ケネス・バーク『恒久性と変化』19(翻訳)

多様なロマン主義的解決

 

 温室のなかで再び古い結びつきを観察し、問題に突き当たる詩人もいる。彼らは古代地中海の伝承を思い起こす。アナトール・フランスのように、メランコリーとイロニーが混じり合ったなかで、「本の余白に走り書きをする」。選ばれた者たち、いまの風潮を嫌い、よりよい世界を攻撃的に象徴化することで、自分たちの嫌悪感を肯定してもらいたがっている、漠然とした量のXのために書く者もいる。それらに密接に関連してるのは、自分たちの心に耳を傾け、個人の生において避けがたく生じてくる結びつきを捉え、それが他の生と重なりあうところで結びつきを確立しようと望む作家たちである。永遠なものが急ごしらえに一晩で建てられ、過去を生き抜いてきた者の観点からすると、笑われるのが落ちな安普請を諷刺する者もいる。その時々の一般の関心に素早く合わせ、偏りを見越し、戦争時には戦争劇を売り、新聞が大臣とその取り巻きたちとのスキャンダルでいっぱいなら悪徳劇を売ることで自分の芸術を社会化する者もいる。それほどご都合主義的でない者は、新しい科学的発見を用い、遺伝の問題が広く語られ話題になっているときに、梅毒やアルコール依存症の惨禍を描きだすかもしれない。


 比較的テクノロジー偏重の西洋の侵害を受けていない地域で住んだり、以前には訓練されているというよりは無能だと考えられていた多様な集団――無法者、泥棒、木こり、娼婦、漁師、密輸業者、鉱夫、店員、闘牛士等々――から自然発生的に生まれてきた新道徳を明らかにし、利用することで新たな原始性を得ようとする試みもある。こうした新原始主義の別のグループは、否定し得ない普遍的な基盤として性的関心を強調する。


 問題そのものから出発することで問題と取り組む者もいる。彼らの芸術は芸術の方法論となる。恐らく、最も徹底的にそれを行なったのは後期のジェイムズ・ジョイスであって、心理学の実験室での調査にでもあたるような言語媒体の容赦のない崩壊の過程を示した。細かな部分で見れば、似たような傾向はナンセンスなコメディアンが口にする洗練され複雑な冗談にも認められるが、彼らの場合は恐らくはその刺激がより間接的で、実験室というよりは、応用科学で使われる資源の多くがそうであるように、転用といったところか。


 しかし、訓練された無能力という我々の概念は、この状況を逆転して見るよう我々を促す。詩のジレンマはなんらかの別なことの優位性として論じねばならない。ある種のコミュニケーションが崩壊すると、別の種類が廃墟の上で繁茂するだろう。


 この状況の肯定的な側面は、擬人化の少ないテクノロジー的な取り組みかたの発達に見られる。我々が書くものの語彙の変化がその証拠である。科学的用語は概念的で、命名する目的をもつが、コミュニケーションの自然発生的なシンボルは勧告、示唆、催眠を目的としている。直感的な定位によって大いに混乱した世紀が、かつてないほど言語の概念的な使用を発達させたのは偶然とは思われない。類似したものの微妙な相異、色合いの相似による混乱が、それに反応するより名づけることを我々に強いたのである。この世紀の主要な音楽でさえ心理主義的であり、表題音楽的な性質は、ベルリオーズの直截的で擬音的特性、ライトモチーフの使用で音楽的な命名に組織的に頼ったワグナーにおいて花開いている。示唆の威信が落ちるに従って、教育の威信が高まった。スタイル、美、形式――それらはいまや戦いを挑むべきものとなっている。或はそれらが有効なところでは、疑う余地のないほど極端で病的な反応を顕在化させるために多く用いられる。説得は安っぽい政治家のもので、修辞は虚偽と同義語となり、厳密な定義が理想となった。