ケネス・バーク『恒久性と変化』16(翻訳)

文学への影響

 

 こうしたことすべては、書くという職業に特有の職業的精神病質にどういった影響を与えるのだろうか。現在のところ、我々は三つのはっきり区別される解決法を認めることができる。感情、性、冒険、過剰、精神病などに取り組む芸術家がおり、というのもどんな職業も人間の身体に根づく部分が多い以上、多かれ少なかれそれらを共通のものとしているからである。他には、書くことが副次的にではなくそうしたこととともにある職業であるゆえに、フィールドワーク、歴史的心理学的調査、記録の捜索に赴き、新聞によって浮き彫りにされた問題を更に強烈にあらわす場合もある。一般的に、こうした傾向は、作家が他の精神病質に入り込むことによってより広いコミュニケーションを取るよう様々な経験を促すこととなる。他者の関心をある種バロメーターのように測ることに精通するようになる。このタイプは、ブロードウェイ・ドラマから、ハリウッドを通じ、単なるリポーターにまで及ぶ。


 逆説的なことだが、他とは異なる作家の特殊な精神病質が見て取れるのは、通常詩人たちを病的な特殊性に押し込んでいる批評においてである。しかしながら、それはエッセイ的なコミュニケーションの方法が、テクノロジー的精神病質とそれに付随する現象が概念化と情報提供に高い価値を与えている限りは正当化される。事実を伝え、概念的区別をする今日のコミュニケーション媒体は、スタイルによって機嫌を取り、説得や訴えかけを目指していた詩的媒体よりもよりうまく整備されている。


 デューイの職業的精神病質という概念は、想像的な上部構造が生産パターンからどのように生じるのか見事に示してはくれるが、批評的識別の基礎としてうまく役立てられるとは私は信じていない。というのも、別の精神病質が容易に想像できるからである。生存方法の相違が認められるところでは、それに応じた精神病質の相違があり、それぞれの特別なやり方でなにかに関心が抱かれるのである。