、崇拝者たちを同様にしている。オルフィスムは酩酊とエクスタシーの狂気である。人間の思考は全自然と同じように、大乱交へと引きずり込まれる。」新たな形を使って、この考えを倦むことなく続ける。「夕方の影が古い世界の空を覆っていくように、神的なヴィジョンはますます不明瞭になっていく。」彼は「曖昧な汎神論」「混乱した汎神論」を追求し、エレウシスの神秘やトロフォニアスの悪臭を放つ洞窟へと進む。「神の射手が、影から、おぼろげな領域から送られる。」


 宇宙は、その要素が明確に限定されていることから、多数である。彼がギリシャについていったことをメナールについても言うことができる。彼は「あらゆるところに差異を見いだす。」存在は「その区別を可能にさせる諸性質を通じて」のみ存在することを知っている。形式は本質的に多数ではないだろうか。光はその「際限のない多様性」を示しはしないだろうか。かくして、メナールは、ギリシャの都市―国家の多数性を語ること、「無数の側面がある宇宙」を見ること、異なった現象を多様な原理に基礎づけること、そうした原理そのものに「複合的なエネルギー」を区別することを愛した。


 彼の複数性は抽象的なものではない。原理は具体的でしかあり得ず、人間の想像力の源泉であり、それらは神々である。「宇宙には抽象的なものは存在しない。」「抽象的なものは常に間違っている。」そして、常に貧弱である。ギリシャ人は生きた目に見える神を信じ、世界に人間も神々の含んだ自由な市民を住まわせることに理性を用いないわけではなかった。・・・神々は人間とそれほど異なっているわけではない。もし人間の形ではなく、「神のような美しさ」をもっていなかったら、人間の意識に見合ったように「正義についての神のような理想」を考えるのでないなら、どのような形で彼らを想像できるだろうか。メナールに従えば、神人同形説がなかったら宗教は存在しない。


 彼は若く勇敢な国家に必要なものとして多神論を採用する。彼は神学の実際的な結果を考慮に入れる。彼独自の仕方で、メナールはプラグマティストである。


 彼が曖昧な神秘主義とともに、神話を破壊するあらゆるイデオロギー、不作法な光のもとにすべてを萎れさせてしまうあらゆる理論に反対するのも不思議ではない。彼は、「神政的で汎神論的な傾向」、宗教を殺してしまう抽象の実現化、一般的な観念に反対し、あまりに完璧、あまりに無表情で、目に見えないために祈ることもできない、人間からかけ離れているために芸術家の手によって彫ることもできない、プラトンの一般的観念に反対した。とりわけ彼はその統一が「抽象的」で「曖昧」にとどまり、.「すべての差異を一つのユニフォームで覆ってしまう」汎神論に反対した。汎神論が喜ぶ光と影の境目では「法と力、正義と行動、理想と現実」が混同され、融合してしまう。人間の自由はもはや存在しない。道徳は消え去り、メナールは『ギリシャの多神論』一冊をまるまる「東洋とその哲学の影響」がここでは結びついていると証明することに当てている。それがメナールが汎神論に対して戦いを挑む最後の理由である。それは、理想、道徳、活動性を殺す。その道徳はカースト制の道徳である。


 汎神論がカースト制の哲学であるように、一神論は反共和制的なドグマであり、「王政的」ドグマである。それは時間とともに頽廃する。「ほとんどすべての国々がローマ帝国の深淵に溺れようとするとき、残されたものが唯一必要としたのは、老いた魂たちであった・・・地上においても、天上においても、力の統一が認められた。」宗教的な形式は社会形式に対応する。中世の天界は、封建的な神を「保持」していた。


 王政的な概念に反対して、彼は「世界の共和制的な概念」、偉大なる「諸存在の同盟」、神々が法とともに行政官でもあり、世界の中心的な評議会の一員でもあるものを提示した。世界は「偉大なるダンスのコーラス、永遠の交響曲、生きた法の調和」であり、この調和は社会的な共同作業である。


 メナールは、「あらゆるものが位階なくともにつながっている」ような天上界を自身で創造した。彼は「哲学者たちにかくも愛される位階的な性格」について冗談を言った。ゼウスの権威は同等のもののなかの権威であり、彼は第一人者であるに過ぎない。メナールは誇り高く書いている、「社会的法は各人の権利の総計であり、ひとりの人間はゼウスと同様に必要であるから、一票が圧殺されることはあり得ない。ゼウスもまた神々の共和国の一員ではないだろうか。」「宇宙の大家族のなかでは主人も奴隷も存在しない。」、彼は『哲学者の道徳』でいっている、「主人は不平等なのではなく、実際には独立しているだけだ。」全存在は「自律」している。結果的に、すべての存在は不死である。一票が圧殺されないために、一つの声が消されないために、不死は必要である。


 すでに見たように、メナールの共和主義と平等主義はその根深い個人主義にまで辿ることができる。彼の個人主義は、自身が表現しているところでは、無秩序にまで行きつく。メナールがエレディアに与えたギリシャの都市―国家の定義に従えば、「組織化された」無秩序であることは疑いない。彼は「無秩序な、アナーキーなオリンポス」を愛した。この無秩序は、決して、ギリシャ人に衝撃を与えるものではなかった。


 メナールの多神論の下には、なにかより根深いものが隠されていないだろうか。多元論の形而上学だろうか。メナールの神々が生き生きしていて活動的な理由、彼のオリンピアがかくも多様な理由は、「アナーキーで複合的な」自然が我々の体系、「真理についてのプロクロスの寝台」をあざ笑い、自然が自らを押さえこむとなどあり得ず、その中心が至る所にあることに気づいていたからである。彼が神を複数だと想像した理由は、結果の多様性が論理的に原因の多数性に彼を導いたからであった。「原因の多数性、諸力の独立、諸法則の調和」それらを彼はギリシャの神学の原理と見なした。ギリシャ人は、と彼はいう、永遠な実体の統一の代わりに、諸形式を創造する主要な性質を区別した。というのも、事物は、それらを認識し、名付けることを可能にする差異を通じてのみ存在しているからだ。世界は諸力の関係によるアンサンブルとして定義される。「行為と反作用という二つの系列は、互いに影響を及ぼす諸力のアンサンブルを形づくる世界を考えざるを得ないものとする。この観念は、人間の精神に浮かぶ自然の第一印象、原初的な啓示の根本的なドグマから即座に生じてくるものである。」「この未知の力は同時に法則である。・・・神々は法を与えるものである。」と彼は付け加える。


 こうした法は生きた法であり、相互的な対照によって生きている。「世界の均衡を保つものであるゼウスは、神々の争いを楽しげに注視するが、それは正反対なものの対立から普遍的な戦いが生じるのであり」、それは最終的に調和に終わるからである。かくして全世界は巨大なトロイとなる。メナールがギリシャ宗教における「事物の永続的な世代交代」の観念、終わりなき誕生を強く主張するとき、彼は、ルコン・ド・リールの詩のように、その多神教に力と生命を与え、変わることのない平穏さの印象を与える。彼の「神々の民衆」は彫像たちの民衆では歯が立たない。そして、我々が研究しようとしている多元論も、流れについての、いつまでも不完全な事物の発展につてのよりリアルな感覚と頻繁に連携している。メナールの完成されたもの、限定的なものへの愛情からすると、暫定的な多元論は嫌われる。


 だが、我々が多神論の背後に真の多元論を見て取っているのは確かである。メナールはおそらく多神論が新たな形をとりうることを推測していただろう。「物理学は」と彼は『ギリシャ的多元論』の最後で宣言している、「不活性な物質から諸力の独立を扱うものに代わり、生物学的な概念が機械論的な体系に取って代わるだろう」と。神々は、現代的な形で再生することによって、おそらくは再び人間に勇気と活動性を与えるものとなるだろう。


 実際、多神論は限定された道徳的概念に導かれる。「行動のエネルギー」「外的な世界に対する抵抗」を評価することを可能にする。人間には満たすべき仕事がある。動かすにいないことがまず最初の義務である。ギリシャの道徳は「活動的で、戦いと仕事の道徳」である。実際、世界中であらわされているのは、「自由で自らを意識する意志」、いくつもの可能性から選択することができ、善か悪かの選択には深遠な実在がある。人間の生は暗闇のなかでの混乱ではなく、開けた日光のなかでの個人間の戦いである。しかし、我々が語らねばならないのは本当に戦いであろうか。この戦いは調和である。「人間は生の多様な側面をもつドラマのなかで、自分の役割を演じる。この巨大で途方もないコンサートにおいて、自分の音を付け加える。」ギリシャの道徳性、生と行動の道徳は、「地上の事物についての一般的嫌悪感でいっぱいになった魂」をもち、「重苦しく無関心な」哲学、受動的な道徳性をもち、東洋の魂、あるいは古代世界の黄昏でいっぱいになった哲学的精神によってつくりだされた死への崇拝と敵対する。「予言的な死への直感をもつ古代世界は、巨大な闇が迫っていることを感じ、迫り来る苦悶への不安は、死の神を呼び寄せることしかできない。」墓を崇拝するエジプトの地へ向かうことは、悲しみに満ちた人間の潜行である。「生誕の地であり、死の王国になろうとしている古きエジプトに帰ることは、静かに過去の墓に沈みゆくことであり、最後の行為は、セラフィス、死の神への崇拝である。生き残った異教はギリシャの消えかかった光に喜んでいる。「嵐が生への愛を引き起こすすべてを吹き飛ばし、避けられない夜、白髪をもたらす冬が自然と歴史を覆い、年老いた世界は、最後の神の墓へと従って行かざるを得ない。」


 生の偉大な戦いのなかで、我々はその様々な力をどのように調和させるのだろうか。秩序は「諸力の自律と諸法の均衡」から、メナールとルヌヴィエが二人ともいうように、正義と義務、法と自由、個々の力に対する規則と公的秩序の保証、その両者を含む意志的な慣習から生まれる自立性から生じるに違いない。それゆえ、自由な社会をつくるとは、都市―国家を大胆に戦いのなかに放り込むことである。「人間の社会は有志のものの集まりで、その内的規律は相互の同意によって調整される。」人間は事物に調和をもたらす社会的仕事に貢献する。


 神々もまた、トロイの時代には闘技場のなかに入った。バーディ氏はギリシャの考えとアメリカの考えを同一視しており、どちらも神を人間の召使いと見なしている。メナールはそこまではいかない。彼は神々を「慈悲深い庇護者」「友人」「兄」として迎えている。彼らは決して命令を与えず、常に助言を与えてくれる。人間が神託に頼るのは、「自分の行動をこの集団に合致させる」ためだけである。神々は人間に完全な自由を残していて、「とるべき方向」を指し示すだけである。かくしてすべてのものが結びつき、偉大な戦いのために融合している。「集団的行動」「事物の調和の社会的な働き」メナールにあらわれるこうした表現は形而上学個人主義のごく普通の補完物である。我々が名づけたところの集団的形而上学の意味合いである。


 多神論は本質的に寛容である。その教義は柔軟で多様である。一神論が「抜けるのに罰則があり不寛容」なのに対し、「多神論の本質は多様性で、宗教的に寛容である」。象徴の間には相違があるかもしれないが、等しく正しい。そこでひからびた統合ではなく、同盟や調和が実現される。こうした多様性のすべてに喜びをおぼえる詩人たちの神学的な教えは、とメナールはいう、自然そのものほど融合したものではない。「オリンポスの物惜しみしない受け入れ」からは、どんな存在も「世界偉大な共和国」から排除されないように、どんな神も排除されない。シナイをただひとつの神聖な山と考える必要はない。ヒマラヤもまた神々の住処である。「信仰はなぜ異なった場所を支配し、他を攻撃するものではないものであるべきではないのか。」啓示は「自然や人間の精神におけるように」多数のものであるべきではないか。


  かくして我々は美への通じる道を発見する。メナールはミュッセの悲しみを思い起こしているように思える。「世界は」と彼は書く、「もはや神的な生命のすみかではない。」彼は「金の星々、大きな青い空、深い海、広大な宇宙の輝きが永遠の法則を目に見える形にしたもの、神々の生きた身体であった」ときのことを悼んでいる。ユダヤ教の一神論は芸術を禁止し、拒否した。トルコ人は世界中に偶像崇拝の禁止を打ち立てた。実際、造形芸術は「神的な諸形式の、「神的なタイプの多数性を要求するものである」。


 かくして、芸術の光のなかで、生、行動、寛容の道徳に信を置く行為、光を投げかける多神論を終焉させた。


 この多神論の背後に、一神論においてみられるような物質と精神の単純な二元論を見いだすことができると考えるのは間違っている。メナールが、ルコント・ド・リールにおいて親しく、多様な形をとっていた汎神論を完全に避けることはなかったということは大きな真理かもしれない。彼は「自然の親密で神的な活動」について語ったが、ある意味それは多神論的というよりは汎神論的ではないだろうか。また、ギリシャ神学の運動や生命にどんな感傷をもっていようと、ルコント・ド・リールよりもずっと大きな視点をもち、人間に対する神の優越性は神々が神々であることにあると語っていた。反対に、人間は、諸事物(それは彼流による神々の翻訳なのだが)「諸事物の基本的な原則であり。変化することも滅亡することもない。自らを与えることなしに貸し与え、諸事物と同様に生命がなく、あらゆる生命を保持する。かれは「不動の領域」として「純粋な観念の領域」を想像した。


 彼は静止しているがゆえに夏の光を愛した。時を重視する多元論者であったが、彼には時間の感覚は欠けていた。


 メナールは弟子をもっていた。定期刊行物『カンディード』には、共和主義者たちが多神論の擁護者として集まった。しかし、とりわけ、ルヌヴィエの影響を受けていたが――自由の概念、すべての道徳の根本にある自由で合理的な慣例、矛盾の原理に対する絶対的な敬意など新批評によるもの――今度は彼の方がルヌヴィエに相当の影響を与えるようになった。


 ルヌヴィエは、『論理学についてのエッセイ』のはじめには、「私は紛れもなくカントの後継者であることを告白する」と書いていた。しかし、同時に彼は自らをバークレーとヒュームの弟子だとも言っていた。彼らから彼が主として取り上げたのは、実体や因果の概念であり、彼によれば、それによって我々はあらゆる必然的に思われる偏見を脱し、真の哲学を打ち立てるために欠くことのできない現象の普遍的な自由と解放を得る。「ヒューム的な現象主義は、新批評によって守られるべきだ」と彼は宣言する。 観念論的な現象主義の背後にあるもの、つまり、思考が現象であり、現象が思考であるということは明白だろう。 「私は『表象』は『表象』に過ぎないと断言する。それを自己のうちにあるものとはしない、というのも実際どこか他のものであろうからだ。」我々はジェイムズがまさしくこの理論を根本的経験論に含めていることを見ることになろう。ジェイムズは、「私の主体についての学説にルヌヴィエに負うている。私が理解するところでは、ルヌヴィエは、、いまも、あるいはともかく過去においては、率直な現象主義者であり、もっとも厳密な意味を否定しようとしたものだった。」といわなかったろうか。


 ルヌヴィエは実証主義から「根本的な公式」、知識を現象の法則に還元することを受け入れ、カント主義からはカテゴリーと形式の観念を受け入れた。形式なしには、法則、関係、現象は非存在物である。ロッツェとよく似た用語で彼は言っている、「いたるところに相互に影響し合うものが存在し、別々の実体はどこにも存在しない。それらの法則、形式、関係そのものは現象に還元できなくとも理解可能なものであるが、現象に固有のものである。」関係は「カテゴリーが抽象的な融合をする共通の形式である」。「現象はお互いに関係する表象にあらわれている。多様に集合分けされ、限定されているので、それらを定義するためには、その関係を抹消する可能性がある。存在は現象の集合や関数を除いてはあらわれ得ない。現象とそれを結びつける法則、それ自体一般的な現象の種でしかない法則なしには、知識の対象としてなにも認めることはできない。 」ここではより意義深い一説がある。「この観念論は、観念を解き放ち、溶解するものではなく、それ自体総合は不可能だと宣言する現象だけを構成要素として知ることになろう。抽象的な一般的用語を根本的な観念と見なすこともない。観念論は現象を、総合がもたらす法則から切り分けようとしない。」明白は自覚はなしに、カントから間接的に生じたものを通じてであるが、ジェイムズの経験論はどんどん深化していっている。


 「この上なく明瞭な観念を持った作家」とジェイムズはいったが、ルヌヴィエは、メナールが事物を照らし出すことに魅了されたように、観念を明瞭にすることに魅了されていた。彼は「物事を融合することが明晰さを覆い隠してはならない」という原則を主張していた。ある種の心的な保留によって、統合に向かおうとする形而上学者を駆り立てる欲望に身をゆだねることを拒んでいた。


 とりわけ、ルヌヴィエは現象に差異を見ていた。「通常の人間も哲学者も、自分の印象を信用すれば、自然にあらわれるあらゆる差異に鋭くうたれるに違いない」と彼はいっている。世界の歴史はあらゆる方向を指し示す多数の砕片である。カテゴリーに関する新批評の理論は、一つの見方からすれば、多元性と非連続性を述べているに過ぎない。そして、時間の非連続性に関する説は、この多元的な世界をさらに切り刻み小分けにする。


 ルヌヴィエは多くの場合、具体的なものにとどまることに不安だった。この点に関してもジェイムズよりも優れているが、彼は「実在への接近の程度とされるものが、抽象の想像的な領域、概念のうちにある実在の性格が消え去ることによって測られる」と語っている。


 この具体的な想像力が、彼をして観念的な状態における宇宙論的進化の始まりについての仮定を創造させるに到った。ジェイムズはこの厳密な観察と具体的な想像力との融合を他の点でも認めていたが、ルヌヴィエが『自然の原理』の最後に付け加えたエッセイを評価した。実際、新批評はルヌヴィエがフーリエのなかに発見した果敢な創案を好んでおり、ルヌヴィエは常に曖昧な統一よりも、具体的な諸事実の多数性を見いだす果敢な学者を評価していた。プレモントヴァル、ロビね、次にフーリエといった人物たちは、ルヌヴィエにとってジェイムズにおけるフェヒナーのような存在だった。


 ジェイムズは、哲学的教義と、哲学者の気質との間に関係があることを主張することを好んだ。似た傾向がルヌヴィエにも見られる。哲学的ジレンマでさえ――いや特にそれだからこそ――それを純粋な形而上学として扱うものは、より悲劇的で、二種類の魂の間で選択することを強いられている。「神的な統一の支配という魂を選択したものは、無行動になりがちであり、自分たちがおらずともすべては生じ、自分たちは考察し崇拝するだけだと望んでいる。彼らが付け加えるべきことは、多くの迷いと幻影を取り除くこと」にあり、それが他者に対する責任である。ジェイムズがルヌヴィエについて語ることは、原因のないことではない。ヘーゲルの理論と、存在の融合についての教義は、ルヌヴィエは、知性主義者がすべての神秘主義者に感ずるのと同じ反発を感じていたし、行動の人間たらんとする「プラグマティスト」は行動への力を考察し、意志することに必然性を感じていた。


 ルクイエは彼に自由の問題の重要さを感じさせた。「なんたる驚異、人間は慎重に事を進め、神は待ち受けている」。我々の宇宙は絶対という閂に繋がれている、とルクイエはいった、そしてこの閂は神の影を生みだす。それは絶対を破壊する。ルクイエの宗教的魂は神秘の手前までもたらされた。そうしたことはメナールの理論に解決を見いだしたルヌヴィエにはないことである。


 四十年もの間の友人である神話学者との会話やその著作によって、彼は個人主義の倫理と形而上学の双方を採用することに新たな動機を見いだした。M・フィリップ・ベルスロは、ルヌヴィエが「自分がある時期多神論者であった」というメナールの考えに「衝撃を受けた」と主張している。この影響には疑いが投げかけられている。この影響は疑わしい。実際、ルヌヴィエの哲学的、政治的観念は、メナールの助けがなくとも一般的に多神論の形になっただろう。しかし、ルヌヴィエが「存在は法である」と主張し、「我々が神を知るのは、継続的な存在の目的を調和させるこの特殊な方の存在によってである」と続け、メナールによって書かれたような文のように、「意識と都市国家の一般的な法則」、そしてギリシャ人を、「個別に法の観念を自覚していた者たち」と見なすとき、そうした観念はメナールが与えた形式をあらわしているように思える。メナールのように、ルヌヴィエは神学的形式と社会的形式を対応したものとし、絶対的な「世界の王」と戦い、「修道院的禁欲主義とグノーシス的二元論」を印象づける。ルヌヴィエはギリシャの神的世界を「人間の姿をした敵対する力が戦い、自由意志或いは、秩序ある理性的な存在のみが調和をもたらしうる」ものとして描いた。後に、一時的に、「宇宙のギリシャ的観念、諸力の戦いと均衡の観念」を採用した。実際、神的な世界の下には、人間の世界でも、同じく自由な戦い合うが均衡を自らとる力を認めた。そして、ルヌヴィエは、政治的原理が提起したものによって神学を判断させようとするだろう。彼はヘレニズムにまで遡行し、「メナール氏が言うように、純粋な道徳観念の起源」を主張する。キリスト教の聖人たちを神の仲介者として重要性を付与し、或いは、「生きている」世界(生きている神々)では、宗教は自然に一神論からある種の多神論に移行するという特殊な点を認め、ルヌヴィエの考えとときにはそのスタイルもメナールに近づく。それ以上に、メナールがルヌヴィエにもっとも強い影響を与えたと決定づけることも可能である。『心理学エッセイ』があらわされた時期である。


 こうした多様な影響、そしてそれ以上にある種の哲学的問題への考察(無限の問題、自由の問題)などが、ルヌヴィエを自らの出発点であるヘーゲル主義を決然と捨てさせることになった。「私の考えは完全な混乱に陥っている・・・」と彼はセクレタンに書き送った、「私は常に熱烈な探求者であった」。多量の努力の末、彼は三つの形而上学の巨大な偶像をふるい落とした、「実際的な無限、現象の実体、継起する諸事物の絶対的な結束」である。


 無限、実体、必然性というこの三対の幻影を一度排してしまうと、汎神論、無限や必然的実体の崇拝はもはや可能ではなくなる。哲学的絶対とは曖昧な観念であり、それは、無限への神秘的な熱情に論理をまとわせ、きらめくような詩への人間の欲望、東洋の宇宙論的な夢の助けとなるものだが、それは我々を矛盾の流れに連れ去り、「普遍的な主体という到達不可能なもの」の方向に導き、そこで我々が見いだすのは純粋な存在と純粋な本質、つまりは「完全なる存在と本質の空虚」である。


 汎神論は時間という考え、或いは時間の娘である自由なしでは考えられない。一神論は「常に変わらぬ仲間として」決定論をもっている。観念を創造するのは自由であり、観念の教義というのは、それが汎神論と呼ばれようと唯物論と呼ばれようと事物の教義とは対立し続けるだろう。人間を創造するのは自由であり、世界において唯一の新の抵抗地点である。「本質的な個別性」を否定することは、あらゆる現象を幻影と見なすもっとも悪質な現象主義に通じる一神論にいたる。ルヌヴィエとメナールの見解によれば、それゆえに絶対の哲学は政治的絶対主義を歓び、ルヌヴィエが唯一論と自由の理論の選択を尋ねるときに提示するのは二つの政治形態の選択である。我々は「天界の独裁体制」、「神権政治の構築」を知るために、「世界の存在のなかで唯一の王たる権威をもつ」ものに従うのだろうか。


 「哲学的絶対」と戦った後に、ルヌヴィエは「宗教的絶対」と戦った。一神論的な人種は「規範的な旗を打ち立て、私は私である、神以外の神は存在しない」と掲げる、と彼は語っている。一元論と同様、一神論は「存在の吸収」において非実在に達し、矛盾の上に成り立っている。


 実体――絶対によって提示されたカテゴリー――の観念や汎神論がばらばらになるだけではなく、統一の観念そのものが破壊される。この観念は不毛であり、「数、関数、競い合う諸力の関係のどれも」説明しない。原因に関しても、意識に関してもいかなる完全な総合も不可能であり、というのも、単一の意識は自己と非自己とのすべての相違を追い払えないだろうし、諸事物の単一の総合の主体は対応するような可能な概念をもたないからである。その上、あらゆる個的なものは不可避的に一度は絶対に「吸収され」それから承認されることになる。


 「私の意識は一元論の全くの幻影よりもこの哀れな個を好む」とルヌヴィエはいった。個にその権利を取り戻そう、「分配しよう」、一元論によってある種のものに排他的に属すると見なされたものをすべての存在で分かち合おう。それぞれが原因において分かち合えば、結果においても分かちあることになろう。


 個別性は、たとえ我々がそれを単一の存在によって創造されたものだと知ったとしても、「別々の存在」である。一度創造されると、彼らは一個のものとして存在する。個人は彼自身のためにあるのみである。


 個は時間のなかにおり、至上の個である神もまた同様である。至る所で「法の秩序が生成し、発達する」。あらゆる存在が生成する。実際、ルヌヴィエは個への信頼と時間への信頼が密接に関連していると考えている。ジェイムズが観察したように、彼は時間の背後にあるより深い実在を探求することを拒んだ。そして、時間の深遠な実在を認めることは未決定な現象が可能となる。それ以上に、時間は本質的に非連続的である。『哲学の諸問題』のジェイムズのように、ルヌヴィエは『第三エッセイ』のなかで特に、時間の拍動、持続のなかで突き通される非連続を描いた。


 もともとはルクイエによって形成された議論と心理学的分析の助けを借りて、新批評は自由を証明する。実際、自由は個の観念、時間の観念のなかに含まれている。絶対的な始まりが生じたかもしれない。絶対的始まりは差異の特殊なしるしである、とルヌヴィエはいう。異なった存在ばかりではなく、そうした異なった存在が常に新たなものとして生じうる、というのが、ジェイムズとルヌヴィエの哲学に共通する。「自由について語ることは」と『信ずる意志』のなかでジェイムズはいう、「カリフォルニアに金を運ぶことだ」。彼は自らの先達として、非決定論の師としてルヌヴィエを引用する。ルヌヴィエは彼に活動の原理の宇宙的な重要性を証明した。


 ジェイムズとルヌヴィエの一致点は単に理論的なものではない。ほとんどプロテスタント的なルヌヴィエの調子と幾分ピューリタン的なジェイムズの調子とは共通の響きをもっている。


 自由は努力によるが、個人の努力だけではない。ジェイムズ同様ルヌヴィエにとっても、努力をする個人のなかに、世界が努力をつくりだす。絶対的な始まりは宇宙的に重要な点である。ジェイムズはそれを宇宙の歴史の「転換点」と呼ぶ。そして、ジェイムスのように、創造的自由について非常に強い感覚を持っているので、彼は我々を取り巻くすべての外的な事実に大きな圧力を感じている。世界はときに、自由な行為をやり過ごしてしまう悪徳に比較される。「ある一点においては絶対なこの力以上にあらゆる方向から制限をかけ、圧力をかけ、人間にとって生か死かの問題になるものはない」。彼は再び「あらゆる側面から欲望や決定を包み込み、含み込む決定論の広大な領域」について語り、それは諸目的を越えたところまで「たどり」、「偉大で不可避的な目的」を遂行する。この自由の概念は宇宙の力のなかでは脆弱なもので、死の責務のもとに使用されねばならないものであり、この厳しい形而上学はジェイムズに似た生の悲劇的な見方に達する。


 哲学者の不安は、この自由は善の最終的な勝利にかかっているという見方に大きく関わっている。神を越えていくものは悪魔である。ルヌヴィエはプルードンとともに、ユーゴーマニ教的な見方に同意し、ライプニッツの楽観主義を「厭わしいもの」とする。悪は存在する、「行為者にも悪が、他者にも悪があり、最初は偶然的にあらわれるが、再生産によって深く根づくようになり、血や社会的関係に自然に結合する」。カントとともに、彼は根源的悪を信じ、プルードンとともに我々の種族の有罪を信じている。彼に従えば、失墜は批評の必然的な仮定であり、実践的な理性の四番目の仮説である。ルヌヴィエを解釈してジェイムズが言ったように世界は「真に道徳的」である。「真に悪であるなにかが存在するのが世界である」。


 かくしてルヌヴィエは楽観主義者ではなく、ジェイムズがとった言葉を使用したかもしれない。彼は現実には改良主義者である。新批評は必然的進行を訴えるあらゆる形而上学に対立する。熱心に彼はそれを行い、そうした最終的帰結に向かうヘーゲル哲学を事実と力に対する異教徒と解釈し、しかもそのもっとも大きな暗鬱な崇拝でしかないとした。他方において、彼はあらゆる絶対的悲観主義に対立している。ジェイムズが言うように、ルヌヴィエは多元論によって悲観主義から自由になり、「それを信じることで、世界における個人間の争いの助けとなり、人々を救うにはこの問題の解決にしかないと」としている。


 これだけでは、我々は新批評における神の存在と概念の問題を検証できない。一つの神が存在するのだろうか、或いは多くの神々が存在するのだろうか。ここで、我々はメナールとルクイエはルヌヴィエの思想の二つの対立した側面を代表しており、前者は多様性と多神論への愛を、後者ではルヌヴィエがいうように、「彼の目には宇宙における自由な存在は、自由は創造者の贈与ではないので、ある種の悪魔主義、或いは悪魔的規則を構成する危険がある」。


 『第一エッセイ』のなかで、ルヌヴィエは実際この問題を提示している。彼は躊躇しているように思える――またそのように主張している。この特殊な姿勢は、言葉の最良の意味において、ある種の超越的な問題を前にした批評に特徴的である。彼は肯定もしなければ否定もしない。彼は疑いのなかであきらめているのではなく、探求し、教義の原理と帰結を見やっている。ルヌヴィエは、多元論は事実、「現実の総合が意識の多数性を認める」のであるから矛盾になるとはいっていない。また、多数性を仮定することは存在を明らかにする利点をもっている。最後に、論理学の法則と経験のデータと整合性をもち、我々の経験の諸条件を正当化するのに適切でもある。我々は彼が多数性の形而上学的教義に進んでいるように見る。


 神の意識に多数性は存在するのであろうか。ルヌヴィエはここですぐに「世界における異なった意識の原始的な多数性についての仮説」を考慮する。これは唯一の合理的な仮説であり、多様な実際の意識を含んでいるように見える。彼は共和主義と多神教との結びつきを指摘し、メナールとフーリエ社会主義的理論に影響を受けた宇宙の社会的概念を自身でつくりあげる。


 しかし、議論はフーリエ――一神論にとどまった――よりも、メナール――多神論にとどまった――を越えたところまで彼を導き、プルードンの観念の影響が見て取れる、彼自身が言うところのある種の無神論的多神論に向かう。彼はプルードンから「無神論的」方法を採り上げそれを適用したのではないだろうか。プルードンはそれ以前に神の至上性と「世紀から世紀へ、危機から危機へ繰り広げられる道徳性」との戦いを指摘していなかっただろうか。ルヌヴィエが次のように語るとき、プルードンの革命的な声が聞こえないだろうか。「我々は原始的な無知と野蛮にあるとき王位を立てたが、後に、良心、必要な観念、周囲の現象などからより確実に行動を導くことを学んだ」。また、とりわけ、「無神論――自由な人間が唯物論的或いは汎神論的な偶像をともに投げ捨て、天上の王であり、地上の王たちの最後の支えである絶対的なものを王位から引きずり下ろす――が真の方法であり、理性に基づく、実定的なものである唯一のものである」。そしてルヌヴィエは、少なくともここではプルードンに倣って、「真の無神論は決して真の有神論を排除するものではない」と宣言する。


 ここでルヌヴィエには「存在の自然で無限な社会」、自由になった現象、多数の神々、地上のオリンピアしか残されていない。


 超越的な疑問に絶対的な肯定をすることに敵愾心を持つ彼は、他の様々な解決に門戸を開いておくという事実に多数性という観念の大きな優位性を認める。しかし、彼は多数性の教義が問題を解決しない、世界に統一や調和があることを説明しないという考えに引き続き悩まされていた。


 『心理学エッセイ』ではプルードンの影響は以前よりは少なくなり、メナールの影響が支配的になっている。しかし、思想の本質的な部分は同じである。多数性の教義は共和国的観念の帰結である。彼は「我々が知る人間存在」と類似した神々を、「異なった神々の系譜」、「独立した諸社会」を信じている。世界は「諸存在の共和国」である。そしてルヌヴィエはそうした制度をフランスに、いまの政府に適用することを夢見ていた。彼は「それ自身においてある政府」を語っている。


 神々のような人格とは誰だろうか。メナールの言葉で言えば、神格化の階段を上るものだろうか。そうであるかに思える。ルヌヴィエは多数性の原理を「人格の不死化の論理的帰結」だと見なした。メナールとともに、彼は「魂の神格化」について語る。メナールのスタイルにヒントが発見されるようなスタイルで、彼は書いている。「生と美徳が進めば、宇宙は神的な人格に満ち、そうした尊敬できると考える性質や、神聖なものだと考え得る作品に対して、古い自発的な意味での宗教に対するときのように忠実になるだろう」。メナールとともに、彼は「自由を通じて正義に、正義を通じて神聖に、神聖を通じて神的になることが可能な世界の法則」を考えていた。しかし彼はまた、天界は生得権をもった神々以外誰も入れないものであることを理解していた。この問題に直面し、彼は新批評を留保した。彼はまた、神々の社会における位階の存在についても留保することを主張した。彼はメナールの位階のないオリンポスと「単一の人格に聖なる権威」を認めることでためらった。問題は自由な行為によって解決されるべきだと彼は考える。答えは「我々自身にかかっている」。


 少なくとも、多神論は寛容の学派である。それは理性と想像力の自由な発達を許すことを我々に教える。なかでもそれは行動の教義である。人間本性は「すべての絶対的至上権から解放され」人格を高める――それが多神論の帰結である。そして遠くに、理想として、「世界のすべての住人」の普遍的な共和国がある。


 いまだ、ルヌヴィエはメナールのように、多神論に確信を持てる時期ではなかった。基礎的な哲学の問題について、少なくとも我々が研究している時期の彼は懐疑的なままだった。最初から、彼は諸存在の数と関係についてほとんど何も伝えてくれない限り、「多数性の教義」は通常懐疑的なものだといっている。しかし、それ自体は非常に確かな教義ではないだろうか。多数性と統一性について、ルヌヴィエは二つの可能で妥当な心的傾向をもっていた。彼は出発点であった懐疑主義に帰る。


 一言で言えば、彼は、ジェイムズがそうであったように、問題を解決する方法は気質と宗教的信念にあるのだと確信していた。「こうした諸問題を順序づけ自己決定する動機はもはや同一の一般性でははかれない。」彼はただ「ある哲学的信念の道徳的蓋然性」を定めることだけを望んだ。そして、この蓋然性は哲学よりも宗教の歴史と批評により依存している。


 『分類』における彼の考えをたどってみると、彼は自分がある時期において明らかに多神論者であったことをほとんど覚えていないように思われる。彼は自分自身を単なる懐疑主義者と考えている。「この原理の統一と組織的な多数性との選択は批判的方法によって無理に行いうるとは思えない。」彼は『第一エッセイ』の終わりから出発し、『第二エッセイ』は宙づりのままに残しているように思える。すっかり彼は多神論と懐疑主義を結びつけている。


 多神論はルヌヴィエの哲学の最終面ではない。すでに最初の二冊のエッセイ集に新たな単一主義の萌芽が見いだされる。神格化によって数多くの神々が宇宙の至上の王として天界に住まうものとの共存が認められるなら、統一と多数性の教義とは互いに排除し合うものではないと考えていた。


 懐疑主義によって知識に制限を設けることは広がり始めていた。ルヌヴィエは、相当な躊躇のすえ、批判的な見地からとはいえ、統一の観念の価値を理解し始めた。「精神の諸法則の統一を観念論的に考慮すること」、世界の諸法則と同一なものである統一、現象の二つの秩序の上に至上の精神による統一を含めること、最初に宇宙の始まりがあり、最終的に道徳的観念があるという主題、そのすべてが彼が統一を信じることに導いた。


 彼は相対論的な精神によって捉えられた新たなモナドジーのなかで統一と多数性とを融和させようと望んだ。実体的な原因についての観念の消失、その諸性質によってモナドを、現象によって存在を定義すること、それらが彼を本質的には偶然的なものにとどまっているモナド間の予定された調和という観念に導いた。


 しかし、ルヌヴィエはこのときはこのモナド主義を採用しなかった。セクレタンがいうには、彼は意図してしないでは問わず、さまよいながら一神論に向かっていた。実際、『エッセイ』のなかでルヌヴィエは、単一の神に対する信仰と道徳的秩序についての想定を結びつけ、ある種の自然宗教を基礎づけようとしていた。より特化して、『分類』のなかでは、ルヌヴィエは「単一の最初の意識」のなかの「一般的な表象」に、個別な表象の原因を、世界の調和の正当化と理想を保証するものを見いだそうと努力している。かくして、彼は宗教の方に決定的な一歩を、「今回は」キリスト教の方に踏みだしたと宣言する。神は「道徳的に完璧であり、非常に強力な人格」で、対象が主体と異なるように世界とは異なっており、被造物と同様有限であり、空間と時間のなかに存在している。


 より正確に言うと、彼の神は人間と類似した存在と考えられていた。『第一エッセイ』のなかで彼は、神人同型論のなかに法外なものは存在しないと宣言し、『心理学エッセイ』では実際には「広く知られた神人同型論」を好んでいるといっている。この「価値ある神人同型論的信仰」は彼にキリスト教との、真正の「宗教的人間」との同意をもたらす。


 ルヌヴィエは、いまや創造という観念は批評に敵対するものではないと知っている。


 しかし、たとえ彼が創造的な神を認めたとしても、宇宙のある部分では「自由な存在の自由な創造者」だと見ている。そして、そうした存在を考え、神は「ある種の」数を吹き込むだけなのである。神の下には他の人格の活動があり、それらは神でなければ、いずれにそても人間である。


 イギリスの著者は、シラーの言葉を使って、「当時の主意主義、人格主義を力強く鼓吹した思想家である」とルヌヴィエを見て取ることを正当化している。あるいはリチーに従えば、「カントの教義を修正して、ヒュームの多元主義と現象主義と一緒にして」普及することのできた哲学者である。彼の教義は徹底した多元主義である、とリチーは続けている。『新モナドジー』は、シラーには真正な多元論的形而上学の方向をとった努力だが、いまだライプニッツ的でありすぎることは間違いないのように思われた。しかしルヌヴィエが、その著作で彼のもっとも深い思考と響きあう概念を発見し、「独創的で深みのある哲学者」であると称賛をもって語られることは間違いない。彼の批評によって形づくられたジレンマの必然性をもっともよく理解することができ、ルヌヴィエの選択を傍らに感じていたのがウィリアム・ジェイムズだった。「ボナパルトがヨーロッパの未来は共和国となるかコサックになるかと宣言したように」と彼は言った、「単純化を極端にまで推し進めると、未来の哲学はルヌヴィエのものとなるかヘーゲルのものとなるかであろう」。ジェイムズはルヌヴィエの哲学をなんだと見なしていたのだろうか。とりわけそれは現象主義であり、絶対的な新しさを肯定し、「有限な法則で関連づけることによって簡約できない多元論を受け入れる」ものだった。それは時間の不連続性に関する理論であり、ある種の経験主義である。一方にヘーゲル的な理論があり、他方に、常に同一性、矛盾、排中律の法則を尊重しながらも、不連続性の、還元することのできない多元論の肯定に達し、ジレンマを伝える教義がある。我々はどちらかの側に立たなければならない。ジェイムズはルヌヴィエを選択し、ロッツェやシグワルトの伝統を引き継ぎながら同時に新批評の伝統を、より極端な経験主義の形で受け継ぐことに決めた。彼が引き受けた新たな扱いと発展についてはすぐに見ることになろう。


 ルヌヴィエを読むことは、父親への手紙に見られるように、彼にとっては一つの啓示だった。ヘンリー・ジェイムズはいつもより上機嫌で、自信に満ちた若々しい生理学教授にたまたま出会った。「私はその変化の原因はなんだと思うかと尋ねた」、ジェイムズが最初に言及したのがルヌヴィエの著作、特に「自由意志の擁護」について読んだことだった。


 あるアメリカの哲学者、ラブジョイ教授は、ジェイムズがフランスの哲学的伝統とアメリカの伝統の双方に属していると述べている。「彼の人格やスタイルはアメリカでは特殊なものだが、少なくとも形而上学の専門家として、フランスの時間主義の使徒に属することは確かである」。(1)

 

(1)ラブジョイ『哲学的レビュー』1912年16頁。

 

 観念を深め、新たにしていく上で真の啓示を、後にベルグソンの作品と接したときのように、彼はルヌヴィエの作品から受けた。

 

 

第四章 イギリスとアメリカの影響

 

 「バークレーに帰れ」、「カントはもういいからヒュームへ帰れ」とプラグマティストはいう。「哲学的進歩の真の方向は」とジェイムズは書いている、端的に言って、我々が現にあるように、カントをめぐってでも、彼を通じてでもないところにあると思える。哲学は彼を完璧にうまくかわし、より古いイギリスの伝統を直接に引き継ぐことでより適切なものに仕上がることができる」。ヒュームは今日の我々を十分に満足させない。しかし、もし我々が彼を修正しなければならないとしたら、彼の弟子であるままそうすることができ、「カントを避けるための手管」を考えなくてもいい。


 プラグマティズムは新バークレー主義、新ヒューム主義と呼ばれている。始めに、我々はプラグマティストの「観念的リアリスム」に向かう傾向について記しておいた方がいいかもしれない。ルヌヴィエが「イギリス経験学派の観念論」といったときに意味したものである。ヒュームやバークレーのように、イギリスとアメリカの大多数のプラグマティストが唯名論者である。物質、原因、曖昧な統合などはバークレーの精神からは消え去り、彼の想像力が感じることのできるもの、「特殊で具体的なものそのもの」といった個別な諸現実からなる生きた世界以外の何ものも残らなかった。ヒュームは、経験論やデカルト派と同様に、巧妙な弁証術で、あらゆる現象は実体であるという考えを提議したときには、単にイギリスの教義の帰結を導きだしたのだった。ヒュームとシラーの教えはこの問題に対して同じように答えている。一般的な事物、抽象的な事物は存在するだろうか。リチーはある程度、ヒュームの多元論について語ったことを正当化される。