ケネス・バーク『恒久性と変化』41(翻訳)

リヴァースによって報告された事例の検証

 

 マクドゥーガルのように、リヴァースもフロイトが機能不全の「心因性」についての研究に与えた刺激に大いに敬意を払ってはいるが、あらゆる動機の起源を性的なものに求めるフロイトの試みの妥当性については疑問を呈していた。そうした説明は平和時の神経症に関してはうまく当てはまるかもしれないが、彼のもとに来る「シェルショック」で苦しむ患者の多くはほとんど、或はすべてが、それ以前の性的な異常や偏りは見られなかった。リヴァースは、非常に組織だった虐殺とそれがもとでグロテスクな苦しみを生んだ第一次世界大戦のような顕著な惨禍は、それ自体で心的混乱の充分な要因であろうと感じた。従って、彼は神経症の「トラウマ的原因」を戦争状況そのものに求め、それを頻繁に見いだすことになった。


 しかしながら、『本能と無意識』という著作では、彼は少々異なった事例に大きな割合を与えている。患者は、砲撃や陰惨な条件下での攻撃といった特殊なトラウマ的状況にいたわけではない――実際は、戦争が始まるずっと前から彼は閉所恐怖症に苦しんでいた。閉じこめられると、彼は居心地の悪さが深い不安や恐怖にまで達し、それに圧倒されるのだった。時が経つうちに、自宅の部屋などの馴染みのある環境についてはこの感情を支配するようになったが、塹壕での生活が最も強い形でこの感情を復活させた。地下壕に入るときの彼の恐怖は、より正常な感覚を持つ他の者にとって地下壕にはいらないことの恐怖と同じくらい大きかった。患者の健康は最終的にひどく悪くなり、フランスの病院で何週間か催眠療法もされたのだが効果がなく、ロンドンに送られリヴァースの治療を受けることになった。


 自身医者であり、フロイトの理論に関心をもっていた彼は、この恐怖症の原因を子供時代に探す試みに協力した――そして、夢の注意深い記録と分析の後、最終的に、まったく忘れていたある出来事を再構成することになった。四歳のとき、「怖がっていた犬に追いかけられ、逃げ場のない狭い露地に閉じこめられた」ときのことを思いだした。だが、この経験の記憶は長い間完全に忘れられており、リヴァースの周到な心理学的技術を待って始めて取り戻されたものだった。リヴァースはこの事例を、我々は「日常においては意識から閉めだしている」意味深い経験を有しており、そうした経験は根本においては我々の生活に影響を与え続けていることを証明しているのだとした。閉所恐怖は幼児期の経験とのある確かな関係を示しており、この経験の記憶が意識の表面にあらわれたときに完全に消え去ったのである。


 意識的生活からこの経験が「抑圧」されたことを説明するために、リヴァースはフロイトの「積極的な忘却」という概念を借りている。この解釈によれば、生物は苦痛を避ける一手段として、忘却をもって攻撃的に出来事の周囲を固める。次に説明しなければならないのは、苦痛を避ける一手段がどうして長年にわたって苦痛を長引かせる要因になりうるかである。経験は、その最終的な影響のことは無視され、直接的に苦痛を与えるものとして抑圧された、と彼は言う。こうした抑圧はその瞬間の不快さを消すが、「将来の結果」については無視しなければならない。そこで、抑圧は安楽のために為されたにもかかわらず、最終的には不安を永続させることになる。


 この異常は決して十分に説明されてはいない。問題が特に困難なのは、抑圧が正常であり、有効に働くことも認められているからである。女の子の前髪のカールのようなものであり、うまくいったときには非常にいいが、悪いときには悲惨である。リヴァースは、記憶の喪失が苦痛の除去に成功した他の事例を挙げている。しかしながら、そうした事例とは対照的に、リヴァースの閉所恐怖症の患者は、プルースト的な一途さを思わせるかのように、三十年にわたって毎日子供時代の苦痛に満ちた出来事に忠実に反応し、似たような状況によって(地下壕の閉塞感のような)もともとの刺激が暗示されるときにはいつでも、そっくりそのまま最初の恐怖を再構築するのである。


 こうした深刻な反応は、恐らく二つのやり方で、つまり、突然にか持続によって確立される。「トラウマ」とは通常、ある意味が突然に確立するときに用いられる言葉である。恐ろしい偶然の出来事がトラウマ的である。心理学者のなかには「生誕のトラウマ」に大きな意味を与える者もおり、生物が至福の胎盤から離れ、気楽な生活を捨てて苛酷な戦いの世界に入っていくのは衝撃的な革命的経験だと述べている。衝撃を受けたときには、その後に続く状況も、連想によって衝撃を受けた経験と同じ意味をもつことがあり得る。提喩的に(「部分で全体をあらわす」原則によって)、この連想が経験の性質を回復するのに役立つこともあり得る。例えば、ある壁紙、ある声の調子、外科道具のきらめきが、その特別な経験とたまたま結びついていたために永遠にある「影響力」をもつこともあり得る。こうしたトラウマ的反応のさほどめざましくない例としては、突然開いたドアに足をはさまれた猫が、足音が近づくのを聞くとドアから離れるのを学ぶことにあらわれているかもしれない。


 より一般的な教育の方法は持続によるものであり、様々なパブロフ的、或はゲシュタルト的条件づけの技術に見られるものである。生のある時期に支配的な雰囲気を感じ、同じ時期を特徴づけていた音や臭いがその雰囲気を部分的に、或は完全に蘇らせるときにはそのプルースト的性格が見て取れる。


 我々は閉所恐怖症患者の苦しみについて異なった説明をしてみようと思うが、彼が子供時代に「学んだ」状況に対する常に代わらぬ反応は、記憶喪失の場合の忘却とはまったく異なるように思われる。それは苦痛を取り除きもしないし、子供時代に逃げ場がないことを知り、凶暴な犬に向かい合ったときの経験から得た「教育的な」効果をなんら無効にするものでもない。リヴァースは、彼が露地で最終的に犬に出会ったときに「真の」状況を得ることになると感じていたように思われる――まさしく過去を想起するプルーストのように、ティーカップの鳴る音を聞きながらかつての特殊な雰囲気を思い起こし、混じり合ってしまった経験の細部をたどり直そうとするのである。プルーストは記憶が形成された時期に生じた出来事をすべて思い起こすことでこの雰囲気の内容を探り、閉所恐怖症の犠牲者は、トラウマ的経験が形成されるときの細部を思い起こすのである。


 しかしなぜ、リヴァースは、根本的なトラウマが通りすがりの犬にあると明らかにしたとき、真実に行き当たったと信じたのだろうか。この暴露にどんな治療的価値があるのだろうか。なぜこのことが閉所に対する恐怖感を取り除くことになるのだろうか。なぜ閉所恐怖の起源を確かめることが、この人間を三十年もの間悩ましていた悪魔を追い払うことになるのだろうか。


 まず始めに、特に患者が幼児期の学習を繰り返し思いだすような場合には、抑圧をあまりに厳密な文字通りの意味で取ることを避ける必要がある。その学習(閉所恐怖症)はある事物(犬)に対する反応として得られたのではなく、ある状況、つまり、危険のしるし(犬)が目前にあり、逃げ場のない露地に閉じこめられるという状況に対する反応として得られた。患者の反応を考えるにはこれだけで十分ではないだろうか。ゲシュタルト派の実験で、ニワトリが大きな箱には餌があり、小さな箱は空っぽだと学ぶのと同じように、彼は状況の意味を学んだわけではなかったのではないだろうか。


 トラウマ的経験は患者の上にその痕跡を残した。閉ざされた場所と連想される意味が彼の心に強く印象づけられた。閉所は危険な性格を与えられ、そうした場所に入るときには常に不安を感じることになった。それ故、戦争という状況下での発作には正当性があることになる――というのも、閉ざされた露地の代わりに密閉した地下壕があるばかりでなく、犬に代わるものとして敵の接近があって状況が完全に再現されているからである。この恐れを伴った危険な状況への反応は、強さでは比較にならないが、母親の声の調子に安堵する子供と同じである。子供はそうした母親の声の調子に関する特殊な理解を抑圧しはしない。実際そうしたものとして気づかれることさえ決してない――結果的に、ほとんどの場合、声の調子が反応を引出しているのだと気づくことさえなしに反応しているのである。反応が非常に苦痛をもたらす場合や、反応するのがマルセル・プルーストであったときにのみ、そうしたことが問題となる。


 一方で、大きな緊張下にあるとき、注意の性質はどうなるだろうか。委員会に状況を報告するような場合にだけ許される詳細な調査記録のようなものだと想定すべきだろうか。非常に有益な『快と本能』という著作のなかで、A・H・バールトン・アレンは、実際の戦闘に始めて参加する直前の兵士の経験を記録したR・W・マッケンナの事例を引用している。塹壕に進むに従い、あらゆる感覚知覚がとぎすまされた。草はより鮮やかな緑となった。道端の花が常になく美しく思われた。鳥の歌声が新たな、より心にしみいる甘美さをもっていた。雲は単に白いのではなく、奇蹟のように白かった。登山家の記録を読んだ者であれば(アレン氏もその一例を引用しているが、私が思い起こすのは、普段は無頓着なのだが、このときばかりは雄弁になったギャレット・W・サーヴィスの血湧き肉躍る記録である)、見者の「ヴィジョン」というのは、単に景色から生じるのではなく、深淵の上のおぼつかない足元が常に呼び起こし続ける恐れから来るのだと信じるに至るだろう。


 我々が示そうとしているのは、問題は積極的な忘却にあるのではなく、まず注意の本性を含んでいるということにある。かりに抑圧を示唆する律法的な喩えから、焦点を示唆する光学的な喩えへと転換することを提案しているのである。突然何か興奮を引き起こすことが起こったとき、歯痛のような現実の出来事が数瞬の間忘れられてしまうように、恐怖という条件下では注意の性質そのものが変化する可能性を取り上げているのである。彼は歯痛の「痛みを抑圧する」ために「積極的な忘却」を行なっているのだろうか、或は単に関心の焦点が別の場所に移ったのだろうか。


 いずれにしろ、その可能性を信じるにしろ信じないにしろ、ゲシュタルト派のニワトリの実験が示しているように、生物は絶対においてと同様に関係においても条件づけられ得るものであり、逃げ場のない場所での犬同様、密閉された場所に閉じこめられることを恐怖のしるしとして反応することができる。この意味において、恐怖を経験した子供はその教えを学び、その記憶を三十年も忠実に保ち続け、九九の計算に自動的に答えるように、或は催眠術をいつもかけられている者が、医者がまったく意図していない偶然の動きによって眠ってしまうように反応をするのである。それは性質において隣り合っており、意識的に催眠状態を引き起こそうとする運動と同じ暗示内容を医者の動きが偶然にとってしまったのである。同様に、火傷したことのある子供は火を恐れるが、火傷したときの記憶を抑圧しているためではなく、その経験の本質を忠実に抽象し、それに従って新たな火の状況に反応しているのである。


 この解釈が正しいなら、症状を形づくっていた出来事やトラウマがあらわになるやいなや、患者が深い敬虔さで従っていた反応をあっさりと捨て、突然の回心をする理由も説明されるだろう。ここにあるのは誤称による悪魔払いの一例なのである。露地にいた単なる犬がこの悲惨な固着すべての原因だった!いい大人が犬をどうして恐れることがあろう!曖昧な物影が古いコートだと名づけ直された――悪魔は結果的に不敬虔な不調和によって追い払われたのである。