文楽の人形ーー和辻哲郎

 

文楽座の人形芝居

文楽座の人形芝居

 

 


 人形の肢体が紐であるということは、実は人形の肢体を形成するのが人形使いの働きだということなのである。即ちそれは<全然彫刻的な形成ではなくして人形使い的形成>なのである。この形成が<人形の衣装>によって現わされる。あの衣装は胴体を包む衣装ではなくして<ただ衣装のみ>なのであるが、それが人形使い的形成によって実に活き活きとした肢体となって活動する。女の人形には足はないが、たゞ着物の裾の動かし方一つで坐りもすれば歩きもする。この様に人形使いは、たゞ着物だけで、優艶な肉体でも剛強な肉体でも現わし得るのである。こゝまでくると我々は『人形』という概念をすっかり変えなくてはならなくなる。こゝに作り出された『人の形』はただ人形使いの<運動に於てのみ形成される形>なのであって、静止し凝固した形象なのではない。従って彫刻とは最も縁遠いものである。

 

一二の例を挙げれば、人形使いが人形の構造そのものによって最も強く把握しているのは、<首の動作>である。特に首を<左右に動かす動作>である。これは人形使いの左手の手首によって最も繊細に実現せられる。それによって俯向いた顔も仰向いた顔も霊妙な変化を受けることが出来る。ところでこの種の運動は『能』の動作に於て最も厳密に<切り捨てられた>ものであった。と共に歌舞伎芝居がその様式の一つの特徴として取り入れたものであった。歌舞伎芝居に於て特に顕著に首を動かす一二の型を頭に浮かべつゝ、それが自然な人間の動作のどこに起源を持つかを考えてみるがよい。そこに自ずから人形の首の運動が演技様式発展の<媒介者として>存することを見出し得るであろう。
 或いはまた人形の<肩の動作>である。これも亦首の動作に連関して人形の構造そのものの中に重大な地位を占めている。人形使いは例えば右肩を僅かに下げる運動によって肢体全体に女らしい柔軟さを与えることが出来る。逆に云えば肢体全体の動きが肩に集中しているのである。ところでこのように肩の動きによって表情するということも『能』の動作が全然切り捨て去ったところである。と共に歌舞伎芝居が誇大化しつゝ一つの様式に作り上げたものである。こゝでも我々は人間の自然的な肩の動作が、<人形の動作の媒介によって>歌舞伎の型にまで様式化せられて行ったことを見出し得るであろう。