ブラッドリー『真理と実在に関するエッセイ』 前書き

 この本は、主に『マインド』に掲載された論文からなっている。『哲学的レヴュー』に最初に発表されたものも加えられ、これまで発表されていないものもいくつかある。三編の例外を除き、後はここ五、六年のものである。章立てにされているのは、言及するときの都合もあるが、そのほとんどが、多かれ少なかれ、かつて書こうとしていた本の章をあらわしているからである。


 題名は、内容の主な主題と目的を示していると思う。知識、真理、実在の本性と基準について形式的な考察を行っているわけではないが、主要な問題は繰り返され、何らかの形で全体に存在している。不完全さや未熟さは、読者には明らかだと思うが、上に述べたような探求の必要を強調し、刺激することにあるで許してもらえると思う。基準についての一般的な問題がより差し迫った時期、達成があろうと、ある試みがなされるのだろうと、その答えがよりよい結果を約束しているようなときは滅多にあるものではないと想像できる。しかし、ここでは以前に主張したことを超えることはほとんど提示できないだろう。この本の多様な部分をつなぎ合わせている内的な連関は、最終章で付け加えることになるだろう。


 プラグマティズムについて多くのページを割くつもりはなかった。その主題は私の心には相応の場所を占めてはいなかったのである。しかし、ある種自己弁護のような形で書かれたものを読んでくれた読者は、もはや私には自分の希望を聞き入れてもらう自由さえないことを認めてくれるだろう。もし長すぎるとしても、その議論がいくつかの興味深い点に光を投げかけていることを見いだしてくれるだろうと思う。いずれにしろ、治療法は読者のなかにある。他方において、「根源的経験論」の検証が読まれないままにとどまったら残念なことである。


 私の経歴も終わりに近づき、(どんな学派や潮流が時に応じて流行したとしても)我々のなかに形而上学的探求へ献身するものが増えていることは満足である。この五十年に、イギリスの哲学的思考の一般的レベルがどれだけ上がったかは信じられぬほどである。せいぜい後できるのは、散らばった書き物を集め、もはや書き直す望みのない初期の本とともに、再出版するくらいだろう。