ケネス・バーク『恒久性と変化』51(翻訳)

第二章 恒久性と変化

 

現代と古代思想との平行関係

 

 ある定位の隆盛をその効用に帰したとしても、それが必然的に使用目的に役立つと結論はできない。それはかつては状況に適合していたのが、適合しなくなるまで生き残ったものかもしれない(文化的な時間差)。そして、その化石化した存在は、それによって利益を得て、国家教育、立法、警察力(階級道徳)などを支配する特定の集団がいるなら、社会全体が危険に陥るまで永続化することになるかもしれない。ある定位を維持する役目を委ねられたメンバーは、聖職者機能を果していると言える。こうした特別な意味で聖職者を定義すると、今日聖職者のなかで宗教的なものの占める割合は少ない。その働きは主として、大学教授、ジャーナリスト、コンサルタント、セールス・プロモーター、コピーライターによってなされており、その多くは、自分たちの地位は必然だと見なした偽善的な中世の教会においては火あぶりにされただろう。聖職者の衰退(多かれ少なかれ自分たちに要求される仕事に対してはっきりと憤りを示すようになったとき)は、聖職者と予言者とを分断することになる。聖職者は退化した構造を維持することに力を注ぐ。予言者は新たな遠近法を求め、それによって退化した構造を批判し、その場所に新たな構造を確立しようとする。この意味において、マルクスは聖職者機能とは異なる予言者機能を演じていると言える。


 ウィリアム・ロフタス・ハレは『東西の神秘主義』のなかで、キリスト教が確立する二世紀までのユダヤ人の著作に似たような分断を認めている。彼はまたこう書いている。「初期の予言的な著作では、幻視者が切り立った高い場所から象徴的なビジョンを得る例があり、エゼキエル書では(バビロンの捕囚のときに書かれた)、予言者が『髪をつかまれ、高い山の上に置かれ、そこから直ぐ未来の歴史的展望を見ることができた』といった特徴的な一節が頻繁に認められる」と。黙示録一般の特徴を論じ、彼はこう書いている。「幻視者は彼が通常いるこの地上の場所から移動するだけでなく、時間の順序からも移動するのであって――そして特徴的なことであるが――かけ離れた過去に逆戻りし、そこから過去、現在、未来のすべての歴史を一望のもとに収める。こうしたことによって、彼は過去と未来との関係を知る遠近法によって様々な出来事を理解するのである。」


 我々は「象徴的ビジョン」の仕事が、ユダヤ、ヘレニズム、異教の合併に先立つ二百年よりも今日において盛んに行なわれていることを示してきた。出来事を再び性格づけしようとする欲望は、必然的に新たな記号の読解を必要とする――そして、人間は「後ろをふり返る」ものであるが、「予言者」によるふり返りというのは、新たな解釈の原理、新たな遠近法や観点を伴っており、それによって「いま実際にある物事」の絵柄が再組織化される。過去に対する予言的関わりで我々は批評の体系を基礎づける。そして、今日でもいまだ手つかずのまま残っている「未開」社会を調査し、「地理的に」時間をさかのぼろうとする。現代の予言者たちが出来事すべてを見渡せる「切り立った高み」にいると偽ることは滅多にないにしても、科学の非個人的な姿勢の信奉にはこの高みのある種の現代化がないだろうか。現代の世俗的な予言の基礎的な操作は抽象であり、それは語源的にいうと「引き離す」ことを意味している。


 十八世紀、十九世紀がどんどん新たな遠近法を探求し、経験的な事柄を「まったく異なった光で見る」ことになったとすると、二十世紀はこの潮流に対してどういう位置関係を占めるだろうか。今日なにかを書き、予言的洞察として蓄積された個性を見渡してみたとき、そのなかから自分の観点を見いだし、寄せ集めにつけ加えること以外のなにかがあると感じられるだろうか。あるいは、「真理」についての諸理論は、現代のバベルが描きだし感じさせるように、本当に多様なものだろうか。宗教、形而上学、倫理、精神分析的知識の多様性を認める代わりに、それらすべてに通じるようなひずみを探りだせないだろうか。様々な多様性を本質ではなく偶然だと取れないだろうか。


 実際、再発見以外の発見が可能だろうか。ある人間が新しい発明をする。だがそれは先行する心的パターンの外的な具体化でしかない。この発明は環境に変化をもたらし、結果として新しい慣習が形成され、古い慣習は廃棄されねばならない。しかし、なんらかの本質的な構成要素を既にもっているのでなければ、どうして慣習を再組織化する必要を感じることになるだろうか。例えば、新たな食物が発明されたとしよう。新たな調合は既に確立している味覚の好みになんらかの形で訴えかける。それがたまたま「栄養のバランスが取れていない」としよう。それは新たな食物が発明される前からある身体的な必要、生理学的性格のもつ「正当性」にまったく合致しない。最終的に他の誰かがある「発見」をする。どういう具合でこの食物が不適切であり、バランスの取れた食事にはなにがつけ足され、なにが取り除かれねばならないかを発見する。彼の新しさは太古からある標準的な体質的要求に耳を傾けている限りにおいて価値をもつ。


 それは、社会的食事の巧みな支配についてもあてはまり、ある種の病いを、それが顕著になり、自律性と創造性を生じさせるに十分な権威をもつまで、ゆっくりとした選択過程によってつくりあげていく。こうした病はそれ自体力をもち、我々の関心を更に遠くへと導き、本来の人間的な満足からは更に更に遠くへと向う。「予言者」、芸術家、ユーモリスト、諷刺家、グロテスクの使い手、犯罪者、理論家、科学者、批評家その他によって無際限に「発見」がなされる。それらはみな、いかに稚拙なものであっても、「ある要求に応えている」。なんらかのやり方で、拒絶を象徴化している。それらはなにかを手に入れようとする「実験的な手探り」であり――そのなにかとは、単に、そのときの欠点を修正できるような生き方、考え方の工夫である。確立された構造の上でなされる彼らの発明は、部分的には歴史的趨勢の単なる投影と分析できる――しかしまた、複雑な定位によって踏みにじられた古くからの満足に基づいた検証を見て取らねばならない。かくして、歴史のあらゆる時点に認められる再単純化へ向う動きは、同じような動きを示す以前の時代とその基本的あるいは「裸体主義的」姿勢において顕著な類似性を示していると予想される。


 文化的運動の全体は一つの文章のようなものだと言える。なにかについて一つの文章で言い、その意味を伝えるのに海のメタファーを使うとしよう。もし聞き手がたまたま農民たちであったら、海のメタファーは説得力を十分に発揮することはできないだろう――そこで別のやり方で意味を伝えることにし、今度は穀物に関連したメタファーが用いられることになる。さて、各年代を通じて人間の議論の多くはこうしたメタファーの転換に関わるものであり、その時々に与えられた語彙によって最終的な関心へと進むのであるが、そうした語彙というのは単なる言葉だけにとどまらず、それらの言葉の背後に社会的な文脈、固有の精神病質、制度的な構造、諸目的と諸実践が存在する。子供たちの言語を研究したピアジェは、文章の意味はそれが発せられた状況も同時に記録されていなければ何の役にも立たないことがしばしばであると述べている。我々がコミュニケーションする言葉はより複雑で、常に状況に基づいている。たとえ、あらゆる人類に普遍的な必要や目的について語っているのだとしても、それぞれが異なった社会的文脈で、異なった立場から発言することは必然的ではないだろうか。


 ピアジェが示すところによれば、子供は、人間の動機の論理が、自分の特殊な社会において言語化される際の特殊な合理化の使用を習得する限りにおいて社会化される。同様に、『カール・マルクスの理解に向けて』で、シドニー・フックは、マルクス学説の「不整合性」は、マルクスが自分の議論を向ける特殊な相手の特殊な確信に応じて言い換えているために生じるのだと説明している。そうした集団の確信が異なっているので、自分の立場を社会化しようとするマルクスの戦略もそれに従って多様に変化する――その状況から切り離し、厳密に比較すれば、マルクスの発言がどうして不整合や矛盾して見えるか理解するのは困難なことではない。モリス・M・コーヘンは、同じ過程がより広範囲にわたることを示している。彼が言うには、ある種のマルクス主義者は運命論者であり、プロレタリアート独裁は経済的に不可避だと考えている。また、レーニンのように、その政策を成功させるために知識人による努力の必要を強調する者もいる。コーヘンは、運命論は1848年の革命運動の失敗による落胆から生じており、自分たちの勝利は歴史的に定められているのだという確信だけが慰めになったのだとしている。教育や知識人の価値を強調することは、ドイツで社会主義政党が発達したときに前面に出てきた。我々は単に言葉になったものだけを比較することはできない――その背後にある状況も比較しなければならない。


 象徴化の過剰は、シンボリズムの科学を通じ、道教の古い観念である「道」にまでさかのぼり、人間の満足というのは一つの根本的な過程をたどり、一度つかまれたものが再び失われ、歴史的文脈の変化に応じて変化する言葉によって永久に言い直されることが続くという確信に行き着くことになるのだろうか。宇宙のことを語った初期の思想家たちは全て、少なくとも、人間の性質をそこに当てはめた。天国、地獄、煉獄などといった場所が死後の我々を待っていることに疑問を抱く者もいるかもしれない――しかし、同様に、それらを象徴化する心理学期パターンがいまここでの我々の振る舞いの根っこにあるとも考えられる。


 実際、この数世紀の最上の芸術作品のなかには肉体から抜けだしたかのような煉獄的雰囲気をもった作品が数多く見いだされる(不決断、準備、待機の時間)。現代生活の物質主義を嘆ずるのは習慣的になっているが、いくつかの点において、我々の生活方法がいまだ十分に物質主義的でないというのも正統な不満であろう。現代の生産と配分との方法は全て、洗練された抽象の上部構造に基づいている。(1)

 

(1)この版での付記。確かに、数多くの抽象への誘因は社会生活の間接性からきており、間接性は、仕事を他の人間にまわす社会的技術的手段に依っている。しかし、この問題に長い間頭を悩ませば悩ますほど(例えば、子供たちはごく自然にカードゲームの抽象性に馴染む)、抽象への衝動はそれ自体で独自に働く力だとますます確信されるようになる。人間にはその特徴的なイメージにおいて、言語を超えていこうとする絶え間のない傾向があるように思われる。あたかも、言語の純粋な精霊となり、言語としてあまりに本質的であるので、語られる必要もなく、歌が終ったあとの記憶のなかで鳴り響く音のないシェリー風の音楽ででもあるかのようにである(エリオットの『四重奏』参照)。


 かくして、我々の生活様式で間接性を生み出す制度や発明が増えるに従い、抽象の割合も増えていくが、人間社会が繰りかえし繰りかえし抽象に向けて発達していく傾向そのものは(プラトン弁証法の「神性」へと向う上昇の道のように)、言語そのものにしみこんだ性質による。最も身近な家族関係でさえ、抽象的な要素があり、それを厳密には家族的ではない社会関係に名づけることが容易になされる(教会の位階で採用する場合のように)。感覚を研ぎすます詩人たちは、通常抽象を避けるものと考えており、ときにロマン主義的な過剰にまで行き着く(「自然」から「観光」へと歩を進める場合のように)。また、イエーツの薔薇のように、観念の融合や混乱を具体的に眼で見られる言葉として選択することもある。

 

 

 ヴェブレンは、行動の厳密に「擬人的な」パターンから逸脱するテクノロジーの傾向について説得力のある主張をしている――初期の手の形をした道具で行なう心的身体的操作と今日の機械的に行なう操作との相異のようなものである。苛酷な生産道徳をともなった現代の工場の厳格な効率性と、原始的な壺の製作に含まれる対照的な運動を考えてみよう。そして、現代国家は身体的活動をほとんど伴うことのないデスクワークの一団を必要とする。ヴェブレンは会計学の極度に精神的な性質に注目し、それを機械的技術の基礎と考えている。『製作の本能』のなかで、彼は会計学の「論理と概念」にある「非個人的で感情を交えない」性質に注目している。彼は簿記のうちにある利益、損失、収入、支出の強調が、不可避的に「精神の統計的な習慣」を助長するとしている。事務員はもっぱら生産、配分、消費のシンボルを扱っている。そして、この「客観的で統計的なやり方」で問題に取り組むのに応じて、我々の方法は威光を分かち、同じような扱いを経ないものは不評を被ることになる。他の観点は「低次元の現実とさえ思われるようになり、事実としての価値を否定されさえするかもしれない」(この観察は、いかに会計学の「精神性」が感情の「精神性」を信用しないかを示している)。会計と価格体系の一体化した関係を示し、彼はそれに応じた価格体系と機械テクノロジーの勃興との一体化した関係を導きだす(この観察は、なぜロシアで、いかなる工業主義の交換にも必要な抽象として価格体系が保持されているかを示している)。彼は、会計学の抽象性が「恐らくは、その初期において、手仕事によって引きだされた思考の習慣によって形成される職人的な傾向から機械的な事実をはぎ取るのに積極的に働いた最も有力な要因であっただろう」と結論している。


 ここで彼は、プロテスタントの神、摂理が、投資を通じて、ビジネスとして働く漠然とした保険統計の神に変わっているさまを描きだしているのではないだろうか。(1)ビジネスというのは、我々の生産体制の基礎が身分から契約へと変じるときにつきものの未来主義の世俗化ではないだろうか。実際、ヴェブレンの我々の考え方に対する最も大きな貢献は、価格体系によって価値を確立しようとするいわゆる現実主義的な試みに内在する素朴な形而上学的原理を暴きだした『企業経営の理論』に見いだされるべきである。そして、上述の疑問において定義された保険統計的な取り組み方は、初期の思想家たちが自分たちの立場を象徴化した「切り立って高所」と等しい超然とした態度を明らかに示してはいないだろうか。

 

(1)ヴェブレンは価格体系に注意を向けているが、価格という概念のもとになった正義や法の抽象性を含む部分にまでその観察を拡大することができる。例えば、西洋では、慣習から法を通じて交通規則が発達したと言える。「魔術的な」段階(慣習がヘゲモニーを占めている期間)では、生産体制は主として礼儀作法によってなんの疑問もなく検証され規制されていた。そうした文化に奴隷制があったとしても、その階級はそうした立場にいることを自覚していなかった。奴隷道徳は暗黙のうちに従われた――そして、そうした道徳が手つかずのままでいるあいだは、奴隷たちは服従を奴隷とは考えておらず、子供が両親への服従を奴隷的だと考える程度でしかなかった。こうした服従が奴隷状態だとあからさまに考えられる前に、不調和による遠近法が生じねばならなかった。


 最初は、法はほとんど慣習の規範化以上のものではない。しかし、その制定は、慣習が集団全体のなかで疑問の余地のない権威を失い、集団のうちのある一派が古い慣習を維持することによって莫大な利益を得るような状態から生じるのだろう。かくして、法は教育的、操作的な手段である。それはいまだ「魔術的な」起源に近い神学的な法として始まる――しかし、新たな状況が生じるのに応じて、発展し枝分かれしていく。もともとは単なる慣習の規範化であったが、いまでは慣習をかたどる道具となる。モリエールの戯曲に象徴化されているような法律家に対する一般的な憤りは、部分的には、彼らの手妻が根本的に不敬虔であり、法の命令がどんどん慣習の命令から遠ざかり、最終的には慣習を混乱に陥れるまで法的決定の抽象性を操作する事実からきている。人々が慣習を流動的にし、絶え間なく法を変更していかない限り、法は不調和なものとなる。


 神学的な法はある種中間段階にあり、ある部分では慣習的判断の規範化に過ぎず、ある部分では教育的命令によって慣習を作りなおそうという直接的な試みである。第一の側面が「魔術的」と呼べるなら、第二の側面は「合理的」であろう。それは法の制定に向けて完全に世俗的な姿勢をつくりだす――そして、法は交通規則となる。我々はそれをルーズベルトのいわゆる実験のプログラムに見いだす――それは、人々の基本的慣習、目的、判断、価値がその時々の偶然的な議会での約定によって日々に変化するというところまで行き着く。


 この観点から見ると、実験的な国家というのは根本的に無道徳である。というのも、国家の構成に流動性を取り入れることによって、個人は自らの性格を決定するようないかなる参照点も完全に失うことになるからである。周期的にすべきこととすべきでないことの新たな図式を学ぶことで、市民は道徳的な枠組みを完全に崩壊させることになる。自動車にはうまくあてはまる交通規則は、自動車の運転手である限りにおいて人間にもうまく適合させることができる。