ケネス・バーク『恒久性と変化』48(翻訳)

第一章 因果性とコミュニケーション

 

遠近法の主要な転換

 

 定位は概ね自己永続化するシステムであり、それぞれの部分が他の部分と協同しようとする。その構造を批判しようとするときでさえ、批評の参照点とするためにある部分は手つかずのまま残しておかなければならない。しかしながら、定位の自己永続化する性質にもかかわらず、それには崩壊の種子が含まれている。自らの検証によっては成功を確かめられない者がいるように、定位そのものが妥当性を疑問視する根拠を与えている。例えば、「よき生」の重要な側面として商品を強調する資本主義は、そうした商品の一般への配分を妨げている限りは最終的に不評を被る。あるいは、個人の才能に価値をおくことは、最終的には個人の才能を妨げる条件をつくりだすことになる。例は無限に増やすことができる――そして、これらは人間の動機のまさしく根っこのところを攻撃しているために厄介である。最終的には再定位の必要があり、遠近法の転換によって批判的構造を強いる直接的な試みがなされる。


 一般的に考えると、再定位の試みが最も強く、おびただしく試みられた十九世紀(極端な過渡期、あるいはロマン主義)に特に困難が生じた。定位がばらばらに断片化し、誰もが異なった特徴を示そうとした。主として、西洋世界は、形式的にはルネサンスに始まった個人主義的運動に内包されていたものをその到達点にまで突き詰めていた。


 それはダ・ヴィンチの時代と呼ぶことができる――集団の中心的価値を疑問視することで一人一人「不敬虔」な姿勢を取るようになった。ある種の迫害心理が前面に出て、仲間を非難し、まさしくその非難するという行為によって自己を非難した。ダ・ヴィンチは建築物の前面に様々な顔を見た。弟子に対する嫌悪感を秘密の日記にあらわした。モナリザは奇妙で分裂症的な微笑みを浮かべている。倒錯的な鏡言葉で、彼は後ろ向きに考える感覚を象徴的な行為で示しているようにも思える。彼が疑問に付した定位から判断すると、ある意味で彼は後ろ向きに考えている。カトリックの枠組みは根本的に目的をもち、目的論的であった――しかし、デカルト的な「組織化された懐疑」によって精錬された科学的な因果関係の体系によると、人間の動機でさえ後ろからの力によって説明される。新たな遠近法によれば、人間は目標に引っ張られるものではない。先行する諸条件の強制によって押しだされるものである。


 相反する傾向は今日において顕著であって、とくに科学を批評の基礎にする現代批評の科学的方法においてそうである。彼らは自分の理論をルイス・キャロルからの引用で示すことを好む。キャロルは数学とナンセンスの二つの世界に生きていた――彼自身は自分の洒落の才能について非常に謙虚だったが、現代思想先行者としての美点が彼の言葉遊びにはあり、その数多くの法外な怪物が永遠にアリスを困惑させ続け、鏡を通り抜けた右が左で左が右の逆さまの世界をつくりあげている。


 カトリックの観点からすると、創造者はその創造に能動的に関与するものと考えられた――しかし、科学的な観点は宇宙を完成されたものとして考える。科学者にとって、宇宙の法律制定はすでに済んでいる。ピタゴラス風の自然の書に受動的な観客として対面するのである。次第に人間は倫理と論理とを鋭く区別するようになった――そこには多くの複雑な要因が関わっているが、裂け目は因果関係の目的論的な考え方と機械論的な考え方の区別から始まっているように思われる。人間存在が宇宙の目的となんらかの形で関わっていると感じる者は、個人的な目的を第一の事実と取り、自然法則の不変性を信じる者は客観的なデータから始める。


 客観的なデータが目的についてなんの証拠も提示しない限り、論理は倫理とは異なったものであろう――ホワイトヘッドが明らかにしたように、ここでは無意識のうちにいかさまが行われているのではあるが。というのも、科学的な方法は範疇として目的を発見することが不可能だからである。科学者たちは最終的にこう言っていた、「目的という概念をプログラムから排除し、目的という現象を機械論的に考えることで経験について発見されることを調べてみよう」と。目的を考察することが目的とされ、こうした枠組みに再導入されると、主要な遠近法として最初に採用されていた枠組みそのものが鏡のなかでのように逆転することも予想されるだろう。


 いずれにしろ、フィヒテシェリングのようなロマン主義的哲学があらわれることで、倫理や目的論の優先が再び前面に出た。ヘーゲルは歴史の論理を普遍的な目的の表現と同一視することで、倫理と論理との二律背反を最も野心的な形で崩そうとした。そして、知覚における意志の働きを強調し、多かれ少なかれ実証主義に対する嫌悪感をあらわにする数多くのショーペンハウアー的な意志の哲学が存在した。実証科学が最も偉大な征服を成し遂げていたときにも、その定位をばらばらにしようとする力は働いていた。この傾向は世紀が進むに従ってさらに増し、実証的な因果関係の説明が公然とあるいは言外に有している天体力学全体が疑問に付されるパラドックスの崇拝にまで行き着いた。新たに包摂されたものは困惑を引き起こすほど複雑であり、人間は新たな単純化の基盤を探し始めた。