ケネス・バーク『恒久性と変化』80(翻訳)

 締めくくりにあたり、別の観点に立ってみるのがいいだろう。この後記はあちらこちらに眼をやっている。そのすべてを一度に見るには、リチャード・H・ブラウンによる『社会学のための詩学:社会科学のための発見の論理に向けて』(ケンブリッジ大学出版、1977年)に言及すべきだろう。私の本が「ヒューマニスティックなあるいは詩的な合理化」と称されているが(65ページ)、私の試験的な手探りから四十年を経て出版されたこの本は、非常に示唆に富み、幅広い知識が印象的であるが、本質的には私の本と同じ流れにあるものである。私の本が出版されてから書かれた数多くの本を探索した著者が私と似たような視点を取ってくれたことは、『恒久性と変化』が単なる博物館所蔵の本ではないことを感じさせてくれた(現在の空中走査線と比較した昔の望遠鏡のように)。


 ブラウンは広範囲に渡る問題を扱っているが、社会学という学科が多方面に分岐しうることを証明している。専門家による数多くのテキストは、各断片に焦点を当てることで専門化するだけではなく、それぞれが弟子をもち、彼らがそれら下位区分をより発展させ、それぞれの仕事と著作によって方法論を洗練させることで、断片化はしばしば多様な「学際」となって拡がることにもなる。広範囲に渡る概観とともに、専門的な自己批判も含めて方法論に関わる論争に伴う様々な姿勢の移り変わりについても豊かな感受性を示している。彼が用いる資料の多くは四十年前にはなかった出版物である。また、それ以来感じ声にしてきた私の発言の多くが有益に言い直され、ブラウンの本で注釈されている。


 ブラウンの「詩的」が体現している立場は「象徴的リアリズム」と彼によって言われている。私が結果的に「ロゴロジー」の「劇学」と名づけた立場は既に『恒久性と変化』及び『歴史への姿勢』にあらわれている。どちらの立場も「シンボル学」のもとに分類されうる。その相似を論じてみよう。しかし、まず、私が重要な相違と考えるものについて言及した方がいいかもしれない。身体を「個別化の原理」として強調する私のやり方は、彼の「象徴的リアリズム」と直接対立はしないまでも、言語を学ぶ身体という私の定義にとって最適な考察をともにすることはない。個別化の原理(中枢にある神経組織に基づく)は、純粋に生理学的な有機体としての我々が非象徴的な運動の領域で経験する「一時的で、直接の」感覚と、象徴体系の学習によって獲得される「現実」に関する広範囲に渡る「媒介された」知識(象徴的行動の領域で、そこで我々は解釈、定位、それに応じた文化的関係という完全に公的なあり方に接することになる)とのあいだに二元論的な区別を認める。


 より特殊社会学的なブラウンの焦点のあて方と、私が最終的に「ロゴロジー」と名づけたものと重なりあう部分(そして分岐する部分)については、「象徴的リアリズムと遠近法的知識」についての「認知的美学」が「観点」に関する章で始まっていることに注目しよう。これは『恒久性と変化』の「定位」と「遠近法」に近しい。次に「隠喩」の問題に移っているが、そこでも我々は平行して進むが、ただトーマス・クーンいうところの「パラダイム」については、私が「モデル」や「遠近法」のように喚起力のある意味の言葉を探し回っていた際には市場に出ていないものだった。また、「隠喩的拡張」の変わりに、『恒久性と変化』で頻繁に使っているのは「類推的拡張」である。「類推的」という言葉は、あるものに明示的な要素が他のものについては暗黙の前提として分析される社会的文脈を比較するのに特に役立つものであり、「比較社会学」の場合、そうした観察を単に「隠喩的」とは言わないだろうと思う。


 いずれにせよ、ブラウンは「隠喩」から「イロニー」へと進み、「社会学理論におけるイロニー」「ヒューマニズムとしてのイロニー主義」、とりわけ、方法論的な観点から「発見の論理としてのイロニー」を書いている。そして、「イロニーの出発点はケネス・バークが『不調和による遠近法』と呼んだものであり・・・対立のもと見ることで状況を測定する方法である」(215,270ページ)とある。176ページにも関連した言及がある。「我々の主要な関心は・・・劇的あるいは弁証法的なイロニーであり、ケネス・バークが『「真理」の発見と記述において・・・主要な修辞的技法』と呼んだものである。」また247ページにおいて、「距離化」の問題について、ブラウンは「バークが『不調和による遠近法と呼ぶもの』」と述べている。彼は『恒久性と変化』は読んでいなかったが、抜粋からなる『不調和による遠近法』(スタンリー・ハイマン編集で1964年に出版された)には眼を通しており、そこには『歴史への姿勢』からその概念を述べた場所が抜き出されていた。


 イロニー的な「二重視」とその「計画的不調和」は広い表現の範囲を覆うものであり、既に述べたように、この本の最初の書評は、『詩:詩の雑誌』と『アメリカン・ジャーナル・オブ・ソシオロジー』という読者のまったく異なる二冊の雑誌で取り上げられた。しかし、この分裂はブラウンの著作と関係のある問題ではなく、『恒久性と変化』が『反対陳述』から発したものであり、純粋な文学的形式の本性を定義しようと始められたのだが、「自己表現」から「コミュニケーション」という道筋を取ることで、文学の領域からは外れてしまう考察への導かれたのである。また、私は言語をまずは行動の一様態として強調したが、ブラウンの「美的遠近法」の位置づけは知識にある。そして、我々の立場が違うのであれ違わないのであれ、私の書いた「劇学」(『社会科学百科事典』)は方法論的な問題に踏み込んでいる。この問題については、デニス・H・ロングの「現代社会学における超社会的な人間の概念」(『アメリ社会学レヴュー』1961年26号)で論じられている。そこでロングは、「現代の社会学はすべて結局のところ、功利主義、古典経済学、社会ダーウィニズム俗流マルクス主義に含まれる部分的な人間の見方に対する抵抗から発している」が、「自分の地歩を占めたいと願っている現代の社会学者が、社会化された人間という別の物象化された創造物」をつくりだす危険があると非難している(190ページ)。彼は「全体的な真理と取らない」限りにおいて、「そうした人間のイメージは・・・限定的目的には価値がある」ことを認めている。


 ロングの方法論的な勧告の意味するところを解釈すると、「科学」と「哲学」との相違に行き着くことになろう。というのも、

 

どんな科学でも特殊な研究分野で用いられる用語体系をもっている限り、その特殊な用語を拡張して一般的な人間の定義に用いることは、必然的に問題を超社会化、超心理学化、超物理学化等々とすることになろう。あるいは、その定義は、別の専門的な用語体系からなにかをつけ加えることによって修正されねばならないだろう(それ故、専門的な科学的定義の厳密で方法論上の制限を超えたアマルガムを産みだすこととなろう)。(449-50ページ)

 

 ここは「哲学的な」定義が理想的にはどうあるべきかを論じる場所ではない。(ちなみに、私であれば、すべての報告が出揃うまでは、臨時に「ロゴロジカルな」定義で妥協するよう提案するだろう。)しかし、少なくとも、排除によって、それが事実上取るべきではない形については確信をもって言える。(唯一の)シンボルを使用する動物としての我々の一般的な定義は、機械に還元することはできない。機械は非生物学的な人工物であり、快不快に本質的に関わる基本的な観点を欠いており、気分というもの、つまり、ほんの僅かのリリシズムもなく、とりわけ、笑いのボタンは取り付けられても、自発的に笑うことはできないのである。「象徴的リアリズム」の理論も「象徴的行動」の理論も、詳細に見ればそれ以降とる道はどんなに異なっているとしても、この点については原理的に完全に一致すると私は確信している。特に、私が問い続けているのは、純粋に生理学的な「個別化の原理」が厳密に社会学的な意味において社会的ではないという事実が究極的に意味するところである。


 デニス・ロングの勧告は「結論」(「技術主義とヒューマニズムとの葛藤」についての)においても反映されているようだが、それは、イロニーを印象的に区分していくブラウンに従うものである。彼は社会学を、「哲学と社会行動の間に立つ」ものとしている。また、「科学的リアリズム」と彼が「象徴的リアリズム」と呼ぶものとを区別し、「社会学が自らのメタ構造として想定するもの」を論じるときに(228ページ)それを再確認している。


 社会学の「メタ構造」とはどれ程包括的なものなのだろうか。私が「劇学」で引用したタルコット・パーソンズの一節はこう始まっている。「確かに、行動の状況には、常識的に物理的環境や生物学的組織と呼ばれる部分が含まれる。・・・行動状況のこうした要素は物理学生物学で分析することができる。」ブラウンが社会学を哲学と社会行動の「間に立つ」ものだと書くとき、私は社会学をそれをどう使用するかも含め、「方法論」をともなった、体系的な「姿勢」として分類する機会と受取った。「哲学」はここでは一般的な「定位」をあらわしているだろう。「社会学的姿勢」はその「間」にある予備的段階であり、「道具」としての手段であろう。


 しかし待って欲しい。私はこのように語ってきたが、実際の状況は決してこんな風に進まなかったという困惑がある。既に、ブラウンの専門的かつ徹底的な(私にとっては疲労困憊させるものであった)調査が届く前に、既に幻想的なまでに理論が紛糾していたのである。あるいはこう言ってもいい。本の到着は、既に燃えさかっている炉に更に幾杯もの石炭をつぎ込んだのだと。『恒久性と変化』と『歴史に対する姿勢』の後記を書こうとしているとき、『アメリカン・ソシオロジスト』の編集者に、そのときはアレン・グリムショウだったが、コラムで発表される論文についてコメントを書いて欲しいと頼まれた。いざ始めてみると、二つの論文には他にも様々なコメントがつけられており、そのうちに私が頭を悩ませていた二つの著作ばかりでなく私の著作一般にも考えが及んでしまうのだった。


 ブラウンの観点は出発点を与えてくれたことにおいて天の賜物だった――それにもまして、彼もまたコメントを書いており、理想的に自分の問題を提示していた。しかし、私が既に(原理的に)雪に埋もれているなら、燃えさかる炉によってどれ程混乱した雪崩が引き起こされるだろうか(原文ママ)。こうしたことすべてを処理しなければならないとすると、急いでなにをどうすればいいのだろうか?問題を評価するにあたり、私にできる最良のことは、立場に決着をつけるというよりも、立場を特徴づけるに足る奇襲攻撃をこの後記において物語ることである。そして、私は、自分の立場を示すのに最も手頃な「瞬間」だけを選ぶことにおいて「便宜主義的」であろう。


 私の伏魔殿は、『アメリカン・ソシオロジスト』の1979年2月、11月号に載り、あらゆる陣営から多くの攻撃を受けた二つの論文によって解放された。一つは、マイケル・A・オヴァリントンの「自然にそうなることを行う:メタ理論の幾つかの発展」であり、もう一つは、フレッド・W・リッグスによる「概念の重要性:どうやってより曖昧でなくそれを示せるか」であった。リッグスの用語法についての論文が私が論じることを求められたものであった。


 社会学者のオヴァリントンが社会学が落ち込んでいると見た「方法論的スキャンダル」とは正確にいってなんだろうか?間接的ではあるがこう言ってみよう。「産業革命」によって「累積的に」増大した技術革新の範囲と力は、社会関係の本質に根源的な変化をもたらした(政治的革命の方面にも対応する行動を生みだすような発達)。イギリスの経済学者はこうした変化に含まれる階級闘争の性質と歴史について多くのことを書いている。ドイツの形而上学ヘーゲルは、歴史的変化のパターンを解明した。それは観念論的な弁証法であった。その聡明であるが反抗的な代役カール・マルクスは、ヘーゲルの歴史的変化に関する観念論的理論をその正反対である弁証法唯物論に変え、イギリスの経済学者たちの資料に見られる唯物論的可能性を階級闘争等々にあてはめた。ヘーゲルは絶対精神の展開から自然と歴史を引き出した。マルクスはその過程を逆にし、自然における歴史の展開から観念を引き出した。


 かくしてその枠組みのなかでは、マルクスが「科学」と「イデオロギー」を区別することに何の問題もない。というのも、自分の派生物は唯物的な「科学」であり、ヘーゲルの派生物は形而上学的な「イデオロギー」だからである。しかし、マルクス主義の革命的な社会学は、リベラルな進化論的社会学へと変容し、そこでは「科学」と「イデオロギー」の(マルクス主義者によってなされたような)「明確な」区別は考えられないものとなっている。リベラルな社会学が、例外的に、いかなる社会関係の命名法にも含まれる「イデオロギー的な」要素をあらわにすることができるとすれば、どうしてその社会学についての社会学が、社会学者の研究領域は「特権的」であり、「イデオロギー」ではなく「科学」だと主張できるだろうか。


 実際のところ、科学-イデオロギーという対の本性そのものがイデオロギー的構成要素を含む社会学的事例をつくりだす可能性さえあるのではないだろうか?少なくとも、科学の代わりにイデオロギーとテクノロジーとを基本的な対にすれば、問題は異なって見えるだろう。科学にはなにかしら、「天上」にある「純粋」科学から「応用」科学が下りてくるような意味合いがある。しかし、テクノロジーイデオロギーの対は、「理論的」パラダイムを、「実際的」領域の発達による諸混乱の帰結であり、そうした領域の反映と見る。


 占星術は「予言と支配の実際的な科学」であり、「自然な領域における」自然から超自然の物語(人間による終末論の始まり)へ向うシンボルの誘導には、強い人格的な構成要素が伴っている。そして、そこから生じた天文学は、多くの部分を積みかさねられた記録の活用に頼っており、その記録は魔術の「実際性」の助けとなり非常に有効な予期をもたらす理論と絡み合っている。(魔術は、正しく植え付けをする、あるいは雨期に雨をもたらす、あるいは雨をもたらすはずの魔術が有効に働かず干魃になったときに、対抗魔術の存在を発見する、といった穀物の生長に必要な儀式を活発に発達させるという意味で「実際的」であった。)そうした儀式は、真の魔術によって、最終的に対抗自然的な終末論をもたらす後のテクノロジーによる道具主義の発達とは対照的に、強い人格的な要素をもっている。


 いずれにしろ、オヴァリントンは、科学とイデオロギーの「境界画定」の手段として資するはずの様々な「哲学的原理」の失敗を概観することから始めている。そして、トーマス・クーンの「パラダイム」の理論に従う多くの社会学者たちが、「社会学者同士の共同体を彼らの理論の正当性と自己言及の寛容さを究極的に保証するものとして受け容れている」ことを認めている。


 議論に参加した者のうちでこれほどロングの勧告について言及している者はいない。しかし、オヴァリントンは明らかにそこに哲学的次元を見て取っている。そして、彼は社会学そのものに社会学の有効性の根拠を求める。「もし社会学の言説になんら外的な正当性、合理的な権威がないなら、我々は我々の実践の資格を実践そのものに見いだせるだけだろう。」即ち、社会学者が社会学を行う「実践的な合理性」と、それらが互いに求め合う厳しい批判的要求である。しかし、全くそうなってはいない。というのも、「社会学的実践は多様であり、ほとんど理解されていないので」、よりよい情報が与えられるまでは「社会学的合理性を実践する際の妥当な根拠が存在しない」からである。


 しかし、寛容に見過ごせないものを寛容に見過ごすためにリベラルな寛容を要求できないことは確かである。「多様な社会学的合理性」に関するローレンス・H・ハザリッグのコメントがそのことを思い起こさせてくれる。「ヒトラー政権の科学者たちによる人体実験は、しばしば非常に高い分析の技術を示していた。」この反論は、更にデル・ハイムズによる「刺激」もあって、オヴァリントンをして「単なる認知に優先する道徳的判断の奨励」を主張させている――私が判断するところ、オヴァリントンはここでデニス・ロングの警告に関連して論じられた問題の一種に出会っている。私は自分が「姿勢」ということに大いに重きを置いているために特にそれを好む――そして、私の見るところ、「道徳的判断」とはその本質においてまさしく姿勢である。


 ハイムズはまた、抽象的な科学-イデオロギーの関係からは外れる職業上の立場を取り上げている。人類学者が調査対象の言語をできるかぎり学ぼうとするとき、フィールドワークのレポートに具体化されるような科学的権威を主張しているわけではないにしろ、現地の人間こそが「権威」である。


 興味深いことだが、オヴァリントンの計画では、マルクス主義的経済学を際だたせる労働の戦略的な強調が変化した似た形を取る。オヴァリントンによる変更は、ステファン・コールのコメントに対するコメントにあらわれており、オヴァリントンが言うには「彼による社会学者が行う社会学の重要性を強調することは、メタ理論と調査によって得られたものとをわける明快なる要求」である。結果的に、「社会学的実践を構成する特殊の合理性」は、まさしくその仕事の実践において、その結果である「経験的な証拠」によって正当な根拠を与える。私が特に楽しんだのは、コールのコメントとそれが発せられたカリフォルニアがもつスタンフォードという場所との完璧なる対称性である。私もまた(ここで引用するが)

 

行動科学研究センターの研究員として一年過す幸運を得た。そこでのゲームの規則では、思ったことを自由に考え、書き、話し、聞き、勿論議論すればいいのだった(すべて「研究所の負担で」)。こうした充実した夢のような生活を送っているときに、「苦情係」の一員が来て、管理責任者に何か苦情はないかと聞かれることがある。そんなとき彼はこう答える、「苦情だって?天国にいるっていうのに」と。

 

 

 

 この文章は、コールが活発なコミュニケーションを交していた同じ研究所に私がいたときのことを語っている。苦情係が来たとき、幸福なことに、私は半年ばかり自ら定めた仕事に従事しており、それは多くの社会科学者には全く関心を持たれていないことであったが、社会学的及び人類学的関心が私をその問題へと導いたのだった。私は必要な時間と安楽と秘書とが与えられていた。「苦情係」の訪問という出来事は、私をして「研究所からの手紙」を書かせることとなったが、そのなかから私の詩的姿勢を伝えるのに最適な数行を引用しよう。

 

我が研究所は世紀を超え――
各研究員の部屋にはガラス張りの壁があり
見渡す限りの地質学的驚異が与えられる――
我々は高く飛び
花壇のなかで
金のハープを弾き
風のように歩み
遙か下方の
道を外れた哀れな人間たちについて会議を開く
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の友人たちが君の所にいる――
我々が見ているものを彼らに語って欲しい
勿論、快適なものであると

それは確実なことだと言って欲しい

誓って本当だと
勿論、すべてが充分快適だと

 

この詩は前に挙げた文を序として雑誌に発表され、ハロルド・ローゼンバーグはそれを「前-詩」と名づけてくれたが、私の気持にあったのは、研究リポートに相応しい「権威」づけを否定するような実験的な「スタイル」を取ってみようという「文学的」視点だった。


 さて、フレッド・W・リッグスの「概念の重要性:いかにそれらの曖昧さを減じるかについての考察」に戻るべきだろう。それは異なった方向から切り込んでいる。我々が考えてきたような問題には関わっていない。つまり、社会学はなんらかのより高次の「審級」(単なる「認知」に還元できないような倫理的規範のようななんらかの判断の場)によって承認を得るべきなのか、あるいは、それ自体による有効性を主張するべきなのか(「社会学を行う」共同体がその実践に固有の「合理性」のもと自らの職業を認可する)のかという問題である。リッグスは自分の企図をこう告げている。「概念をいかに曖昧でなく示すかという問題に焦点を合わせる研究領域がある。テクノロジストが先駆者となり[注意せよ]、それよりは劣るが言語学者によって切り開かれたこの領域は、社会科学にはほとんど知られていない。それは『用語論』と呼ばれている。」


 リッグスと私の方向がどれだけ違っているにしても、「用語論に関する問題がコミュニケーションの障碍である」という点では一致している――もともと私は『恒久性と変化』を「コミュニケーション論考」と呼んでいたのだが、出版社と編集者(『ニュー・パブリック』と関係するダニエル・メーバン)は、それが「社内報での仲間内の話し」を思わせるからといって反対した。その当時「コミュニケーション」という言葉はまだ出たてであり、私の著作でも重要な箇所では、我が若きころの「唯美主義者」時代から自然に生じた「自己表現」という言葉に置き換えられた。


 編集者のアレン・グリムショウがリッグスの論文にコメントするよう言ってきたのは、この一致点があったからなのは間違いない。いずれにしろ、リッグスの作品はある誘因、「雪崩を引き起こす叫び声」であり――一つのことが別のことに通じ、様々に絡み合った私の初期の著作に20ページほどの後記をつけるという試みは雪に埋もれてしまった。私が見いだした唯一の脱出路は、主要な分岐のすべての問題を扱おうとするのを止め、最も手近にあるものを引いてそこから組み立てることだった。


 「一義的意味論と多義的意味論の両極端の中間――隠喩的な言語や曖昧さでさえ、社会学的著作には美徳であるという立場をあらわすとするとこう言える」とリッグスは提案している。そして脚注にはこうある。

 

 こうした相争う観点についての発言はTASの以前の号に見られる。例えば、リチャード・デューイはこう書いている(1969年310ページ)。「『一つの言葉に一つの意味、一つの意味に一つの言葉』という理想は・・・いまだ規律を正当化する研究分野の目標であるに違いない」と。対照的な立場に立つのはヴィト・シニョリールであり、彼はデューイの一義的意味論を、数学や物理学であっても達成していないものだと攻撃する。対照的にシニョリールは、「混乱ではなく豊饒化と言える」(1970年285ページ)結果をもたらすために、曖昧さを予想し、隠喩を用いなければならないと論じる。

 

 

 

 デューイとシニョリールの戦いは1979年の11月号で再開され、そこでデューイは、「シニョリールとともに、実践的な道具として、発明や発見に先立つ探求、推測、理論化の過程においてアナロジーがときに役立つと認めることは(他のあらゆる実践的な道具と同様に)・・・容易であり論理的である」と認めている。しかし、「アナロジーが厳密な思考やわかりやすいコミュニケーションに寄与するとはまず言えない」。


 しばらくここに止まり、ここからどのような見方ができるか問うてみよう。まず第一に、私がヴィト・シニョリールの側にいることを有難く思う。というのも、『恒久性と変化』でアナロジーは中心的な意味を持っているからである。だが、リチャード・デューイの一義的意味の「理想」については、我々三人とも同じ側にいると私は思う。

 

(a)ある主張が、対立者がしかじかと呼ぶ政策を非難する。(b)そして、違った名前でしかじかという別の政策を主張する。(c)より詳細に分析すると、拒絶したのと同じ政策が別の名前でひそかに持ち込まれていることが「露顕する」。我々のうちの誰も、こうした場合においてデューイの「理想」を承諾しないものはないし、こうした混乱を分析によって明らかにすることには喜びを感じるだろう。


 しかしまた、これらの問題をアナロジーの助けを借りて分析することを考えると、実用上「理想」とは「天上」のものであり、理想的な定義が多様な世俗的(物質的文脈を伴った)状況に適用されると不完全になると「自然に」考える傾向がある。議論のために、定義として完全に厳密な定義を認めるとしよう。だが、社会学的状況がその個々の細部において唯一無比のものであり、同じ言葉が多くの異なる事例に適用される限り、我々は必然的に同一性ではなく、アナロジーの原理によって多様な事例を同じ項目に分類していることになる。ある言葉が持つ二つの異なった文脈のあり方から帰結する「内蔵された」アナロジーに常に立ち返らねばならない。つまり、(1)他の言葉と関係する「文脈」。(2)それが指し示す(名称として)「客観的状況」としての「文脈」。この第二の文脈は(a)比較社会学を可能にし、(b)デューイの一義的意味論の「理想」を、「物質的な存在」の領域には決して適用されない、「本質」の「純粋な定義」の領域においてのみ可能とする。


 リッグスの「概念の重要性」もまた、『恒久性と変化』の根本にカント主義の派生物があり、同時に、カントの三つの偉大な『批判』の要約をまとめながらも、何とかして彼に不公平にならないように「しかしながら」という言葉をつけたがっていたのだと私に悟らせ、破壊的な影響を与えたのだった。


 第一『批判』(純粋理性の)は、感覚による知覚と悟性のよる概念とを区別する科学的知識の可能性についてのものだが、この対は大雑把に言って感覚によって知覚される事物とその名前(もし我々が名前を、我々が行う対象の分類に含まれる多くの思考のカテゴリーをまとめ上げる名称と考えるなら)に対応する。感覚は対象がどうやって我々にあらわれるかを決定する。悟性のよる概念は、互いに条件づけあっていると理解される対象の世界のなかで、空間と時間のなかにあるそのあらわれをどう解釈するかを決定する。


 私が著作で受け容れた、否定は全くの言語的考案物だという(自然に「客観的」存在をもたない)ベルグソンの論点を心に留めつつ言うと、第一から第二『批判』(実践理性)への移行は次のように見て取れる。第一『批判』は「構成」に関するものであり、経験科学において体系的に概念化される物理的自然の領域に関わる。科学的に検討検証して、状況の記述が真であるか偽であるかという問題は、「ロゴロジー的に言うと」、である/でないという(「命題の」)否定に関する「構成的」領域に関わる。カントの「規定」は、彼の倫理学である『批判』(実践理性の)に基本的なものであるから、する/しないという(「勧告的」)否定に分類されるだろう。第一批判は経験的に限定された境界をもつ「場面」あるいは「客観的状況」を扱う。第二批判は「行為」と倫理的言葉(概念的対象ではなく観念)の領域であり、カントによれば、我々はあたかもそれらが真実であるかのように信じるべきであり(科学的に検証可能な知識から外れる)、あたかも宗教の中心にある考え方とは「人の持つ価値が現実に固有の構造に根拠をもつという確信」にあるというクリフォード・ギアツの説を読んだかのようである――「神、自由、不死」を信じる以上に深い根拠があり得るだろうか?


 カントは幅広くかつ非常に巧妙に、第二『批判』が擁護する超越的で博愛的な姿勢を実現するのに必要な観念や公準を展開している。形式においては、「いかなる知ることについての主張にも先行する道徳的命令の責任」を認めているときに、オヴァリントンはヘーゼルリッグの「『ヒトラー政権下の科学者たち』についての発言」に答えようとしている。


 正統的なカント主義者が、私が示したような反省による「適切な」用語法と道徳的に(そして「創造的に」)「正しい」用語法との区別をどう扱うかはわからない。しかし、感じることを強調することで知ることと意志することを締めくくった彼の第三『批判』(判断力)を引きあいに出して、私によるカントの遠近法の「ロゴロジー化」を非難するであろうことはほぼ確かであろう。感じることは諸感覚と、概念を知ること、観念を意志することを含んでおり、言葉における科学的な適切さと倫理的な正しさをも含み、カントの超越的な試みが導かれる媒体そのものである(合理主義的な形而上学に対するヒュームの経験論的攻撃から身をかわす遠近法を備えた)。このことは一年以上にわたって私が講義で用いてきた、人間を言語を学ぶ身体として捉えたエッセイで十分に示している。しかしここは、私のより後の、より発展したロゴロジー的な方法論に沿った領域をより明らかにすべきである。Gefuhlが最終的な一歩である「感じること」にあたるカントの言葉であり、そこで用語的な適切さとスタイル的な正しさ(とその検証)にあてられていた焦点が、全探求の究極的な源泉として特殊なSprachgefuhlを言語化しようとするカントの偉大な計画(まことに壮大なロゴロジー的地口によって)という場所に帰り着いた(すべてがそこで行き合う)ものと見られるのである。


 このように締めくくられるのだとすると、カントの第三『批判』についてどんな類の否定的なことを言うべきだろうか?感じることと感じないこと(麻酔や死んだときのように)には根本的な相違がある。しかし、カントによる感じることのカテゴリーは、快と苦痛の区別を中心としており、ある努力による望ましい結果が「肯定的」なものであり望ましくない結果が「否定的」なものであるときに、身体の苦痛の感じが快の感じと同じく肯定的だとすると、純粋に文体的な用法であるものが問題を混乱させている。そして、個人的な経験と区別される純粋に生理的な感じが強さによって検証されるなら、身体的な快が「肯定的に」捉えられるように、苦痛でさえも「肯定的な否定」と名づけることさえできよう。


 『恒久性と変化』『歴史への姿勢』のどちらにおいても、遠近法的な語の豊かさと取引をしている。しかし、「礼儀正しさ」という概念がアナロジーによって拡張され、粗野なごろつきたちがマシュー・アーノルドを裏返しにした几帳面なスタイルによって「敬虔さ」をアイロニカルにあらわしていると発見するに至るにはひねりが、弁証法的変容が加えられている。同じ原理の一種(「組織的な悪趣味」)が『歴史への姿勢』では「決疑論的拡張」のもと考えられている。しかし待って欲しい。これには非常に大きな変種がある。合衆国最高裁判所が、会社に、「人間の」市民に認められているような「法的な」人格としての権利を与えたことを考えてみよう。我々個人の自由を認めた文章には、概念的な小細工によって自由に取って代わり、多国籍の主権としていまや我々を従えている集団的な虚構のことなどなんら言及されていない。


 このアナロジー原理のもう一つの変種はマックス・ウェーバーの「理想型」に固有のものであり、『社会科学百科事典』には次のようにしるされている。

 

ウェーバーは基準となる概念として、故意に単純化し誇張した理想型と呼ばれるものを使用した。・・・ウェーバーの主要な関心であったのは、世界史的なレベルにおいて、この方法によると、世襲制封建制、西洋の都市と東洋の都市、儒教ピューリタン的な宗教的信念、倫理的預言と見せしめの預言、等々の有益な相違をつくりだせることにある。ウェーバー自身は常に、調査する現実の「無限の多様性」と概念的な明瞭さを得るために差異を誇張する必要があることをともに強調していた。従って彼は、まず歴史的証拠の比較に基づいて理想型をつくり、それから調査対象の分析をそうした概念からの逸脱、あるいは近似として行なった。

 

 そう、アナロジーとアナロジーが存在する。そして、ウェーバーによる主題の変奏としてのアナロジーは(「逸脱」)、「誤称による悪魔払い」の効果を企図した科学的な言葉の「適切さ」に固有であり、治療的(それ故言語的に言うと「創造的な」?)ひねりを加えた「礼儀作法」を考えたときに『恒久性と変化』が巻き込まれた反語的に定位の「異常」を扱うこととは明らかに異なっている。著者が自覚している限りでは、彼はこうした関心を社会学から得たわけでも心理学から得たわけでもなく、コミュニケーションの本性(そこから共同作業や競争にいたる)についての純粋に「文学的な」探求から得た。


 この議論を、私の発言についての言及のある編集者アレン・グリムショウからの引用で終りたいと思う。

 

最終的には寄稿を辞退されたうちの一人であるケネス・バークはこう言った。「私の印象では、私が探し求めている類のことは、必ずしも高度な効果が必要とはされない辞書編集的な用語法によって見いだされうるだろう――というのも、私が行なおうと思っている探求がすでに適切に語彙化されているなら、私は別のことをすればいいからである。」しかしながら、彼はまた、「状況」や「文脈」の誤解が致命的になる教訓的な物語をそれに結びつけている(灯油とガソリンを間違え、「火をおこす」ために使ってしまう場合のように)。リッグスが提示した「用語の」問題は、バークの例ほど劇的ではない。しかしある場合には深刻な結果をもたらすかもしれない。

 

 私は、幸運をもたらすような事例を挙げ、そこでは「そこに墓穴を掘れ」というような概念的に曖昧なところのない発言が(その言語的な文脈において明瞭な発言)、状況に含まれる「無限に多様な」細部によってまったく異なった状況的文脈に分類されることを証明できただろう。私はこの例をアクイナスの「fodiens sepulchrum invenit thesaurum」(「墓穴を掘っているとき彼は宝を見つけた」)から引いた。ちなみに、「埋められた宝」にまつわる標準的な類縁性が、「科学的な」考古学的発掘にさえ見られる死の観念そして/あるいはイメージ、金、糞便、腐敗、錬金術、「不浄な金」などといった意味合いの表現をとるにいたる「姿勢の」出所を示唆している。『ハムレット』の墓堀人はこういった「雰囲気」を身にまとっている。言語的な文脈をもつ文学が単なる社会学的次元に還元されることはないが、身体という生物学的な本性に基づいていることは、たとえその身体の身体としての経験が社会的状況によって変化するにせよ間違いのないところである。


 (また、あり得べき誤解についても弁護しておくべきだろう。リッグス{グリムショウでは?}の論文でバークが「最終的に寄稿を辞退された」とあるが、それは、彼が相反する方向性の絡み合いのなかで混乱し道を見失っていたという理由のみによるのであって、それを克服するには締切りがすぎた後も更に多くの月日を必要としたのである。)


 (大文字の)「用語法」によって、リッグスは「語彙」や「命名法」とは異なった特殊な規範を意味している。異なった規則と制限のある辞書、シソーラス、用語解説、情報検索のための機械的読み取りなどが存在する。私は彼の数多くの識別を尊敬していた。(『歴史への姿勢』における「枢要語の辞書」は、「枢要」という語が曖昧ではあるが、より正確には「用語解説」と呼ぶべきだろう。)しかし、彼の概念的なカタログ化、あるいはカテゴリー化が私にとって特別な使用価値があるかどうかを問うたとき、最終的に私は、どうして、ある文化的条件で明示的である働きが他の文化的条件では暗黙のものでしかないかを決して誰も知ることはないという考えをもつにいたった。かくして、「劇学」という論文で私は、「生贄の犠牲原理(「スケープゴート」)」から、「つまるところ我々の最終的な幸福がそれにかかっている生態学的なバランスを進歩させ資するという名のもとにせわしなく行なわれる数多くの破壊」までアナロジーによる拡張を行なった。ここでは、事業とテクノロジーとの「啓蒙的な」組み合わせによって、三種の顕著なる自由(浪費の自由、汚染の自由、気にしないことの自由)が生贄のあり方に(そうは呼ばれないが)便宜をはかることによってカタルシスを内包するようになるが、イロニーによる「不調和による遠近法」だけが、スケープゴートの制度があからさまに産みだそうとするそうした解放と慰藉を制限することだろう。アナロジー的拡張の原理は、リッグスが支持し、おそらく多くの調査において助けになるであろうインデックスに決して反するものではない。しかし、どんなものであれ、人々が社会のなかで何をしなにを言うかについての物語が、私が求めているアナロジーの材料となるものであろう。


 物語と言うことで私が思っているのは次のような発達である。何かを熱く感じる「知覚」のような純粋に感覚的な経験は繰り返されたり思い出されたりすることで二重になりうる。そして、我々の原始時代の先祖が「熱く感じる」と言う能力を得たとき、物語がこの世界に生じた。あらゆる動物はなんらかの仕方でコミュニケートしている。しかし、我々が知るところでは、人間という動物だけが物語を互いに語ることができるのであり、それは、ほんの些細な片言やゴシップから、地質学、考古学、天体力学、あるいはまた、パーソナリティの原理があり、それが拡張すれば全宇宙の物質的発達が消え去っても、地上における行為の美徳や悪徳に相応しい場所が永久に定められ、神に選ばれたことと見放されたこととが個人のアイデンティティとなる。(これは『動機の文法』であれば「行為-場面比率」と呼んだであろう例である。)


 現在我々に前より以上に切迫性をもってきている物語は、「象徴性」をもとにした人間に特有の剛胆さから帰結する人格主義的「達成」と道具主義的「達成」を並置することにより生じる二種類の「終末論」(超自然的なものと対抗自然的なもの)の不調和によって我々に焦点を当てる遠近法であり、怪物的でグロテスクな要素を含んでいる。生存への脅威とともに、象徴的行動における我々の熟練が、以前には決してないことであるが、我々の身体の振る舞いを非象徴的運動の領域における生理学的有機体として捉えるという驚くべき可能性が存在する。


 我々が直面している状況というのは、人間という有機体の振る舞いが図表や計器の読み取りに「投影」されうるものとなり、我々の生得的な「天動説」の最後の痕跡、精巧な「目的論的原理」(この著作の初版につけ加えられた補遺「人間の行動について」の最後の節で、「動機の完成」として論じたものの一種である)の完成が取り消されることである。


 人間の悪徳や美徳に関する言葉遣いを再解釈する不調和な遠近法として「あらゆる価値の再評価」を行なったニーチェの根源的な提案は、彼をこうした試みを「最も完璧に」行なった者として特徴づける。民主主義と社会主義的な改良に抵抗を示す彼のむら気は彼を一種の裏返されたエマーソンにした――『権力への意志』に見られる活発で頑固な主張の多くは、彼が毎日のニュースの熱心な読者であり、ただそれを文化的潮流一般の観点に立ってみているのだと思わせる。また、彼のアフォリズム的な書き方は気まぐれな過剰反応を引き起こすことがあり、そこでは自分の姿勢について、それが自分の他の姿勢との関わりにおいてどう変わるか問うこともなしに述べられている。


 ニーチェの作品を辿り直す過程で、私は自分の蔵書に読んだ覚えのない本を見つけた。いまでは沢山の印がついているが、見つけたときには何の印もついていなかった。それは、「対ヒトラー」の戦いに隣り合うような形で「対ニーチェ」に対する戦いが為されていたときに行なわれた講義の記録である。少々驚きであったのは、その本が、少数の主要な論題を除けば、文化的潮流についての「常識的な」哲学のほとんどがニーチェによって可能になったことを示していたことである。私は象徴的行動についての私の論点が、彼の遠近法に密接に関わっていると認めるほど謙虚にはなれない。また、私の反小説『よき生に向けて』では、彼の幾つかの姿勢について意地悪なひねりを加えている。


 この本がいま手に入らないものなら、ぜひとも再版すべきだろう。A・ウルフによる『ニーチェの哲学』(マクミラン1925年)である。とりわけ49-52ページの「人間化」(Anmenschlichung)についてを参照のこと。また、ニーチェの遠近法を論じている部分では(58ページ)、カントの望むところではないにしても、カント的な原理が実行されている。


 私の本に特有の用語的な兼ね合いについて幾つか述べて終わりとしよう。『恒久性と変化』で私は幾度か「隠喩的遠近法」について述べ、「類推的拡張」についても述べた。ブラウンが類推を隠喩の下位区分に分類したのには十分な根拠がある。しかし、私が用いる「類推的拡張」という言葉は、「不調和による遠近法」の原理を含んでいるゆえに、「イロニー」のもとにも分類されるだろう。こうした分析的な下位区分を一義的に決める方法は存在しない。しかし、「不調和による遠近法」に含まれる類推の原理は、それを「類推的隠喩」よりは「イロニー」に分類するよう求めるのである。


 私が「敬虔」と「不敬虔」を論じる際に用いた類推的拡張には分析的過程が含まれており、非Aや反Aには、Aにおいては隠されている要素があらわにされている(「組織的な悪趣味」によって)。「不調和による遠近法」は――文体論的な意味では(「発明は必要の母である」と言ったときに達せられたヴェブレンの「訓練された無能力」や「倒錯」といった概念にあるような)――類推的拡張の発端と終結とが、ハート・クレインなら「くたびれはてた一歩」というかもしれない一系列のなかに「発見的に」(それ故「イロニカル」でもある)結びつけられるときに働く分析的過程が名目上はめ込まれている。つまり、こうした類推的拡張や名目上の省略は、含意-明示、潜在-顕在の二分法の一種であり、比較社会学において、ある社会的文脈であらわな制度が、分析的に変容を辿ることで他の社会的文脈に含意されていること、あるいはその逆が示されるようなものである。


 関連した問題はブラウンの本の19-20ページにある「分担可能性」でも示されているが、核心が提示されるのは22ページの「民族感覚的方法論」の問題に関する部分である。『宗教の修辞学』(218ページ)で、私は関連した問題を論じた。ロゴロジー的に言うと、あらゆる宗教に「犠牲の原理」を認めることができるが、初期キリスト教神学者旧約聖書の犠牲を「キリスト型」のものと見た。悲劇における犠牲者の「選択」と多くによって受け容れられた「犠牲」の働きにはどんな関係があるのだろうか?私がもっている教理問答には、キリストの犠牲は、人間が悪魔に対してもっている負債の神による賠償だと説明しているものもある。そして、通商における代償とは二重化の原理に基づいており、それは言葉のない自然の領域(物の秩序)に適切に合致するような象徴的かつ理想的な命名法によって始まっているが(スピノザならそれを観念の秩序と呼ぶだろう)、プラトンの観念論的哲学の精巧な貸借表のように、この世界のあらゆるものは理想的な定義(「原型」)の不完全な例でしかなく、理想的な定義とは、そのどれ一つとしてそこに分類されるようなものの特殊な固有性の名ではなく、テーブルとしてのテーブルはなんらかの個別な木、あるいはいかなる木によってつくられる必要もなく、なんら特殊な欠点をももたないものではないだろうか?


 しかし、類推の基本は、アリストテレスが分析したように、形式的使用に限られるものではないという事実は繰りかえし述べておかねばならない。その原理はまさしく言語の本性そのもののなかに組み込まれている。というのも、あらゆる状況はその細部において唯一無比であるにもかかわらず、異なった多くの状況に同じ言葉をあてはめることによってのみ我々は言語を学ぶことができるからである。こうした意味において、諸状況は同一ではあり得ない。それらは類推によって結びついているにすぎず、動詞によって分類される場合でさえ、その事例の特徴とされるなんらかの特性を共有するものを一緒にして分類されるのである。「助けて」という叫びは最終的にはそれを「助けを必要とする状況」に「限定する」が、助けを必要とする状況は火事のときや溺れているときにはまったく異なった反応を含む。動詞はこの点については名詞や形容詞よりも明快である。オヴァリントンが指摘したように、通常はその意味合いにおいて中性的な言葉が通常は「検閲的な」意味合いをもつ状況に適用されたときイロニーの発見的な次元が形成される。また、私が示唆したように、ベンサムの三幅対の「称号」によって示された姿勢の転換によって、状況に直面する我々の遠近法に柔軟性を与えることができる。


 この著作の補遺で使われた「完璧」という語は、『反対陳述』(「修辞学用語集」37節)で注釈したのとはまったく異なった分析手順を含んでおり、『反対陳述』では、「コミュニケーション」という様態の役割として芸術作品に科せられる聴衆の性質に関わっていた(それ故、「美」とは「それを見る者の眼のなかにある」なにかである)。
 含意されていたものを明示的にする類推的拡張によって、最高潮に達した社会学的問題との直面が為されるに違いない。「初期の」神話的な定位(未来を超自然的に思い描き人格化する)から、人間が「進歩し」(衝動的そして/あるいは強迫的に)非人間的な自然の領域に自画像を描き込もうとする(それに応じた悩みとともに)シンボルによって導かれたテクノロジーの対抗-自然の経験的な領域における「完璧な」世俗的達成にいたる変容の全範囲を細部にわたって確かめていくことは終ることのない仕事であろう。四十年以上前のこの本が突きつけるようにして始めた二つの文章をある意味非実際的な形に修正するというのはなんとも素晴らしいことではないだろうか?

 

                           ケネス・バーク

1983年1月