ケネス・バーク『恒久性と変化』80(翻訳)

 締めくくりにあたり、別の観点に立ってみるのがいいだろう。この後記はあちらこちらに眼をやっている。そのすべてを一度に見るには、リチャード・H・ブラウンによる『社会学のための詩学:社会科学のための発見の論理に向けて』(ケンブリッジ大学出版、1977年)に言及すべきだろう。私の本が「ヒューマニスティックなあるいは詩的な合理化」と称されているが(65ページ)、私の試験的な手探りから四十年を経て出版されたこの本は、非常に示唆に富み、幅広い知識が印象的であるが、本質的には私の本と同じ流れにあるものである。私の本が出版されてから書かれた数多くの本を探索した著者が私と似たような視点を取ってくれたことは、『恒久性と変化』が単なる博物館所蔵の本ではないことを感じさせてくれた(現在の空中走査線と比較した昔の望遠鏡のように)。


 ブラウンは広範囲に渡る問題を扱っているが、社会学という学科が多方面に分岐しうることを証明している。専門家による数多くのテキストは、各断片に焦点を当てることで専門化するだけではなく、それぞれが弟子をもち、彼らがそれら下位区分をより発展させ、それぞれの仕事と著作によって方法論を洗練させることで、断片化はしばしば多様な「学際」となって拡がることにもなる。広範囲に渡る概観とともに、専門的な自己批判も含めて方法論に関わる論争に伴う様々な姿勢の移り変わりについても豊かな感受性を示している。彼が用いる資料の多くは四十年前にはなかった出版物である。また、それ以来感じ声にしてきた私の発言の多くが有益に言い直され、ブラウンの本で注釈されている。


 ブラウンの「詩的」が体現している立場は「象徴的リアリズム」と彼によって言われている。私が結果的に「ロゴロジー」の「劇学」と名づけた立場は既に『恒久性と変化』及び『歴史への姿勢』にあらわれている。どちらの立場も「シンボル学」のもとに分類されうる。その相似を論じてみよう。しかし、まず、私が重要な相違と考えるものについて言及した方がいいかもしれない。身体を「個別化の原理」として強調する私のやり方は、彼の「象徴的リアリズム」と直接対立はしないまでも、言語を学ぶ身体という私の定義にとって最適な考察をともにすることはない。個別化の原理(中枢にある神経組織に基づく)は、純粋に生理学的な有機体としての我々が非象徴的な運動の領域で経験する「一時的で、直接の」感覚と、象徴体系の学習によって獲得される「現実」に関する広範囲に渡る「媒介された」知識(象徴的行動の領域で、そこで我々は解釈、定位、それに応じた文化的関係という完全に公的なあり方に接することになる)とのあいだに二元論的な区別を認める。


 より特殊社会学的なブラウンの焦点のあて方と、私が最終的に「ロゴロジー」と名づけたものと重なりあう部分(そして分岐する部分)については、「象徴的リアリズムと遠近法的知識」についての「認知的美学」が「観点」に関する章で始まっていることに注目しよう。これは『恒久性と変化』の「定位」と「遠近法」に近しい。次に「隠喩」の問題に移っているが、そこでも我々は平行して進むが、ただトーマス・クーンいうところの「パラダイム」については、私が「モデル」や「遠近法」のように喚起力のある意味の言葉を探し回っていた際には市場に出ていないものだった。また、「隠喩的拡張」の変わりに、『恒久性と変化』で頻繁に使っているのは「類推的拡張」である。「類推的」という言葉は、あるものに明示的な要素が他のものについては暗黙の前提として分析される社会的文脈を比較するのに特に役立つものであり、「比較社会学」の場合、そうした観察を単に「隠喩的」とは言わないだろうと思う。


 いずれにせよ、ブラウンは「隠喩」から「イロニー」へと進み、「社会学理論におけるイロニー」「ヒューマニズムとしてのイロニー主義」、とりわけ、方法論的な観点から「発見の論理としてのイロニー」を書いている。そして、「イロニーの出発点はケネス・バークが『不調和による遠近法』と呼んだものであり・・・対立のもと見ることで状況を測定する方法である」(215,270ページ)とある。176ページにも関連した言及がある。「我々の主要な関心は・・・劇的あるいは弁証法的なイロニーであり、ケネス・バークが『「真理」の発見と記述において・・・主要な修辞的技法』と呼んだものである。」また247ページにおいて、「距離化」の問題について、ブラウンは「バークが『不調和による遠近法と呼ぶもの』」と述べている。彼は『恒久性と変化』は読んでいなかったが、抜粋からなる『不調和による遠近法』(スタンリー・ハイマン編集で1964年に出版された)には眼を通しており、そこには『歴史への姿勢』からその概念を述べた場所が抜き出されていた。


 イロニー的な「二重視」とその「計画的不調和」は広い表現の範囲を覆うものであり、既に述べたように、この本の最初の書評は、『詩:詩の雑誌』と『アメリカン・ジャーナル・オブ・ソシオロジー』という読者のまったく異なる二冊の雑誌で取り上げられた。しかし、この分裂はブラウンの著作と関係のある問題ではなく、『恒久性と変化』が『反対陳述』から発したものであり、純粋な文学的形式の本性を定義しようと始められたのだが、「自己表現」から「コミュニケーション」という道筋を取ることで、文学の領域からは外れてしまう考察への導かれたのである。また、私は言語をまずは行動の一様態として強調したが、ブラウンの「美的遠近法」の位置づけは知識にある。そして、我々の立場が違うのであれ違わないのであれ、私の書いた「劇学」(『社会科学百科事典』)は方法論的な問題に踏み込んでいる。この問題については、デニス・H・ロングの「現代社会学における超社会的な人間の概念」(『アメリ社会学レヴュー』1961年26号)で論じられている。そこでロングは、「現代の社会学はすべて結局のところ、功利主義、古典経済学、社会ダーウィニズム俗流マルクス主義に含まれる部分的な人間の見方に対する抵抗から発している」が、「自分の地歩を占めたいと願っている現代の社会学者が、社会化された人間という別の物象化された創造物」をつくりだす危険があると非難している(190ページ)。彼は「全体的な真理と取らない」限りにおいて、「そうした人間のイメージは・・・限定的目的には価値がある」ことを認めている。


 ロングの方法論的な勧告の意味するところを解釈すると、「科学」と「哲学」との相違に行き着くことになろう。というのも、

 

どんな科学でも特殊な研究分野で用いられる用語体系をもっている限り、その特殊な用語を拡張して一般的な人間の定義に用いることは、必然的に問題を超社会化、超心理学化、超物理学化等々とすることになろう。あるいは、その定義は、別の専門的な用語体系からなにかをつけ加えることによって修正されねばならないだろう(それ故、専門的な科学的定義の厳密で方法論上の制限を超えたアマルガムを産みだすこととなろう)。(449-50ページ)

 

 ここは「哲学的な」定義が理想的にはどうあるべきかを論じる場所ではない。(ちなみに、私であれば、すべての報告が出揃うまでは、臨時に「ロゴロジカルな」定義で妥協するよう提案するだろう。)しかし、少なくとも、排除によって、それが事実上取るべきではない形については確信をもって言える。(唯一の)シンボルを使用する動物としての我々の一般的な定義は、機械に還元することはできない。機械は非生物学的な人工物であり、快不快に本質的に関わる基本的な観点を欠いており、気分というもの、つまり、ほんの僅かのリリシズムもなく、とりわけ、笑いのボタンは取り付けられても、自発的に笑うことはできないのである。「象徴的リアリズム」の理論も「象徴的行動」の理論も、詳細に見ればそれ以降とる道はどんなに異なっているとしても、この点については原理的に完全に一致すると私は確信している。特に、私が問い続けているのは、純粋に生理学的な「個別化の原理」が厳密に社会学的な意味において社会的ではないという事実が究極的に意味するところである。


 デニス・ロングの勧告は「結論」(「技術主義とヒューマニズムとの葛藤」についての)においても反映されているようだが、それは、イロニーを印象的に区分していくブラウンに従うものである。彼は社会学を、「哲学と社会行動の間に立つ」ものとしている。また、「科学的リアリズム」と彼が「象徴的リアリズム」と呼ぶものとを区別し、「社会学が自らのメタ構造として想定するもの」を論じるときに(228ページ)それを再確認している。


 社会学の「メタ構造」とはどれ程包括的なものなのだろうか。私が「劇学」で引用したタルコット・パーソンズの一節はこう始まっている。「確かに、行動の状況には、常識的に物理的環境や生物学的組織と呼ばれる部分が含まれる。・・・行動状況のこうした要素は物理学生物学で分析することができる。」ブラウンが社会学を哲学と社会行動の「間に立つ」ものだと書くとき、私は社会学をそれをどう使用するかも含め、「方法論」をともなった、体系的な「姿勢」として分類する機会と受取った。「哲学」はここでは一般的な「定位」をあらわしているだろう。「社会学的姿勢」はその「間」にある予備的段階であり、「道具」としての手段であろう。


 しかし待って欲しい。私はこのように語ってきたが、実際の状況は決してこんな風に進まなかったという困惑がある。既に、ブラウンの専門的かつ徹底的な(私にとっては疲労困憊させるものであった)調査が届く前に、既に幻想的なまでに理論が紛糾していたのである。あるいはこう言ってもいい。本の到着は、既に燃えさかっている炉に更に幾杯もの石炭をつぎ込んだのだと。『恒久性と変化』と『歴史に対する姿勢』の後記を書こうとしているとき、『アメリカン・ソシオロジスト』の編集者に、そのときはアレン・グリムショウだったが、コラムで発表される論文についてコメントを書いて欲しいと頼まれた。いざ始めてみると、二つの論文には他にも様々なコメントがつけられており、そのうちに私が頭を悩ませていた二つの著作ばかりでなく私の著作一般にも考えが及んでしまうのだった。


 ブラウンの観点は出発点を与えてくれたことにおいて天の賜物だった――それにもまして、彼もまたコメントを書いており、理想的に自分の問題を提示していた。しかし、私が既に(原理的に)雪に埋もれているなら、燃えさかる炉によってどれ程混乱した雪崩が引き起こされるだろうか(原文ママ)。こうしたことすべてを処理しなければならないとすると、急いでなにをどうすればいいのだろうか?問題を評価するにあたり、私にできる最良のことは、立場に決着をつけるというよりも、立場を特徴づけるに足る奇襲攻撃をこの後記において物語ることである。そして、私は、自分の立場を示すのに最も手頃な「瞬間」だけを選ぶことにおいて「便宜主義的」であろう。


 私の伏魔殿は、『アメリカン・ソシオロジスト』の1979年2月、11月号に載り、あらゆる陣営から多くの攻撃を受けた二つの論文によって解放された。一つは、マイケル・A・オヴァリントンの「自然にそうなることを行う:メタ理論の幾つかの発展」であり、もう一つは、フレッド・W・リッグスによる「概念の重要性:どうやってより曖昧でなくそれを示せるか」であった。リッグスの用語法についての論文が私が論じることを求められたものであった。


 社会学者のオヴァリントンが社会学が落ち込んでいると見た「方法論的スキャンダル」とは正確にいってなんだろうか?間接的ではあるがこう言ってみよう。「産業革命」によって「累積的に」増大した技術革新の範囲と力は、社会関係の本質に根源的な変化をもたらした(政治的革命の方面にも対応する行動を生みだすような発達)。イギリスの経済学者はこうした変化に含まれる階級闘争の性質と歴史について多くのことを書いている。ドイツの形而上学ヘーゲルは、歴史的変化のパターンを解明した。それは観念論的な弁証法であった。その聡明であるが反抗的な代役カール・マルクスは、ヘーゲルの歴史的変化に関する観念論的理論をその正反対である弁証法唯物論に変え、イギリスの経済学者たちの資料に見られる唯物論的可能性を階級闘争等々にあてはめた。ヘーゲルは絶対精神の展開から自然と歴史を引き出した。マルクスはその過程を逆にし、自然における歴史の展開から観念を引き出した。


 かくしてその枠組みのなかでは、マルクスが「科学」と「イデオロギー」を区別することに何の問題もない。というのも、自分の派生物は唯物的な「科学」であり、ヘーゲルの派生物は形而上学的な「イデオロギー」だからである。しかし、マルクス主義の革命的な社会学は、リベラルな進化論的社会学へと変容し、そこでは「科学」と「イデオロギー」の(マルクス主義者によってなされたような)「明確な」区別は考えられないものとなっている。リベラルな社会学が、例外的に、いかなる社会関係の命名法にも含まれる「イデオロギー的な」要素をあらわにすることができるとすれば、どうしてその社会学についての社会学が、社会学者の研究領域は「特権的」であり、「イデオロギー」ではなく「科学」だと主張できるだろうか。


 実際のところ、科学-イデオロギーという対の本性そのものがイデオロギー的構成要素を含む社会学的事例をつくりだす可能性さえあるのではないだろうか?少なくとも、科学の代わりにイデオロギーとテクノロジーとを基本的な対にすれば、問題は異なって見えるだろう。科学にはなにかしら、「天上」にある「純粋」科学から「応用」科学が下りてくるような意味合いがある。しかし、テクノロジーイデオロギーの対は、「理論的」パラダイムを、「実際的」領域の発達による諸混乱の帰結であり、そうした領域の反映と見る。


 占星術は「予言と支配の実際的な科学」であり、「自然な領域における」自然から超自然の物語(人間による終末論の始まり)へ向うシンボルの誘導には、強い人格的な構成要素が伴っている。そして、そこから生じた天文学は、多くの部分を積みかさねられた記録の活用に頼っており、その記録は魔術の「実際性」の助けとなり非常に有効な予期をもたらす理論と絡み合っている。(魔術は、正しく植え付けをする、あるいは雨期に雨をもたらす、あるいは雨をもたらすはずの魔術が有効に働かず干魃になったときに、対抗魔術の存在を発見する、といった穀物の生長に必要な儀式を活発に発達させるという意味で「実際的」であった。)そうした儀式は、真の魔術によって、最終的に対抗自然的な終末論をもたらす後のテクノロジーによる道具主義の発達とは対照的に、強い人格的な要素をもっている。


 いずれにしろ、オヴァリントンは、科学とイデオロギーの「境界画定」の手段として資するはずの様々な「哲学的原理」の失敗を概観することから始めている。そして、トーマス・クーンの「パラダイム」の理論に従う多くの社会学者たちが、「社会学者同士の共同体を彼らの理論の正当性と自己言及の寛容さを究極的に保証するものとして受け容れている」ことを認めている。


 議論に参加した者のうちでこれほどロングの勧告について言及している者はいない。しかし、オヴァリントンは明らかにそこに哲学的次元を見て取っている。そして、彼は社会学そのものに社会学の有効性の根拠を求める。「もし社会学の言説になんら外的な正当性、合理的な権威がないなら、我々は我々の実践の資格を実践そのものに見いだせるだけだろう。」即ち、社会学者が社会学を行う「実践的な合理性」と、それらが互いに求め合う厳しい批判的要求である。しかし、全くそうなってはいない。というのも、「社会学的実践は多様であり、ほとんど理解されていないので」、よりよい情報が与えられるまでは「社会学的合理性を実践する際の妥当な根拠が存在しない」からである。


 しかし、寛容に見過ごせないものを寛容に見過ごすためにリベラルな寛容を要求できないことは確かである。「多様な社会学的合理性」に関するローレンス・H・ハザリッグのコメントがそのことを思い起こさせてくれる。「ヒトラー政権の科学者たちによる人体実験は、しばしば非常に高い分析の技術を示していた。」この反論は、更にデル・ハイムズによる「刺激」もあって、オヴァリントンをして「単なる認知に優先する道徳的判断の奨励」を主張させている――私が判断するところ、オヴァリントンはここでデニス・ロングの警告に関連して論じられた問題の一種に出会っている。私は自分が「姿勢」ということに大いに重きを置いているために特にそれを好む――そして、私の見るところ、「道徳的判断」とはその本質においてまさしく姿勢である。


 ハイムズはまた、抽象的な科学-イデオロギーの関係からは外れる職業上の立場を取り上げている。人類学者が調査対象の言語をできるかぎり学ぼうとするとき、フィールドワークのレポートに具体化されるような科学的権威を主張しているわけではないにしろ、現地の人間こそが「権威」である。


 興味深いことだが、オヴァリントンの計画では、マルクス主義的経済学を際だたせる労働の戦略的な強調が変化した似た形を取る。オヴァリントンによる変更は、ステファン・コールのコメントに対するコメントにあらわれており、オヴァリントンが言うには「彼による社会学者が行う社会学の重要性を強調することは、メタ理論と調査によって得られたものとをわける明快なる要求」である。結果的に、「社会学的実践を構成する特殊の合理性」は、まさしくその仕事の実践において、その結果である「経験的な証拠」によって正当な根拠を与える。私が特に楽しんだのは、コールのコメントとそれが発せられたカリフォルニアがもつスタンフォードという場所との完璧なる対称性である。私もまた(ここで引用するが)

 

行動科学研究センターの研究員として一年過す幸運を得た。そこでのゲームの規則では、思ったことを自由に考え、書き、話し、聞き、勿論議論すればいいのだった(すべて「研究所の負担で」)。こうした充実した夢のような生活を送っているときに、「苦情係」の一員が来て、管理責任者に何か苦情はないかと聞かれることがある。そんなとき彼はこう答える、「苦情だって?天国にいるっていうのに」と。

 

 

 

 この文章は、コールが活発なコミュニケーションを交していた同じ研究所に私がいたときのことを語っている。苦情係が来たとき、幸福なことに、私は半年ばかり自ら定めた仕事に従事しており、それは多くの社会科学者には全く関心を持たれていないことであったが、社会学的及び人類学的関心が私をその問題へと導いたのだった。私は必要な時間と安楽と秘書とが与えられていた。「苦情係」の訪問という出来事は、私をして「研究所からの手紙」を書かせることとなったが、そのなかから私の詩的姿勢を伝えるのに最適な数行を引用しよう。

 

我が研究所は世紀を超え――
各研究員の部屋にはガラス張りの壁があり
見渡す限りの地質学的驚異が与えられる――
我々は高く飛び
花壇のなかで
金のハープを弾き
風のように歩み
遙か下方の
道を外れた哀れな人間たちについて会議を開く
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の友人たちが君の所にいる――
我々が見ているものを彼らに語って欲しい
勿論、快適なものであると

それは確実なことだと言って欲しい

誓って本当だと
勿論、すべてが充分快適だと

 

この詩は前に挙げた文を序として雑誌に発表され、ハロルド・ローゼンバーグはそれを「前-詩」と名づけてくれたが、私の気持にあったのは、研究リポートに相応しい「権威」づけを否定するような実験的な「スタイル」を取ってみようという「文学的」視点だった。


 さて、フレッド・W・リッグスの「概念の重要性:いかにそれらの曖昧さを減じるかについての考察」に戻るべきだろう。それは異なった方向から切り込んでいる。我々が考えてきたような問題には関わっていない。つまり、社会学はなんらかのより高次の「審級」(単なる「認知」に還元できないような倫理的規範のようななんらかの判断の場)によって承認を得るべきなのか、あるいは、それ自体による有効性を主張するべきなのか(「社会学を行う」共同体がその実践に固有の「合理性」のもと自らの職業を認可する)のかという問題である。リッグスは自分の企図をこう告げている。「概念をいかに曖昧でなく示すかという問題に焦点を合わせる研究領域がある。テクノロジストが先駆者となり[注意せよ]、それよりは劣るが言語学者によって切り開かれたこの領域は、社会科学にはほとんど知られていない。それは『用語論』と呼ばれている。」


 リッグスと私の方向がどれだけ違っているにしても、「用語論に関する問題がコミュニケーションの障碍である」という点では一致している――もともと私は『恒久性と変化』を「コミュニケーション論考」と呼んでいたのだが、出版社と編集者(『ニュー・パブリック』と関係するダニエル・メーバン)は、それが「社内報での仲間内の話し」を思わせるからといって反対した。その当時「コミュニケーション」という言葉はまだ出たてであり、私の著作でも重要な箇所では、我が若きころの「唯美主義者」時代から自然に生じた「自己表現」という言葉に置き換えられた。


 編集者のアレン・グリムショウがリッグスの論文にコメントするよう言ってきたのは、この一致点があったからなのは間違いない。いずれにしろ、リッグスの作品はある誘因、「雪崩を引き起こす叫び声」であり――一つのことが別のことに通じ、様々に絡み合った私の初期の著作に20ページほどの後記をつけるという試みは雪に埋もれてしまった。私が見いだした唯一の脱出路は、主要な分岐のすべての問題を扱おうとするのを止め、最も手近にあるものを引いてそこから組み立てることだった。


 「一義的意味論と多義的意味論の両極端の中間――隠喩的な言語や曖昧さでさえ、社会学的著作には美徳であるという立場をあらわすとするとこう言える」とリッグスは提案している。そして脚注にはこうある。

 

 こうした相争う観点についての発言はTASの以前の号に見られる。例えば、リチャード・デューイはこう書いている(1969年310ページ)。「『一つの言葉に一つの意味、一つの意味に一つの言葉』という理想は・・・いまだ規律を正当化する研究分野の目標であるに違いない」と。対照的な立場に立つのはヴィト・シニョリールであり、彼はデューイの一義的意味論を、数学や物理学であっても達成していないものだと攻撃する。対照的にシニョリールは、「混乱ではなく豊饒化と言える」(1970年285ページ)結果をもたらすために、曖昧さを予想し、隠喩を用いなければならないと論じる。

 

 

 

 デューイとシニョリールの戦いは1979年の11月号で再開され、そこでデューイは、「シニョリールとともに、実践的な道具として、発明や発見に先立つ探求、推測、理論化の過程においてアナロジーがときに役立つと認めることは(他のあらゆる実践的な道具と同様に)・・・容易であり論理的である」と認めている。しかし、「アナロジーが厳密な思考やわかりやすいコミュニケーションに寄与するとはまず言えない」。


 しばらくここに止まり、ここからどのような見方ができるか問うてみよう。まず第一に、私がヴィト・シニョリールの側にいることを有難く思う。というのも、『恒久性と変化』でアナロジーは中心的な意味を持っているからである。だが、リチャード・デューイの一義的意味の「理想」については、我々三人とも同じ側にいると私は思う。

 

(a)ある主張が、対立者がしかじかと呼ぶ政策を非難する。(b)そして、違った名前でしかじかという別の政策を主張する。(c)より詳細に分析すると、拒絶したのと同じ政策が別の名前でひそかに持ち込まれていることが「露顕する」。我々のうちの誰も、こうした場合においてデューイの「理想」を承諾しないものはないし、こうした混乱を分析によって明らかにすることには喜びを感じるだろう。


 しかしまた、これらの問題をアナロジーの助けを借りて分析することを考えると、実用上「理想」とは「天上」のものであり、理想的な定義が多様な世俗的(物質的文脈を伴った)状況に適用されると不完全になると「自然に」考える傾向がある。議論のために、定義として完全に厳密な定義を認めるとしよう。だが、社会学的状況がその個々の細部において唯一無比のものであり、同じ言葉が多くの異なる事例に適用される限り、我々は必然的に同一性ではなく、アナロジーの原理によって多様な事例を同じ項目に分類していることになる。ある言葉が持つ二つの異なった文脈のあり方から帰結する「内蔵された」アナロジーに常に立ち返らねばならない。つまり、(1)他の言葉と関係する「文脈」。(2)それが指し示す(名称として)「客観的状況」としての「文脈」。この第二の文脈は(a)比較社会学を可能にし、(b)デューイの一義的意味論の「理想」を、「物質的な存在」の領域には決して適用されない、「本質」の「純粋な定義」の領域においてのみ可能とする。


 リッグスの「概念の重要性」もまた、『恒久性と変化』の根本にカント主義の派生物があり、同時に、カントの三つの偉大な『批判』の要約をまとめながらも、何とかして彼に不公平にならないように「しかしながら」という言葉をつけたがっていたのだと私に悟らせ、破壊的な影響を与えたのだった。


 第一『批判』(純粋理性の)は、感覚による知覚と悟性のよる概念とを区別する科学的知識の可能性についてのものだが、この対は大雑把に言って感覚によって知覚される事物とその名前(もし我々が名前を、我々が行う対象の分類に含まれる多くの思考のカテゴリーをまとめ上げる名称と考えるなら)に対応する。感覚は対象がどうやって我々にあらわれるかを決定する。悟性のよる概念は、互いに条件づけあっていると理解される対象の世界のなかで、空間と時間のなかにあるそのあらわれをどう解釈するかを決定する。


 私が著作で受け容れた、否定は全くの言語的考案物だという(自然に「客観的」存在をもたない)ベルグソンの論点を心に留めつつ言うと、第一から第二『批判』(実践理性)への移行は次のように見て取れる。第一『批判』は「構成」に関するものであり、経験科学において体系的に概念化される物理的自然の領域に関わる。科学的に検討検証して、状況の記述が真であるか偽であるかという問題は、「ロゴロジー的に言うと」、である/でないという(「命題の」)否定に関する「構成的」領域に関わる。カントの「規定」は、彼の倫理学である『批判』(実践理性の)に基本的なものであるから、する/しないという(「勧告的」)否定に分類されるだろう。第一批判は経験的に限定された境界をもつ「場面」あるいは「客観的状況」を扱う。第二批判は「行為」と倫理的言葉(概念的対象ではなく観念)の領域であり、カントによれば、我々はあたかもそれらが真実であるかのように信じるべきであり(科学的に検証可能な知識から外れる)、あたかも宗教の中心にある考え方とは「人の持つ価値が現実に固有の構造に根拠をもつという確信」にあるというクリフォード・ギアツの説を読んだかのようである――「神、自由、不死」を信じる以上に深い根拠があり得るだろうか?


 カントは幅広くかつ非常に巧妙に、第二『批判』が擁護する超越的で博愛的な姿勢を実現するのに必要な観念や公準を展開している。形式においては、「いかなる知ることについての主張にも先行する道徳的命令の責任」を認めているときに、オヴァリントンはヘーゼルリッグの「『ヒトラー政権下の科学者たち』についての発言」に答えようとしている。


 正統的なカント主義者が、私が示したような反省による「適切な」用語法と道徳的に(そして「創造的に」)「正しい」用語法との区別をどう扱うかはわからない。しかし、感じることを強調することで知ることと意志することを締めくくった彼の第三『批判』(判断力)を引きあいに出して、私によるカントの遠近法の「ロゴロジー化」を非難するであろうことはほぼ確かであろう。感じることは諸感覚と、概念を知ること、観念を意志することを含んでおり、言葉における科学的な適切さと倫理的な正しさをも含み、カントの超越的な試みが導かれる媒体そのものである(合理主義的な形而上学に対するヒュームの経験論的攻撃から身をかわす遠近法を備えた)。このことは一年以上にわたって私が講義で用いてきた、人間を言語を学ぶ身体として捉えたエッセイで十分に示している。しかしここは、私のより後の、より発展したロゴロジー的な方法論に沿った領域をより明らかにすべきである。Gefuhlが最終的な一歩である「感じること」にあたるカントの言葉であり、そこで用語的な適切さとスタイル的な正しさ(とその検証)にあてられていた焦点が、全探求の究極的な源泉として特殊なSprachgefuhlを言語化しようとするカントの偉大な計画(まことに壮大なロゴロジー的地口によって)という場所に帰り着いた(すべてがそこで行き合う)ものと見られるのである。


 このように締めくくられるのだとすると、カントの第三『批判』についてどんな類の否定的なことを言うべきだろうか?感じることと感じないこと(麻酔や死んだときのように)には根本的な相違がある。しかし、カントによる感じることのカテゴリーは、快と苦痛の区別を中心としており、ある努力による望ましい結果が「肯定的」なものであり望ましくない結果が「否定的」なものであるときに、身体の苦痛の感じが快の感じと同じく肯定的だとすると、純粋に文体的な用法であるものが問題を混乱させている。そして、個人的な経験と区別される純粋に生理的な感じが強さによって検証されるなら、身体的な快が「肯定的に」捉えられるように、苦痛でさえも「肯定的な否定」と名づけることさえできよう。


 『恒久性と変化』『歴史への姿勢』のどちらにおいても、遠近法的な語の豊かさと取引をしている。しかし、「礼儀正しさ」という概念がアナロジーによって拡張され、粗野なごろつきたちがマシュー・アーノルドを裏返しにした几帳面なスタイルによって「敬虔さ」をアイロニカルにあらわしていると発見するに至るにはひねりが、弁証法的変容が加えられている。同じ原理の一種(「組織的な悪趣味」)が『歴史への姿勢』では「決疑論的拡張」のもと考えられている。しかし待って欲しい。これには非常に大きな変種がある。合衆国最高裁判所が、会社に、「人間の」市民に認められているような「法的な」人格としての権利を与えたことを考えてみよう。我々個人の自由を認めた文章には、概念的な小細工によって自由に取って代わり、多国籍の主権としていまや我々を従えている集団的な虚構のことなどなんら言及されていない。


 このアナロジー原理のもう一つの変種はマックス・ウェーバーの「理想型」に固有のものであり、『社会科学百科事典』には次のようにしるされている。

 

ウェーバーは基準となる概念として、故意に単純化し誇張した理想型と呼ばれるものを使用した。・・・ウェーバーの主要な関心であったのは、世界史的なレベルにおいて、この方法によると、世襲制封建制、西洋の都市と東洋の都市、儒教ピューリタン的な宗教的信念、倫理的預言と見せしめの預言、等々の有益な相違をつくりだせることにある。ウェーバー自身は常に、調査する現実の「無限の多様性」と概念的な明瞭さを得るために差異を誇張する必要があることをともに強調していた。従って彼は、まず歴史的証拠の比較に基づいて理想型をつくり、それから調査対象の分析をそうした概念からの逸脱、あるいは近似として行なった。

 

 そう、アナロジーとアナロジーが存在する。そして、ウェーバーによる主題の変奏としてのアナロジーは(「逸脱」)、「誤称による悪魔払い」の効果を企図した科学的な言葉の「適切さ」に固有であり、治療的(それ故言語的に言うと「創造的な」?)ひねりを加えた「礼儀作法」を考えたときに『恒久性と変化』が巻き込まれた反語的に定位の「異常」を扱うこととは明らかに異なっている。著者が自覚している限りでは、彼はこうした関心を社会学から得たわけでも心理学から得たわけでもなく、コミュニケーションの本性(そこから共同作業や競争にいたる)についての純粋に「文学的な」探求から得た。


 この議論を、私の発言についての言及のある編集者アレン・グリムショウからの引用で終りたいと思う。

 

最終的には寄稿を辞退されたうちの一人であるケネス・バークはこう言った。「私の印象では、私が探し求めている類のことは、必ずしも高度な効果が必要とはされない辞書編集的な用語法によって見いだされうるだろう――というのも、私が行なおうと思っている探求がすでに適切に語彙化されているなら、私は別のことをすればいいからである。」しかしながら、彼はまた、「状況」や「文脈」の誤解が致命的になる教訓的な物語をそれに結びつけている(灯油とガソリンを間違え、「火をおこす」ために使ってしまう場合のように)。リッグスが提示した「用語の」問題は、バークの例ほど劇的ではない。しかしある場合には深刻な結果をもたらすかもしれない。

 

 私は、幸運をもたらすような事例を挙げ、そこでは「そこに墓穴を掘れ」というような概念的に曖昧なところのない発言が(その言語的な文脈において明瞭な発言)、状況に含まれる「無限に多様な」細部によってまったく異なった状況的文脈に分類されることを証明できただろう。私はこの例をアクイナスの「fodiens sepulchrum invenit thesaurum」(「墓穴を掘っているとき彼は宝を見つけた」)から引いた。ちなみに、「埋められた宝」にまつわる標準的な類縁性が、「科学的な」考古学的発掘にさえ見られる死の観念そして/あるいはイメージ、金、糞便、腐敗、錬金術、「不浄な金」などといった意味合いの表現をとるにいたる「姿勢の」出所を示唆している。『ハムレット』の墓堀人はこういった「雰囲気」を身にまとっている。言語的な文脈をもつ文学が単なる社会学的次元に還元されることはないが、身体という生物学的な本性に基づいていることは、たとえその身体の身体としての経験が社会的状況によって変化するにせよ間違いのないところである。


 (また、あり得べき誤解についても弁護しておくべきだろう。リッグス{グリムショウでは?}の論文でバークが「最終的に寄稿を辞退された」とあるが、それは、彼が相反する方向性の絡み合いのなかで混乱し道を見失っていたという理由のみによるのであって、それを克服するには締切りがすぎた後も更に多くの月日を必要としたのである。)


 (大文字の)「用語法」によって、リッグスは「語彙」や「命名法」とは異なった特殊な規範を意味している。異なった規則と制限のある辞書、シソーラス、用語解説、情報検索のための機械的読み取りなどが存在する。私は彼の数多くの識別を尊敬していた。(『歴史への姿勢』における「枢要語の辞書」は、「枢要」という語が曖昧ではあるが、より正確には「用語解説」と呼ぶべきだろう。)しかし、彼の概念的なカタログ化、あるいはカテゴリー化が私にとって特別な使用価値があるかどうかを問うたとき、最終的に私は、どうして、ある文化的条件で明示的である働きが他の文化的条件では暗黙のものでしかないかを決して誰も知ることはないという考えをもつにいたった。かくして、「劇学」という論文で私は、「生贄の犠牲原理(「スケープゴート」)」から、「つまるところ我々の最終的な幸福がそれにかかっている生態学的なバランスを進歩させ資するという名のもとにせわしなく行なわれる数多くの破壊」までアナロジーによる拡張を行なった。ここでは、事業とテクノロジーとの「啓蒙的な」組み合わせによって、三種の顕著なる自由(浪費の自由、汚染の自由、気にしないことの自由)が生贄のあり方に(そうは呼ばれないが)便宜をはかることによってカタルシスを内包するようになるが、イロニーによる「不調和による遠近法」だけが、スケープゴートの制度があからさまに産みだそうとするそうした解放と慰藉を制限することだろう。アナロジー的拡張の原理は、リッグスが支持し、おそらく多くの調査において助けになるであろうインデックスに決して反するものではない。しかし、どんなものであれ、人々が社会のなかで何をしなにを言うかについての物語が、私が求めているアナロジーの材料となるものであろう。


 物語と言うことで私が思っているのは次のような発達である。何かを熱く感じる「知覚」のような純粋に感覚的な経験は繰り返されたり思い出されたりすることで二重になりうる。そして、我々の原始時代の先祖が「熱く感じる」と言う能力を得たとき、物語がこの世界に生じた。あらゆる動物はなんらかの仕方でコミュニケートしている。しかし、我々が知るところでは、人間という動物だけが物語を互いに語ることができるのであり、それは、ほんの些細な片言やゴシップから、地質学、考古学、天体力学、あるいはまた、パーソナリティの原理があり、それが拡張すれば全宇宙の物質的発達が消え去っても、地上における行為の美徳や悪徳に相応しい場所が永久に定められ、神に選ばれたことと見放されたこととが個人のアイデンティティとなる。(これは『動機の文法』であれば「行為-場面比率」と呼んだであろう例である。)


 現在我々に前より以上に切迫性をもってきている物語は、「象徴性」をもとにした人間に特有の剛胆さから帰結する人格主義的「達成」と道具主義的「達成」を並置することにより生じる二種類の「終末論」(超自然的なものと対抗自然的なもの)の不調和によって我々に焦点を当てる遠近法であり、怪物的でグロテスクな要素を含んでいる。生存への脅威とともに、象徴的行動における我々の熟練が、以前には決してないことであるが、我々の身体の振る舞いを非象徴的運動の領域における生理学的有機体として捉えるという驚くべき可能性が存在する。


 我々が直面している状況というのは、人間という有機体の振る舞いが図表や計器の読み取りに「投影」されうるものとなり、我々の生得的な「天動説」の最後の痕跡、精巧な「目的論的原理」(この著作の初版につけ加えられた補遺「人間の行動について」の最後の節で、「動機の完成」として論じたものの一種である)の完成が取り消されることである。


 人間の悪徳や美徳に関する言葉遣いを再解釈する不調和な遠近法として「あらゆる価値の再評価」を行なったニーチェの根源的な提案は、彼をこうした試みを「最も完璧に」行なった者として特徴づける。民主主義と社会主義的な改良に抵抗を示す彼のむら気は彼を一種の裏返されたエマーソンにした――『権力への意志』に見られる活発で頑固な主張の多くは、彼が毎日のニュースの熱心な読者であり、ただそれを文化的潮流一般の観点に立ってみているのだと思わせる。また、彼のアフォリズム的な書き方は気まぐれな過剰反応を引き起こすことがあり、そこでは自分の姿勢について、それが自分の他の姿勢との関わりにおいてどう変わるか問うこともなしに述べられている。


 ニーチェの作品を辿り直す過程で、私は自分の蔵書に読んだ覚えのない本を見つけた。いまでは沢山の印がついているが、見つけたときには何の印もついていなかった。それは、「対ヒトラー」の戦いに隣り合うような形で「対ニーチェ」に対する戦いが為されていたときに行なわれた講義の記録である。少々驚きであったのは、その本が、少数の主要な論題を除けば、文化的潮流についての「常識的な」哲学のほとんどがニーチェによって可能になったことを示していたことである。私は象徴的行動についての私の論点が、彼の遠近法に密接に関わっていると認めるほど謙虚にはなれない。また、私の反小説『よき生に向けて』では、彼の幾つかの姿勢について意地悪なひねりを加えている。


 この本がいま手に入らないものなら、ぜひとも再版すべきだろう。A・ウルフによる『ニーチェの哲学』(マクミラン1925年)である。とりわけ49-52ページの「人間化」(Anmenschlichung)についてを参照のこと。また、ニーチェの遠近法を論じている部分では(58ページ)、カントの望むところではないにしても、カント的な原理が実行されている。


 私の本に特有の用語的な兼ね合いについて幾つか述べて終わりとしよう。『恒久性と変化』で私は幾度か「隠喩的遠近法」について述べ、「類推的拡張」についても述べた。ブラウンが類推を隠喩の下位区分に分類したのには十分な根拠がある。しかし、私が用いる「類推的拡張」という言葉は、「不調和による遠近法」の原理を含んでいるゆえに、「イロニー」のもとにも分類されるだろう。こうした分析的な下位区分を一義的に決める方法は存在しない。しかし、「不調和による遠近法」に含まれる類推の原理は、それを「類推的隠喩」よりは「イロニー」に分類するよう求めるのである。


 私が「敬虔」と「不敬虔」を論じる際に用いた類推的拡張には分析的過程が含まれており、非Aや反Aには、Aにおいては隠されている要素があらわにされている(「組織的な悪趣味」によって)。「不調和による遠近法」は――文体論的な意味では(「発明は必要の母である」と言ったときに達せられたヴェブレンの「訓練された無能力」や「倒錯」といった概念にあるような)――類推的拡張の発端と終結とが、ハート・クレインなら「くたびれはてた一歩」というかもしれない一系列のなかに「発見的に」(それ故「イロニカル」でもある)結びつけられるときに働く分析的過程が名目上はめ込まれている。つまり、こうした類推的拡張や名目上の省略は、含意-明示、潜在-顕在の二分法の一種であり、比較社会学において、ある社会的文脈であらわな制度が、分析的に変容を辿ることで他の社会的文脈に含意されていること、あるいはその逆が示されるようなものである。


 関連した問題はブラウンの本の19-20ページにある「分担可能性」でも示されているが、核心が提示されるのは22ページの「民族感覚的方法論」の問題に関する部分である。『宗教の修辞学』(218ページ)で、私は関連した問題を論じた。ロゴロジー的に言うと、あらゆる宗教に「犠牲の原理」を認めることができるが、初期キリスト教神学者旧約聖書の犠牲を「キリスト型」のものと見た。悲劇における犠牲者の「選択」と多くによって受け容れられた「犠牲」の働きにはどんな関係があるのだろうか?私がもっている教理問答には、キリストの犠牲は、人間が悪魔に対してもっている負債の神による賠償だと説明しているものもある。そして、通商における代償とは二重化の原理に基づいており、それは言葉のない自然の領域(物の秩序)に適切に合致するような象徴的かつ理想的な命名法によって始まっているが(スピノザならそれを観念の秩序と呼ぶだろう)、プラトンの観念論的哲学の精巧な貸借表のように、この世界のあらゆるものは理想的な定義(「原型」)の不完全な例でしかなく、理想的な定義とは、そのどれ一つとしてそこに分類されるようなものの特殊な固有性の名ではなく、テーブルとしてのテーブルはなんらかの個別な木、あるいはいかなる木によってつくられる必要もなく、なんら特殊な欠点をももたないものではないだろうか?


 しかし、類推の基本は、アリストテレスが分析したように、形式的使用に限られるものではないという事実は繰りかえし述べておかねばならない。その原理はまさしく言語の本性そのもののなかに組み込まれている。というのも、あらゆる状況はその細部において唯一無比であるにもかかわらず、異なった多くの状況に同じ言葉をあてはめることによってのみ我々は言語を学ぶことができるからである。こうした意味において、諸状況は同一ではあり得ない。それらは類推によって結びついているにすぎず、動詞によって分類される場合でさえ、その事例の特徴とされるなんらかの特性を共有するものを一緒にして分類されるのである。「助けて」という叫びは最終的にはそれを「助けを必要とする状況」に「限定する」が、助けを必要とする状況は火事のときや溺れているときにはまったく異なった反応を含む。動詞はこの点については名詞や形容詞よりも明快である。オヴァリントンが指摘したように、通常はその意味合いにおいて中性的な言葉が通常は「検閲的な」意味合いをもつ状況に適用されたときイロニーの発見的な次元が形成される。また、私が示唆したように、ベンサムの三幅対の「称号」によって示された姿勢の転換によって、状況に直面する我々の遠近法に柔軟性を与えることができる。


 この著作の補遺で使われた「完璧」という語は、『反対陳述』(「修辞学用語集」37節)で注釈したのとはまったく異なった分析手順を含んでおり、『反対陳述』では、「コミュニケーション」という様態の役割として芸術作品に科せられる聴衆の性質に関わっていた(それ故、「美」とは「それを見る者の眼のなかにある」なにかである)。
 含意されていたものを明示的にする類推的拡張によって、最高潮に達した社会学的問題との直面が為されるに違いない。「初期の」神話的な定位(未来を超自然的に思い描き人格化する)から、人間が「進歩し」(衝動的そして/あるいは強迫的に)非人間的な自然の領域に自画像を描き込もうとする(それに応じた悩みとともに)シンボルによって導かれたテクノロジーの対抗-自然の経験的な領域における「完璧な」世俗的達成にいたる変容の全範囲を細部にわたって確かめていくことは終ることのない仕事であろう。四十年以上前のこの本が突きつけるようにして始めた二つの文章をある意味非実際的な形に修正するというのはなんとも素晴らしいことではないだろうか?

 

                           ケネス・バーク

1983年1月

ケネス・バーク『恒久性と変化』79(翻訳)

後記 『恒久性と変化』 回顧的展望

 

 『恒久性と変化』及び『歴史への姿勢』(それぞれ初版は1935年、1937年)の新しい版の後記では、この初期の二冊の姉妹編が私の仕事すべてを貫く論理(あるいはいまではむしろ「ロゴロジー」と言うだろうが)によって最も明らかに結びついていることを示したいと思う。


 我々を自ら定義を求める動物と見るとき、私のみる限り、人間関係の性質に関わるすべての考察は最終的には、我々が「言語を学ぶ身体」であるという定式に還元される。しかし、この人間に特殊な「言語」の才能には、踊り、音楽、彫刻、絵画、建築といった任意の、伝統的なシンボル体系の能力も含まれているという条件がつく。


 この定式は四つの動機の場(そのカテゴリーは我々が自らの苦境を考えるときの根拠を蔽うものとなろう)に関してその含意されていることを突き止めることが含まれていよう。第一に、生理学的な有機体としての性質と結びついた動機の場がある。第二に、シンボリズム独自の動機の領域がある。第三に、生理的にはいまだ成熟にほど遠く、(口のきけない)「幼児期」に学習されねばならないことからくる、言語の「魔術的」あるいは「神秘的」側面がある――女性から生れたわけでもなければ、疑似エデンめいた幼児期を過したわけでもない我々の最初の親たちが経験することのなかった発達であって、彼らは実際のエデンに既に成熟して存在しており、アダムなどは他の動物を名づけ分類する仕事が委ねられていた。


 第四の動機の場は定式そのものに含まれており、道具(「ホモ・ファーベル」としての人間によって発明された)の累積や配分を可能にする配慮やコミュニケーションを言語は刺激する。ヘンリー・アダムスが「歴史加速度の法則」と呼び、いまでは通常「指数曲線」とよばれているこうした文化的発展の速度や広がりを考えると、人工的なテクノロジーから結果する動機づけの力はある種の「完成」(「意志的な」ものとも「強制的な」ものとも言えるが)を見せ始めている。


 エンゲルスが述べた(「猿から人間に移行するに際して労働の果した役割」という未完成のエッセイにおいて)「伝統的な自然の過程に我々が干渉することによって生じたより直接的かつよりかけ離れた帰結」という観点からすると、こうした変容は我々の歴史以前の先祖たちが成功裡に採用していた自然状態とはまったく異質な生活条件(生存における重大な脅威となるものを含めて)を導入している限りにおいて、「対抗自然」の領域に含めることができよう。逆説的なことに、我々の祖先は、彼ら自身は身を守っていた潜在的な構造的危険(「種類」及び「集中」において)を我々に遺贈したのである。


 こうした高度なテクノロジーの発達を賞揚するべきであるか、致し方ないものとすべきか決める必要はないし、読者に決めるよう求めるつもりもない。ただそれをある種の「運命」であり、人間の特殊な才能の達成と見るよう要求しているだけである。こうした観点からすると、テクノロジーは言語を学習するものに固有の究極的な方向であり、そうした象徴的導きのもと、相互関係を保ちながら人工的な道具の領域が発達していく。その結果、テクノロジーそのものの進歩によって示される多様な方法や遠近法に応じて多岐にわたる、幾分目的を欠いた「多元論的」思考に陥ることになる。こうした豊富さは結局のところ相当な混乱に終りうる。祖先たちが超自然の領域と想像した言語化されるものたちが、いまでは拡大し続けるテクノロジーの対抗自然の領域に対応してその痕跡を多様に変化させているとき、誰が動機づけとして含まれるすべてを正確に言うことがあろうか。


 ロゴロジー的に考えれば、遠く離れた先祖たち同様、生理学的有機体としての我々の身体の「諸方法」は高度に「保守的」であるという事実によって問題が複雑化しているとしても、こうした変容は(どれ程かけ離れたものであろうと)ニーチェ風の「あらゆる価値の再評価」の準備研究としてまとめることができるであろうか。どれだけ変わっていようと、どれだけ多くの「天動説」が我々のなかに生まれ続けているか見分けようとすることは価値のあることだろう。少なくとも、一つのことは確実である。同化、呼吸その他のあらゆる過程において、人間の身体は遙か昔から生理的有機体として先史の祖先たちの行動を特徴づけていた「方法」に「退行する」。「『メタ生物学』の概略」の部分で『恒久性と変化』は、いま扱っているようにではないが正しい方向でこの問題に触れた――とりわけ私が固執したのは、生物学的「方法」という概念が「合理性」と「非合理性」とどちらかを鈍感に選択するような過度に単純化された還元を避ける有効な手段だということだった。


 同じ項目のなかで述べた奇想についても指摘しておくべきだろう。「我々の血液のなかにいる微生物は我々と別個の存在だろうか、あるいは一部だろうか。・・・ことによると、それらはもともとは侵略者であり、身体が飼い馴らすことを覚え、結果的に切り離すことのできない一部として自分のものにしたのかもしれない。」これに十八年後の付記がシロアリの事例を私の「即興的文章」を補強する証拠としてあげている。私はテクノロジーの分析道具が、言語を学ぶ身体で働いている純生理学的過程についてより以上に正確な記述をもたらしてくれると思いたい。間違いなく、生理学的有機体として我々の内部で働くものに対するこうした考察の多くは、モリエールの描いた宗教的偽善家の姿が教会の「高官」たちをいきり立たせたように、正統的なヒューマニストを憤然とさせるであろうし、リチャード・ドーキンスの『利己的遺伝子』のような愉快な機知の奔出に潜む深いファシズムの色合いを見て取る者もいる。しかし私が後記を書いているこの本においては、「利己的、利他的の合併」や「支持手段に倫理性を与える」といった項目が示しているように、一度人間の動機づけにおいて純粋な生理学からシンボリズムの側面に転換すると、いかに遺伝子自体が「利己的」であろうと、言語を学ぶ身体に位置づけられるや相互関係の弁証法的複雑さをもち(正のフィードバックと負のフィードバックとの転換に類似した)、社会的に絡み合った「与えること」と「得ること」を見いだすこととなり、両者の区別は非常に曖昧なのである。


 しかし、いかに象徴的行動の「文化的」領域によって複雑さがますのだろうと、人間の身体を「自然な」出発点として取ることについては、二つのまったく異なる道筋によってその選択を「合理化する」ことができる。トマス・アクイナスの神学的立場を世俗化することによってそこに達することもできる。例えば、「(非象徴的)運動/(象徴的)行動」(『クリティカル・インクワリー』1978年夏号)というエッセイで私は、そうした経験的な目的のために、「物質」を「個別化の原理」として捉えるトマス主義的観点を採用した。というのも、中枢神経を備えた人間の身体は、「物質的」(非象徴的)運動の領域にあるからである。あるいはより直接的な唯物論がお望みなら(その「弁証法的な」要素は、私がロゴロジー的に「象徴的行動」に分類するものだが)、マルクスの『ドイツ・イデオロギー』を出発点にとってもいい。

 

いうまでもなく、あらゆる人間歴史の第一前提は、生きた個々の人間の存在である。したがって、われわれがまず第一に確認しなければならない事実は、これら個々の人間の肉体組織およびそれによって規定せられる人間と人間以外の自然との関係である。・・・すなわち、あらゆる歴史記述は、このような自然的基礎と、歴史の経過中に人間の活動によって惹気されるその変様とから出発しなければならない。
人間は、意識・宗教その他あらゆる点で動物から区別され得る。けれども人間は、食物を〈生産〉しはじめるや否や、みずから、自身を動物から区別しはじめる。食料を生産することによって人間は、間接にではあるが、自己の物質的生命自体を生産するのである。(高橋義孝訳)

 

 人間と他の動物とを区別しうるものとしてあげられているのが「意識」と「宗教」であるが、私としてはあげられているそれらがいずれも「象徴的行動」の側面であることを言えば足りる。しかし、そうした才能(マルクスが本を書く能力とその出版に必要な社会経済的状況双方を含む)は、人間が「象徴をつくりだす、象徴を使用する、象徴を誤用する」動物であったし、現にそうでなければ不可能であろう。人間の状況に特殊な大きな歴史的相違は、そうした才能から直接的に生じるものではなく間接的に、人間に特殊な組織的命名法がテクノロジーによって生みだされた社会的発展において今日高まった配慮やコミュニケーションを可能にする限りにおいて生じるものである――それを私は、超自然物のように定義上自然の外部にあるのではないが、生存のための条件であり、「間接にではあるが、自己の物質的生命自体を生産」し、「伝統的な自然のあり方」に反する「我々の干渉の結果」がなければ存在することのない状況を形づくるゆえに、対抗自然の領域と呼ぶのである。


 正しかろうが間違っていようが、「実在」に関するあらゆる言葉(あらゆる歴史、地学、生物学、天文学といったあらゆる科学、対抗し合うあらゆる「主義」)は、それ自体「象徴的」次元の十分な証拠である。また、多くの伝習される知識(特に精神分析や人類学的な)は、象徴性の「魔術的」「神話的」深みに関連して初期状態の顕著な役割を示し、その事実から我々はもっとも未熟な段階において言語と倫理の基礎を学ぶことがわかる。礼儀作法の精妙さ(「正しく」ものを言い、考え、行動するというスタイル、生き方)は、我々の自己意識が最小限のときに染みこんでいく。「敬虔」と「不敬虔」をめぐる「発見的な」変様(「類推的拡張」を経由した)などを用いて試した『恒久性と変化』での「不調和による遠近法」は、フロイトベルグソン同様、こうした「初期状態」を成熟したあらわれのもと扱っている。言語を学ぶ身体として我々のうちにあるこの動機づけの次元の数多くの多様な側面は、私が本の表題の意味合いをつきつめているあいだ代わる代わる現れ続けた。


 子供が母国語の「正しい」話し方と同時にいかに「うまく」用いるかを学ぶとき、「言説の世界」に語の「魔術」、その「創造的な」役割がつけ加わる(旧約の神が「存在せよ」と言えば存在するようになり、新約の神の化身が神の言葉でありロゴスであるように)。言葉と倫理とのこうした形成期の連合を考えると、どうしてカントが、世界には異なった道徳的規範が存在することに気づいていながら、その倫理学(『実践理性批判』)においてカテゴリーを主張し、ウィルヘルム・ウィンデルバンドが『哲学の歴史』で言っているように、我々は「公準に従って行動すべきであり、すべての存在が理性的に行動できるような普遍的立法に従うべきである」と言えたのかがわかる。「あなたの行動が意志的なものであり、普遍的な自然法則となる公準であるかのように行動せよ」(イタリック原文)こうした「自己立法」の枠組みとなる「公準」がどのように「自然言語」で述べられるだろうか――というのも、どれだけある地方に特殊なものであろうと、あらゆる言語は、暗黙のうちに、どこにいようが変わらずそのように話すこと、どれだけ限定された方言のようなものであろうと、それこそが話し方だと定められているからである。もし人類学者がフィールド・ワークである地域に行くなら、できる限りそこの言葉をあたかもあらゆる場所で話されているべきであるかのようにするだろう。勿論、他の慣習と同じく、言語は変化する。しかし、ある特定の時と場所での言語の話され方は「普遍的な」話され方であり、ある方言はその方言を話す「正当な」話し方である。


 しかしこのことはカントとどう関係するのか。彼は正確には「間違っている」わけではないが、数多くの出発点をもっており、あまりにかけ離れた遠くへと導かれるものなので、私はそれらを捨て去らねばならない(その幾つかは、この本の姉妹編である『歴史への姿勢』の注釈にうまくあてはまるものであるが)。長い間、私はカントのことなどまったく考えていなかった。だが、いま新たに考え直すにあたり、私はなぜカントが姿をあらわしたかだけではなく、なぜカントがあらわれることによって(確かに間接的にではあるが)、遅ればせではあるが、この本がもともと書かれたときの観点とは僅かではあるが顕著な相違を示し、振り返って、その当時は明らかにできなかった多くの混乱を思い起こすばかりでなく、間に挟まった四十年以上の年月の光のもと見直すことで、私を悩ませるもつれを抜けだしたりそのなかから声を上げるすることができよう。


 私の最初の理論的な本は『反対陳述』(1931年)であり、フローベルから受け継いだある種の分裂に基づいていた。彼は「私にとって美しいと思えるものは・・・無に関する本、なんら外とのつながりがなく、スタイルの内的な力だけで維持されているような本であろう。もっとも美しい仕事とは最も少ない材料でなされたものである」と書くことができた。同時に、現在の社会規範に対する彼の軽蔑は、主題として公を公然と侮辱するようなものを繰りかえし選ばせ、『ボヴァリー夫人』の場合には猥褻の責めを受けるにいたった。


 この影響のもと、私は芸術作品そのものを、それ固有のものとして分析され評価されるような内的諸関係の集合として論じることを意図し、文学形式の理論を発展させていった。しかし、そうした形式とスタイルの純粋な原理がどのように個々の事例の細部において「個別化する」のかを考える過程で、芸術化は最終的には聴衆の姿勢に訴えるのであり、その聴衆とは、最終的には、特殊な芸術的伝統とはまったく異なった自然な感受性をもっているのだと認めるにいたった。かくして、結局のところ、表題についた接頭辞を制限して、私は初版の序でこのように述べた。

 

 パンフレットがあり、調査書がある。年齢が進むに従い、作家は学ぶことによって平衡に達する(年齢に応じた学習をするのか逆らった学習をするのかはともかく)――それによってできあがるものを「パンフレット」と呼ぶことができよう。作家はまた、外的な抵抗に関わりなく、自分自身で平衡を発展させたいという望みをもっているだろう――それを「調査書」と呼ぶことができる。実際の作品はおそらく二つの立場を不確定なまま揺れ動くものであろう。作家自身いつが調査書でいつがパンフレットか正確に言うことはできないだろう。また、どちらかを排除して完全な満足は得られない。

 

 私はそのとき考え始めた形式の諸理論をいまだに信じているが(異なった領域に適用され、「劇学的な」変様として残っている)、『恒久性と変化』は結果的に『反対陳述』がやり残したところから始めることとなった。実際に、『恒久性と変化』の「文学的な」発端は明らかである(ハロルド・ローゼンバーグが『ポエトリー:詩のための雑誌』の書評で「『詩以前の』身振りの段階にある詩」として特徴づけたように)。しかし、『アメリカン・ジャーナル・オブ・ソシオロジー』のルイ・ワースの書評は、このテキストを社会心理学に位置づける可能性の議論に力点を移している。このときのフローベルからの「文学的」遺産にはなんら「分裂」は含まれていない。というのも、スタイルの妥当性についての関心はごく「自然に」、社会科学が一般的に中心に据えるような人間関係に向うことになったからである。そして、スタイルの「個人的な」側面はある種の心理学へと向い、私の「誤命名による悪魔払い」の理論は、なぜフロイト流の精神分析学が幾分マルクス主義的色合いをもちながら、この関連において登場するかを明らかにしている。


 『恒久性と変化』は、後に私が非象徴的な運動と象徴的な行動の相違としてまとめることになる強い二元論的な傾向をもっている。しかし、その二元論は、後に、行動主義者の重要な特徴を組み込み、かつ象徴的行動と非象徴的行動とを種類の違いではなく程度の差として考えた行動主義者の一元論的な傾向と自らを区別するのに必要に思われる強調点を欠いていた。パヴロフの「条件反応」とスキナーの「条件操作」の相違は『恒久性と変化』の著者には知られていなかった。それ故、スキナーの動物実験還元論的な解釈の仕方を、「言語的行動」によって特徴づけられる人間の領域に適用したものだと争い合う必要もなかったのである。


 我々が信念の漠然とした背景と呼ぶべきもの――仮定、先入観、迷信、希望、恐れ、傾向、「常識」とそれらに応じた諸慣習と諸関係――は、我々西洋文明が、地域的な神話(キリスト教聖人へと変化した異教の神のように)、地中海的な特徴(東洋からの影響を含む)、ローマがその領土として植民地化した北方の「野蛮人」から派生するヘレニズムとユダヤの初めから二千年以上にわたって発展させ、つくりあげてきた包括的な「状況の文脈」ではないだろうか。『反対陳述』では、私はそうした文脈を漠然と、芸術家が反映活用し、その表現とコミュニケーションの形式を形づくる際の動機やモチーフに変容する助けとなる「イデオロギー」として述べた。しかし、『ドイツ・イデオロギー』を読んでからは、私はその語を「中立的な」意味を持つものとして使用することを止め、マルクスヘーゲルを攻撃する際の用法によって、つまり、ヘーゲルは観念を歴史(絶対的観念を展開する)の推進力として捉えるが、マルクスは観念を物質的「下位構造」において変化する諸条件の「上部構造」における反映でしかないものとして扱ったという文脈に従って読むことになった。ヘーゲル的な「イデオロギー」において、観念はいわば「トップダウン」に降りてくるが、マルクス弁証法では「ボトムアップ」に上ってくる。私はどちらの方向性も「起源に関わる誤謬」を例証するものであり、いかに「象徴性」についての我々の才能が生理学的構造の一部であろうと、一度発展しはじめるとそれ独自の本性を明らかにすることを強く主張するにいたった。


 別の同義語に生への姿勢であり、ヘーゲル時代精神(「一般的風潮」による)の一種である世界観がある。後にトーマス・H・クーンによって導入された「パラダイム」という用語が社会学者一般に採用されるようになったが、私が想像するに、それは、「デザイン」という概念に含まれる発見的で組織的な性質に関する現今の方法論的な考察で顕著なものとなった「モデル」と同じような意味合いをもつこともあっただろう。「受容」と「拒絶」(個人的にははい/いいえの姿勢)の相違とともに、『歴史への姿勢』では「枠組み」という語を多く使い、またときに受容の「枠組み」とも言った――抽象の乾涸らびたイメージの痕跡が読者の検分を受け、それに対する反応が抽象の新たな「超越的」生ではなく、生気のない隠喩に対するのと同じであるように、混合した隠喩は混乱に晒されないわけにはいかなかった。


 『恒久性と変化』の場合、いいにつけ悪いにつけ、私の命名による発見法は次のようになった。包括的な背景に私は「定位」という語を用いた。この語は連続的な段階を広がっていくときには「三角形」を、「脱定位」そして(ある種のハッピーエンドである)「再定位」、形成、脱形成、再形成を形づくる――集団的な「共同作業」を選択する場合には、共同体の多様な部門が互いにうまく調節し合う理想的な状態を「行動の詩」として暗示して終ることもあり得る。


 小さい混乱がここで生じた。詩は批評に先行するものと考えるのが普通であるが、この本は「あらゆる生物は批評家である」という命題から始まっている。しかし、最初の段落の七行目までくると、より特殊な意味である「批評」をより一般的な意味である「識別」に入れ換えたのであるから、憂慮に終った。二つの言葉は同じ語源をもっているが、生物学的な向性があり、状況のなんらかの要素が個々の性質に関して刺激となり、それに応じて有機体が行動を変えるという意味においては、文字通りあらゆる生物は「識別している」と言える。


 ずるがしこい鱒の挿話はより「教化された」識別(あるいは「原批評」)を含んでいる。コールリッジが(『文学評伝』第四章の最後の脚注で)、新たな区別が「自然なものとなり、一般的に使用されるようになると、言葉そのものが我々のために考えてくれるかのようになり」、「それをもって常識を証しするものと言うようになる」という事実を述べたときに同じことを思っていた。私が最も「懸命に探った」考察とは「我々」という代名詞をめぐるもので、巨大な国家の市民である我々すべてが残りの者たちに集団的に適用できる驚異的な語である。「我々」がどこか他の国と戦争をしたとき、「我々」のなかには泥のなかを歩みちりぢりになるものもいるかもしれないし、他の「我々」は戦争による蓄えのことを考えながら殺しをしているかもしれない。我々の国はすべての我々が必要なのである。(勿論、この場合、「我々のためを考える」という我々は区別を曖昧にしている。)


 しかしながら、振り返ってみると、『恒久性と変化』の中間部分の名称の選択は、その当時まったく予見していなかった意味合いをもっていたことがわかった。「脱定位」あるいはその同義語は、システムの内側から、あるいは外側から新たに侵入したものによって起こる混乱を含むに十分なものであった。しかし、「不調和による遠近法」という概念、それと関係した「魔術、宗教、詩、神学、哲学、神秘主義、科学それぞれの知識を意図的かつ無差別にかき混ぜる」というのは、ある種方法論のパンドラの箱を開けるに等しかった。例えば、「不調和の不調和な類別」と題された箇所に見て取れる表現とコミュニケーションの潜在力は、「新たな秩序」の組織化原理を与える簡潔さというよりは、ばらばらででたらめないくつもの「始まり」をよりよく特徴づけている。この場合「再定位」の合理的根拠となったのはある種の計算法であり、より高次の一般化によって個人的分子の行動を記述し、個人としてではなく集団的なある種のガスとして扱おうとしたのである。


 しかし、我々は問題を純粋にロゴロジカルな言葉で扱ったほうが、つまり、厳密に組織的命名の問題として扱ってほうが最適の結果を得られるかもしれない。例えば、「解釈について」と題された第一部の「定位」を問題にした箇所を見てみよう。そこではある定位が確立され自らそれを堅固なものとしていく一般的な様子が考慮されているが、混乱に陥るような発達の仕方もあり得る。こうした光のもと見ると、中間の「不調和による遠近法」は、「新たな解釈」あるいは「再解釈」へいたる診断を要求する諸条件を描いたものであるとともに、それ自体解釈の断片である、試験的、実験的、ときには適切なる発見的解釈だという両面価値的なものと見られる。また、明らかに、最初からこの本が動機づけの問題について頭を悩ませており、ジョン・デューイの用法を使って私が「テクノロジー的精神病質」と呼ぶものに主要な(「特権的な」?)位置を与えているという事実にも注意を向けるべきだろう。


 私の後の著作では、この特徴には別の次元がつけ加えられ、あるいは少なくともよりすっきりとした形を取っており、人間の象徴的な武勇を強調する際には超自然の領域と対抗自然の領域とが対照され、前者は人間以外の動物たちによって経験される自然条件から神話的に発するものであり、後者はよりプラグマティックで、象徴に導かれたテクノロジーの発達によって自然条件が変わることがなければ不可能な破滅の危機(利益の可能性も与えているが)を与えるほど広範囲に広がってしまっている。


 しかし、この点において、私はすでに1953年版の序文においてなした主要な「撤回」について思い起こさねばならないが、そこで私は『金枝篇』における魔術、宗教、科学の区別を余りに「歴史主義的」だと述べた。そして、そのときの回顧として、既に、それらは「言語の源泉において『常に新たに生まれ変わる』動機づけの三側面」であるという観点を提示した。定義により「言語を学ぶ身体」である人間は、その構成要素の性格と比率は文化的状況によって大いに異なっているが、言葉の創造的な魔術、宗教による人格の拡張、実用的な知識(科学)を経験することで新たに生まれ変わり続ける。そして、言語の本性とは、それらすべての源泉がそれぞれの言語においていかに変容されているとしても、内在し具体化されている。かくして、ロゴロジー的に考えると、あらゆる言語媒体がいずれかの要素の廃止を要求したり脅かしたり約束していることで成り立っているとしても、「廃止主義」は不可能なのである。『恒久性と変化』は自然に変様の原理を選択することになる。


 この本は明らかに三幅対となる企図を示している(定位は形成であり、脱定位は脱形成であり、再定位は再形成である)。しかし、ニーチェから取った主要概念を表題にした第二部は、当時私が思ったより自由な働きが認められている。というのも、ニーチェにおいてそうであったように、「遠近法主義」が「あらゆる価値の再評価」を目的としたものであるとき、結果において我々が導入したのは「変様」の原理を普遍化する方法だったからである――この意味において、私の第三段階は第二段階において解き放たれた流れを受け継ぐものでしかないこともあり得る。「再評価」と同義である「変様」は、本質的に拡張していく用語であり、「形成」でさえむしろ「形づくられる存在」に近い(ドイツ語のWerdenが各段階においてはGewordenseinと呼ばれるように)。


 詰まるところ、言葉のない事物、状況、仮定、関係を何と呼び、名づけたり解釈したりするにせよ、どのような名づけであれ解釈であれ我々はそれに関する「データ」をもっており(定義されるものは私の本ではやや不正確ではあるが――必然的でもある――「定位」とよばれている)、この問題(あるいは問題というよりは、我々の組織的な命名法の本質に固有な意味を追求していく上で埋められるべき空欄と言ったようがいいだろうか?)は、既に部分的には述べているのであるが、振り返って、ニーチェ的な観点に即してより正確に述べるよう試みることにしよう。即ち、


 二つの近しくほぼ正確な人間の定義(互いに深く絡み合う経験的な定義)、ホモ・サピエンスとホモ・ファーベルを取り、称讃的な「サピエンス」に替え中立的な「シンボルを使用する」(「シンボルをつくりだす」及び「シンボルを誤用する」を含む)としよう。道具の発明者であるホモ・ファーベルとしての我々の本性について言えば、そうした手順や工夫の基本的な形が「象徴性」のスタイルや才能を欠いた生物学的有機体によって偶然になったものであっても(向性の領域を越えた)、他の有機体は我々の種族のように、そうした道具性の制度化を可能にする配慮やコミュニケーションによって利益を得ることはできない。


 非象徴的な技術的道具性が象徴によって導かれ発達する言葉とものとにある相互関係にもかかわらず(二つの動機の領域が絡み合ってそれぞれを拡張することに寄与する)、最初から、人間特有の象徴性の源泉による可能性のために、原始的かつ自然な状況から発する二つの様態は極端な対称をなしている。一方には、個人的社会的関係性の洗練化があり得(例えば親族体系のような)、それは聖職者によって自然を超自然の神話的な領域に拡張する統治形式によって完成する。他方においては、技術的な展開の可能性があり、発明に発明を積みかさねることによって、先史時代の祖先たちにとっては自然の条件として経験され、十分な出発点となっていたものが、生存条件が変わり、その子孫たちにとっては対照的に対抗自然としてあらわれる。


 人間個人の身体は、生理学的(非象徴的)運動の領域と象徴的行動の領域とが落ち合う地点である。人格的同一性は個人の定位を構成する複合的な諸姿勢(「人格の同等性」)に焦点を合わせる(諸関係の感覚と対応する「現実性」の感覚)。


 さて、動機づけに関する発言を一緒にすることによって当時の難局を解決する試みに戻ると(幾分行き当たりばったりではあるが)、ニーチェの役割は私が彼の名を借りて「不調和による遠近法」という表現をつくりだしたときに考えたより、ずっと「根源的」であることがわかる。しかし、次の段階であるこの点については、幸運な発見をあげることができる。最近まで知らなかったのであるが、カナダのセント・メリー大学社会学学科のマイケル・オヴァーイングトンによる「ケネス・バークと劇学の方法」(『理論と社会』4号、エルスヴィーユ科学出版社、アムステルダム)の一節である。

 

 余りに狭い適用をしないなら、「不調和による遠近法」という概念は社会学に異質なものではない。アメリカの社会学者に関して言うなら、シカゴ学派に適用されているだろう。『シカゴ大学社会学シリーズ』はシカゴにおける調査研究の最良の集成であり、三十五巻にも及ぶが、最もよく知られ学派を最もよく代表するとされているのが逸脱についての研究である。それらを扱った巻においては、「専門職」「経歴」「道徳性」などといった言葉が使われ、異常者や犯罪者の行動の分析にイロニーが用いられている。こうして「尊敬の」言葉と異常な行動とを結びつけることは、明らかにバークが言う言語による不調和を捉えている。

 

イロニーのなかのイロニー!私はイロニーについて長々と述べたことはなかったし、イロニーをこうした文脈で特に考えたこともなかったし(そうすべきではあったが)、いつかそのうちにと思ったわけでもなかった。遅ればせではあるが、そう、かくも「示唆に富む」好意的な議論に出会えて法外な幸せである。何が「イロニー的な」考察の「テキスト」として役立っているかというオヴァーイングトンの疑問がすべての問題をあるべき場所に落ち着かせる助けとなる。


 昔、ベンサムの三組の用語について書いて以来、私は彼の構想をある意味「ベンサム的」にではなく使ってきた。(彼は言葉について憤慨しており、それに私の違反がつけ加わった。)彼は「中性」的な用語に替えて「検閲的な」対となる言葉(「称讃的」あるいは「非難的」)を使うことを目的としたが、私は教育的訓練として、それら三つの姿勢の間を試験的修辞的に転換していくことを提案した――競技者が問題のどちら側に立って論じる用意もしておき、ぎりぎりになるまでどちら側につくか知らされない古くからあるディベート・クラブのやり方のようだが、私の図式では姿勢の柔軟性は厳密にイデオロギー的というよりはより詩的、あるいは劇的である。


 しかし、形を保つ一つの方法としてこうした柔軟性を考えると、このような融通性というものがベルグソン以上にニーチェからいかに遠く離れたものであるか悟らされる。それ故、ニーチェベルグソンは両者ともその遠近法主義によってカント主義者ではあるが、既に見たように、始まりにおいてテクノロジー的自然/超自然の定位であったものが頂点においてテクノロジー的自然/対抗自然の定位に向う本質的な変容を予示していたのはニーチェのものである(ヘーゲルがいたらマルクスとの関係を否定するように、カントも必死になってその関係を否定するだろうが)。(この発展は、我々の魔術的-神話的-そして/あるいは-神学的揺籃時代が個人的な性質としてはいまだ我々とともにあり、新たな身体が生まれ言語を学ぶたびに新たに生まれ変わることでより複雑になる。)


 ニーチェは、肯定か否定かというもつれも含め、こうした絡み合いのなかにいた(姉妹編の『歴史への姿勢』では、「組織化」の問題に関し受容と拒絶を究極的な姿勢として中心に据えた)。そして私は、「再定位」の段階が(人間による自己破壊には及ばない)、超自然において完成に達する自然で個人的な想像から、対抗自然においてテクノロジー的には完成するが、苦しい道でもある道具主義的遠近法への展開に内包された根源的な変容を達成しようとする恒久的な実験であろうと考える。

ケネス・バーク『恒久性と変化』78(翻訳)

Ⅶ.動機としての「完成」

 

 「罪の贖い」といった概念を考えるとき、ベンサムなら「原型的イメージ」とでも呼んだであろうもの、賠償によって債務を皆済することが認められる。次に、こうした考えに一般的に沿うと、社会の一般的な生活手段が純粋に「精神的な」概念や観念の形成といかに類似したものを提供するかが見て取れよう。この点からすると、罪と贖いという概念がいかに、物質的財産の交換に関わる現在あるいは過去の社会慣習を反映しているか充分明らかだと考えられよう。


 こうした考察の生産性やある種の目的に対する適切性を否定するわけではないが、我々は読者に、いま行われている「劇学的」な考え方では、イメージが借りてこられる「物質的」領域とそれが「虚構」として適用される「精神的な」領域との間に重要な中間的段階をつけ加えることを思い起こしてもらおう。この中間段階には、アナロジーが借りてこられる概念や関係をある種「完璧化する」ことあるいは「絶対化する」ことが含まれる。


 賠償される負債という考えには、ある種の「論理的結末」あるいは「究極的な還元」が「含まれている」。即ち、商行為という観念には、いわば疑問が含まれている、「商業において最も完璧な行為とは、『最上級の』商行為、『商行為中の商行為』とは何であろうか」と。何らかの行為がシンボルの領域に持ち込まれるや否や、こうしたつきつめた考察が響き渡ることになる。シンボルの論理は普遍的な定義という完全性へ向けて進む。(論理的には定義の要求としてあらわれるこうした純粋に特化されたシンボリズムの衝動は、道徳的政治的には「正義」の問題に関わる精神の自然な考察にあらわれている。)


 このとき、個々の行為(「断片的な」行為)は単なる「これこれのアナロジーに従ったもの」としてではなく、それに応じた完全性のなかで考えられる。完璧な存在としての神学的な神の概念は、おそらくシンボリズムに含まれる「究極性の論理」の究極的な定式化であろう。


 そこで、見て触れるものをそれに対応する「虚構」に翻訳することで得た「断片的な」語に出くわしたとき、我々はアナロジーのそれらしい「自然さ」だけに説得力を求めるべきではない(神が、シェイクスピアシャイロックのように、契約の不履行に対して報復を求めるというような擬人論的な考えのように)。むしろ、「究極的な」動機づけが偶然性の世界にさえ含まれることになる道筋を明らかにしてみるべきである。


 例えば、諸事物における「精神」を「社会神秘論的に」探ろうとするとき、我々は単純な対応から始めることができる。大学のキャンパスにある刈り揃えられた芝生は、自然にある単なる芝生とは異なり、記章としての社会的役割をもっており、ある種の道徳的学問的義務からの解放に結びついた約束や特質をもつある秩序をあらわしている。しかし、結局は位階的秩序の原理ということになるこうした直接的な対応はすべて、原理としての性質によって、「完璧」であり「究極的」である(それゆえ、厳密に言えば「神」と同一視されるものであり、おそらくは神性に関して我々の観念が不都合なためではなく、社会的区別に関する我々の観念が進んでいるために、社会的相違、社会的区別は神性と精妙に絡み合うことが可能である)。


 世俗的な敵の「完成」は最も明瞭に観察できる例であり、そこでは中間的な絶対化の段階が含まれている。現代の広範囲に渡る複雑な世界では、我々の不幸に対する「完璧な」物質的犠牲を見いだすことは困難であろう。しかし、「完璧な」犠牲の原理には犠牲行為の観念そのものが含まれており、人間は不快に対して「完璧な」観点をもつという「自然で」無意識の欲望を持っているものであるから、犠牲に関して、その献げ物が完全なものであれば、それに応じて治癒も完全なものとなると言いたがるものである。かくして、敵の「断片的な」性質が絶対者の属性を取ることになる。


 位階的精神病質(罪、驚異、冒険、カタルシス、犠牲行為などとともに社会秩序と絡み合っている)は社会秩序から自然に生じてくるものであり、自由な社会は位階的な魔術の建設が最も困難であるような種類の考え方を、その世俗的な教育方法において強調するべきであるように思える。こうした魔術を「有効に」調整するには独裁制が最適である。だが、位階はそれを疑問視するものからさえ生じるのは明らかである。例えば、原則として、科学はこうした「神秘」に対立している。だがまた、必然的に、至るところにある科学的テクノロジー的位階においては地位と職務について同じカテゴリーの価値が存在している。


 実際、位階の動機に対する正しい教育的取り組みとは、現在のように、「神秘化」と「暴露」、ジャーナリスティックな「宣伝」とそれと補償的な「性格毀損」との間を揺れ動くのではなく、社会秩序に不可欠な社会形式の認知と受容を最もよく適用した熟考と寛容とを目指すべきであろう。


 短期的には、「神秘化」は社会的凝集を促すのに最適な方法のように思われる。しかし、それは特殊で災厄をもたらす利害を守るために歴史においてしばしば誤って用いられているので、長期的にはその限界を明瞭に見定めることである。同様に、完全にすべてが「暴露」された世界においては、いかなる社会的凝集も可能ではないだろう。(しかしながら、通常そこには詐術がある。「暴露家」は、一方において破壊の行為を見せつけ、他方においてひそかに建設を行っているので、手品同様自分のすることの結果を正確に予見することができる。)


 極端から極端への動揺は、社会が社会的秩序においてある役割を演じる個々の人物を考えるときに通常のことであろう(そして、根本的な転倒の時期には、カテゴリー的な役割そのものがそうした動揺を被る)。しかし、教育体系がこの目的に向けて計画されれば、この動揺は方法を介入させることによって、理性的に安定化させられるのではないだろうか。

 

ケネス・バーク『恒久性と変化』77(翻訳)

Ⅵ.犠牲行為の諸相

 

 ここで、我々の劇学的な考え方に沿った考察を試みてみよう。


 犠牲行為による正当化の様態の一つとして、世俗化された「苦行」についてみてみよう。別の場所で発表された論文「批評家にとっての死観:死と死ぬことについての簡潔な語彙集」(『批評的エッセイ』1952年10月)から引用しよう。

 

 「もし人が甘んじて受ける社会的責任が存在し、良心に従って越えることを望まない社会的境界が存在するなら、野心や侵害に科せられたこうした道徳的な制限はその姿勢において「犠牲的」である。究極的にはそれは、計画的に諸感覚を「克服する」禁欲的な規律に達する。例えば、自己抑制の過剰な勇ましさは、生に対する戦略として組織化され、「死につつある生」に対する崇拝に大きな支えを見いだすことになる。その正反対のことが欲することを為せというスローガンの掲げられたラブレーのテレマ修道院では賞揚されている。


 苦行とは細心かつ計画的に自己に対して制限を課していくことである。ある種の社会秩序を維持していくための必要が、それに応じた個人的良心を必要とする場合もある。そうした必要性の原理が細心に過剰なまでに実行されると、「苦行」を得ることになる。(例えば、私的所有権という条件が一夫一婦制の理想を要求するものであり、そうした理想を徹底し、完全に実行するには他人の妻に対して侵犯するべきでないことが要求されるとすると、「苦行」の規則に従えば、そうした侵犯を望ましいものと思わせるような「感覚」をなんであれ意志的に罰するべきだということになる。)」

 

 こうした考え方は、敬虔さによって意志的に選び取られた純潔を誓うことで成り立っている。しかし、心因性の病いもまた、意識的な規律の規範はないにしても、同じ動機が様々に装われたものであり得るだろう。というのも、それは、いやでもおうでも、自己に反対して為される判断を実行するものだからである。


 「犯罪」も同様の動機秩序であろうが、「自殺」的であるよりは「他殺」的な傾向を持っている。(しばしば犯罪学者によって記されている)諸動機の典型的な逆転を考えてみると、犯罪的な姿勢が実際の犯罪への関与に先行し、その結果犯罪は曖昧で、非現実的で、神秘的でさえある情感が現実にいまここにある何ものかに翻訳されることになる。(この場合、犯罪の感覚が酸のように良心をむしばみ、代わりに単なる空想世界を生みだすような場合よりもより「正常」で「健康的」と考えられる。)


 つまり、我々はその関係が「原罪」と「現実の罪」との関係のようなものだと示唆している(不安やカテゴリーとしての「罪」に対応するような「原罪」は社会的秩序に含まれている。「現実の罪」への誘惑なるものは、こうした一般的な動機を所有権や人格に対する不法な侵害にまつわる個人的な犯罪衝動に還元するある種のこじつけである)。ある種の条件においては、カテゴリーとしての動機がそれに対応する個人的な動機の母体となるかもしれないことを示しているわけである。即ち、絶対的で包括的、あるいは「部族的な」罪と、それに応じた絶対的な取り消しの手段が適切に釣り合ったものでない限り、犯罪は部分的な「解決」の一つとなる。実際、それはある種の統一感を与え、追跡され捕まっていない犯罪者にとって危険は「至るところ」にある。(ドストエフスキーにおける犯罪の「神秘」を見よ。)


 同様に戦いは、その「形象」としての本質において(この本質は軍隊の位階の明瞭なピラミッド状によって補強されている)、その実行よりも見込みにおいてより容易に「カタルシス的」なものとなりうる。敵対の弁証法は、敵を「完璧に」儀式的な役割を果すものと自然に想像し、その犠牲によってあらゆる悪が改善されると考えられるようになる。そして、敵に負わされたカタルシス的役割から生じる間違った見込みは、こうした諸動機が戦争が遂行される際には強さを増していくばかりでなく(「聖戦」となることによって)、平和的な国際関係ばかりか、理性的な軍事防衛の計画のときでさえ高い負担を必要とすることを示している。


 最も研究が必要であり、最も研究がそれと認めることさえ困難なのは、位階の存在そのものが、別のときであれば有用な批評を行うことのできる最も有能な人間たちの間に不当な黙従を生みだしてしまうあり方である。こうした状況はおそらく、小心さや追従からというより、秩序に自然に蓄積された「所有権」のネットワークから生じるものであろう。もし権威にある「位階的精神病質」が、社会全体を混乱に陥れることによって最終的には自らの利害までも損なってしまうようなやり方で、自然な傾向に逆らい特殊な利害を守ろうとするものであれば、そうした精神病質を明瞭かつ方法的に研究する必要がある。


 難点の一つは、人文主義的な教育が無駄に行われる傾向に見て取れる。博士号の典型的な主題を少しでも見れば、いまだに行われている優雅なる見当外れ(「優雅」には疑問符がつく)は明らかである。時宜を外れたものが歓迎され、いまの問題にほとんど助けとならないものによって誤りが広く行きわたっている。間違った前提の詰まった、記章としてさえ問題の多い記章を獲得することを教えるのが目的のようなのである。

 

ケネス・バーク『恒久性と変化』76(翻訳)

Ⅴ.犠牲行為の「完成」

 

 ある意味で、我々は陳腐な事柄を再発見しているに過ぎない。実際的な政治家が、敵とでも共有されるものを使って同盟を結び、一時的に相異を棚上げすることなどはごく「自然」で「正常な」こととして誰でもが認めているからである。それでは我々は、最近になって「スケープゴート原理」のマキャベリズム的使用の可能性を再発見したことになる。


 「スケープゴート原理」(聖職者や修辞家によって使用され、人類学者や政治行動の理論家によって研究されている)は確かにここに含まれるものである。そして、我々がそれについて一般的に知られていることを概観するだけにしても、それが社会的動機づけのいかなる用語法においても突出した位置を占めることは明らかであろう。(陳腐な事柄であることは、人間の用語法や組織的行動において占める高い位置を奪い去るものではない。)しかし、我々は更なる一歩を思い描くことになる。


 自然主義的、あるいは実証主義的に心を見ている多くの人間は、儀式的なスケープゴートを単なる「幻影」と見なしている。彼らは、野蛮人、子供、政治的扇動家、物語作者などが、その使用法を教え込まれる必要もなく、そうした仕掛けを無意識のうちに使うという意味においてそれらが「自然」だと認めている。実際にはそれは必要ではない。自然主義的な知識が行きわたることによって、人類はこうした自然な弱さに免疫を持つようになるだろう。


 こうした人々は通常、科学的な精神を涵養することによって、儀式的(象徴的)犠牲を使うことによって実際的問題を解決しようとするような感受性に対して抵抗できるようになると感じているようである。そして、こうした傾向がめぐりくるものである限り、問題は断片的に解決されるものだと思っているようである。結果的に彼らは悪魔を取り逃がしその軍団を相手にすることになるだろう。つまり、最終的にはこう言うことになる。B級映画の悪漢は治癒的効果のある犠牲としておこう、ラジオの道化にはまた別の効果があり、殺人ミステリーの死体にもまた別の、プロボクサーの壊し屋はまた別、真剣勝負も別、政治キャンペーンの一時的な騒ぎも別、仕事場でライバルに仕掛けられたイタズラも別、庭の雑草を取ったり煙草の吸いさしを乱暴にもみ消すのもまた別、等々。我々の文明が労働と余暇のおびただしい多様性によって特徴づけられている限り、それは断片的なものであり――その限りにおいて、治癒的効果を持つ犠牲行為もそれに応じて断片的なものとなるように思われる。


 しかし、ここにはまた、断片化の条件そのものが包括的な治癒の必要として感じられ得るという意味がある。断片化は瑣末な事柄をつくりだす。そして、瑣末さに治癒的要素が存在すれば(最近のラジオの「ギャク作家」が「ヤック」という破裂音に示す熱狂に明らかなように、熱心に探し求められる要素)、社会的には病的なある種の組織的な愚鈍さへと積み重なりうる。断片的な犠牲の集積物は、今度それが治癒される必要があるとすると、「全体的な」犠牲を必要とするかもしれない。


 さて、人が十全なる宗教的な意味において真に信心深いならば、ここにはなんの困難もないであろう。というのも、普遍的なる神の完璧な犠牲のことを敬虔に思いかえしてみれば、そこには病的な断片化を矯正するのに必要な全体性の諸要素が存在するからである。そして、そうした神話の基本的な構造は、ギリシャ悲劇の儀式的な犠牲において古典的な純粋さを有している(犠牲行為によるカタルシスが、複雑な筋によって曖昧にされ簡潔性が失われた劇とは対照的に)。


 しかしながら、宗教的な神話という口実を使うこともなく、明らかに物質主義的、操作的、管理的、テクノロジー的面が強化されている社会秩序に直面しようという大きな誘惑が強調されている(新聞の日曜版での取り上げられ方でも証明されているように)。そして、宗教そのものに関しては、いかにその平和的、福音的な側面が軍事的組織的側面の背後に後退してきているかを考えねばならない。


 しかし、我々は宗教を弁護するわけでも攻撃するわけでもない。現代文明で支配的な世俗的な性質によって変化を蒙った完璧なる犠牲の治癒的全体性に言及した際、我々はこうした状況において最も「自然な」犠牲行為とはヒトラー主義的なものになるだろうと考えた(総体的なカタルシスをもたらす友人よりも総体的なカタルシスをもたらす敵という観念を強調する)。


 ここに、明白で完全な贖罪の手段があった。種的に「完璧な」犠牲者を捧げることで、「理想化された」敵を物質的に具体化するからである。


 しかし、断片化の病いの治療薬として敵意の「全体性」を強調したとしても、我々の主要な論点が隠されるのを許すべきではない。罪、神秘、野心(「冒険」)、正当化が絡み合った「秩序」そのものは、眼で見触れることのできる物質的事物にも浸透しており、それを通じて秩序の精神が認められる。この意味において、シンボルを使用する動物として人間は、自分がその一部である社会的秩序から生じる象徴的な靄を通じておぼろげな人間の「動物的」特徴を見なければならない。かくして、人間の組織的な行動に関する経験論的、自然主義的、実証主義的、行動論的、操作主義的、心理学的各観点は、必然的に、物質的属性(事物や方法の)の非象徴的側面にもっともらしい現実性を与えることで、社会における人間の究極的な動機に関して幻影を加えるだけに違いない。


 実験室やオフィスは寺院と同じく精神、土地の精霊が宿っている(その精神はより広い秩序に関連し、そこから権威を引きだす)。そして、こうした動機が本質的にピラミッド構造として考えられないとすると(それに応じた罪と贖罪を伴った)、社会的行動全体の見取り図として適切な用語法を得ることは困難である。かくして、神学と同じように、理想的な用語法は操作主義的なものであるよりは劇学的なものであるべきである。現代のテクノロジーが生みだした新たな所有にどれ程法外な動機づけとしての重要性、またそれらを運用する際の技術の重要性を認めるにしても、理想的な用語法とは、まず第一に、いかに人間とその所有物との関係が「象徴的に」構成されているかを見ようとするものでなければならない。

 

ケネス・バーク『恒久性と変化』75(翻訳)

Ⅳ.「二つの重大な契機」

 

 前三節において、我々は次のことを見た。(1)人間に特徴的なシンボルを使用する動物としての性質は、単なる動物としての属の性質を超越し、純粋に人工的な所有、権利、義務が生じる。(2)複雑な社会秩序のなかで必然的な所有は人間関係相互のなかでの社会的神秘による「気後れ」を生みだし、厳密に言うとそれとは密接な関係のない思考の領域にまで浸透する姿勢を生みだす。(3)「官僚制」「位階」「秩序」といった言葉は、権威また礼儀作法の規範との関係故に社会的神秘の領域に関わる。ここで、我々の議論に基本的と考える問題を述べる準備が整った。コールリッジの『内省への助け』を引用しよう。


 「キリスト教の二つの重大な契機は原罪と贖罪である。それが我々の信仰の根拠であり上部構造である。」


 この論文が基づいている仮定とは、人間関係についての社会的用語法は(組織化された諸努力によって特徴づけられた諸条件や、そうした諸条件に対する典型的な反応から考えだされた)、正確かつ簡潔な神学的な定式以上のものを説明しはしないのであり、そうした定式に関して「我々は常に世俗的な等価物と対応する道筋を見て取るのである」。


 基本的に言って、絶対的な「罪」の原理が宣言されると同時に、それに対応した絶対的な罪の償却を意図した原理が宣言されるというパターンである。そして、この償却は、犠牲を捧げることで企てられ、犠牲とするものの適切さに応じて絶対的なものとなる。「罪」が「断片的」なものである限り、「断片化」そのものが「絶対的な」条件であるということは除いても、それに応じた「断片的な」犠牲であれば負債を償却するのに十分であろう。


 端的に言って、ある「原罪」(部族的なあるいは「受け継がれた」罪)が与えられると、シンボルの究極的な論理により、その補償として儀式的に完璧な犠牲が捧げられることが「規範」となるだろう。それ故、宗教的パターン(「原罪」と犠牲による償い)が人間の位階(そうした位階に応じた神秘のありようとともに)における「カタルシス」として適切なものである限り、犠牲を通じて社会的な凝集を高めることは「正常」で「自然」なこととなろう。


 我々はここで最も広い側面から問題を議論している。個々の事例を見れば、「断片的な」スケープゴートの選び方は根拠がなく病的なまで歪んでいるかもしれない。(明白かつ激烈な近年の例として、ヒットラー政権が包括的に考え、ユダヤ人を「完璧な」献げ物として選択し社会的凝集を高めようとしたことがある。)しかし、我々が示唆しているのは、中世ヨーロッパの巨大なピラミッド状の社会構造が、「原罪」と「贖罪」という二つの「契機」に基づいた道徳的浄化の体系において究極的な表現を見いだしたとすると、位階的秩序(我々の知る限り唯一の「組織化された」秩序)に本質的な「罪」はそれに応じた「犠牲を捧げる」ことによる「贖罪」が要求されることになろう。


 我々はそうであるべきだと言っているのではない。キリスト教教義の二つの本質的な「契機」に関するコールリッジの発言に関連して、我々の文化の揺籃期を形成した偉大な宗教的神学的教義(そして、二次的には現在において特徴的な科学的あるいはテクノロジー的観点の揺籃期においても)においてはそうだと言っているに過ぎない。


 今日の作家が、我々の社会のことではなく、ギリシャ悲劇と関係する純粋に文学的な問題を考えるとき、新たな鮮明さをもってこのパターンの論理を感じることが起きている。つまり、「カタルシス」の問題である(アリストテレスが『詩学』で悲劇の定義において強調したものであるが、彼がその観念を説明した部分は失われており、『政治学』に僅かな言及があるが、そこでも詳しくは『詩学』にと指示されている)。典型的な市民的儀式であるギリシャ悲劇は、市民の緊張を解消する儀式であることを目的とされている(その緊張は最終的な分析によれば常に所有の問題に帰せられる)。そして、悲劇においては(アリストファネスの喜劇においてもそうであるが)、犠牲の原理が本質的な役割を果しており、我々は人間の社会というのは、集団の個々の成員が共有しているものの象徴的犠牲なしにはまとまることができないのであろうかと問い始めることになる。


 コールリッジの二つの「契機」と同じように、ここには人間の社会的動機づけの中心部があると我々は言っているのである。注意を動機づけの他の領域に向けるような枠組みは、その洞察がこの中心となる難問へと立ち戻れるものでない限り、手痛い失敗となる。


 ギリシャ悲劇が憐れみや恐れといった感情を喚起することを目的として犠牲行為を模倣し、それによっていかに「カタルシス」(様式的な観衆の浄化)を生みだすのかを自問することで、我々は「正常な」犠牲行為がいかなるものであるかを理解し始める。それは露骨な形で為されることもあり得る。ヒトラー主義は侮辱的なまでに露骨である明らかな例である。しかし、磔刑の教義の裏にある根拠とギリシャ悲劇のパターンを同時に考え合わせると(我々の文化が生じてきた他の大きな流れとしてアザゼルの言い伝えを忘れるべきではないが)我々は犠牲行為の動機がいかに深いものであるかを問い始めることになる。つまりこうである。あらゆる複雑な社会秩序が必然的に何らかの所有構造に基づいている限り、そして多様な側面をもつそうした秩序が全て、神学者が「原罪」として説明するような社会的病いをつくりだすものである限り、犠牲を捧げる儀式が社会的分離の原理を越える社会的凝集の原理を主張する「自然な」手段であることが可能なのではないだろうか。

ケネス・バーク『恒久性と変化』74(翻訳)

Ⅲ.位階、官僚制、秩序

 

 「位階的動機」と言うことで、我々が「名声」などの同義語を提示しているだけだと考えられるかもしれない。競争を含む語であれば何でも目的に役立つので、ある意味ではそうも言える。しかし、我々の関心事は用語の問題ではないし、類義語の問題でもない。用語をめぐる議論が真に重要な問題を隠してしまうことが多すぎる。(ある用語体系のなかでは)一つの用語は他の用語によって変更を蒙っている。


 以前の著作(『歴史への姿勢』)で、政治的動物としての人間について語ったとき、我々は「官僚制」という言葉を用いた。より正確にいうと「官僚化」である。対立する言葉として「想像的なもの」があった。つまり、想像力のなかで漠然と考えられる計画や目的のことである。そして、組織的な仕組みを形成し、使用することによって、こうした「想像的な」目的は実行され、様々な程度で成功し、様々な程度で公的な黙認を得る。


 概念は関連性の度合いを持っている。また形而上学をも持っている。そのパターンは本質的に観念論的であることが見て取れる。我々が思い浮かべているのは、神の化身であり、神が地上にもたらした世界というロイスによる観念論の定式である。要するに、観念論の遠近法では、純粋な精神、観念、理想、目的が存在する。この観念は時間的秩序(「自然」と「歴史」の)のなかで和解あるいは物質化(化身、具体化)に達する。この意味において、歴史学とは地上に降り立ち、肉体をもって現れる神のヴィジョンとなるであろう。(我々はロイスを敷衍している。)この観点から見ると、「想像的なものの官僚化」という我々の定式は、それ自体神学的教義の部分的世俗化である観念論的形而上学を更に世俗化したものであった。


 観念論も、二次的な考察によってプラグマティズムの方向に修正することが可能である。例えば、観念論が本来的な目的とそれに対応する物理的人間的な部分での具体化との関係を普遍化し、宇宙論的にするものだと言えるなら、プラグマティズムは理念を具体化する材料や方法の特殊な選択が、いかに理想の精神とは矛盾する条件を生じさせるかを示すものだと言えよう。(我々はそうした成り行きを「意図せざる副産物」と呼ぶ。)そして、こうした見通すことのできない諸条件から、目的を再定義する必要が生じる。それ故、観念論が目的から手段へと移る(目的から媒体作用へ)媒介の段階を強調するとすると、プラグマティズムはむしろ媒介作用から目的への段階を強要する(利用できる手段の性質から目的を引き出す場合のように)。


 そして、どちらの作業にも権威を受容したり拒絶したりする、あるいはその他何らかの形で権威を関係をもつことが必然的に含まれるので、我々は権威のシンボルと関係をもつ用語法を作り上げた。


 官僚制と位階とは明らかに互いを含んでいる。同じ理由から、論理的に言って、官僚制(「組織化」の意味における)なしに位階をもつことはできない。しかし、思うに、位階なしに官僚制をもつことはできるかもしれない。つまり、絶対的な平等のなかでの組織化された共同社業という観念は何ら論理的矛盾を含んでいないように思われる。しかし、実践においては、少なくとも権威が委ねられていなければ、我々の知る組織的な行動は不可能である。そうした権威は様々な仕方で修正されうる。しかし、どんな範囲で実行される作業であろうと、完全に権威を廃絶することは我々の知識や想像力を越えている。


 仕事の組織化において権威の梯子に与えられる実際的な必要は、(芸術や科学の実験室における)諸段階という概念に合っている。手順が「正当な」順序で進まない限り、その有効性は損なわれる。そして、その仕事が社会的な意味で権威があるのであれ、自然的な意味で成功しているというのであれ、そこには必然的に単に規則的ではない定式化された「秩序」が存在する(第一、第二、第三法規等々――教皇や王による絶対的な法規から、自由な仕事において特定の時期に局限された純粋にプラグマティックな慣習に至るまで)。