哲学

ブラッドリー『真理と実在に関するエッセイ』 第一章 序 9

対象の欠如、ましてや対象の探求は、ある意味において、その対象の知識を含む。もしそれをいつ所持し、いつ獲得していないのかを語ることができないとすると、彼は決してそれを追い求めることはないだろう。追求において、またそれによって、正反対の想定に…

ブラッドリー『真理と実在に関するエッセイ』 第一章 序 8

確かにその本性から、哲学はもっとも高次のものと交渉し、それ自体が間違っているのでなければ、その固有の性格にそれらのことを認めねばならない。そうした親密さが精神に何らかの影響を与えるのは間違いない。しかし、どんな場合に、その力がどれだけある…

ブラッドリー『真理と実在に関するエッセイ』 第一章 序 7

芸術や哲学に対して、自らの限界を認めることは、道徳にとっては難しいことであり、宗教にとっては余計に困難である。*ここではこれ以上この問題に立ち入ることなく、哲学の領域に侵入することは、健全な道徳や宗教の関心とは反するという意見だけは表明し…

ブラッドリー『真理と実在に関するエッセイ』 第一章 序 6

(e)我々がこうした抽象を追い払ったとき、最終的に我々は究極的な善をあるより高次な生の全体性に置くことに導かれる。個人間での愛や友情、家族やそれより大きな集団に見いだされる社会的結合に、我々は最終的に具体的ですべてを包括する善に達すると主張…

ブラッドリー『真理と実在に関するエッセイ』 第一章 序 5

また、実践にはよく知られた不整合性がある。私は実践を実現化されていない観念に含み、依存するものとする。それは「そうなるべき」と「いまだ」という観念を含んでおり、実際に実行されるべき何かでるが、実行されるやいなや、直ちに実践的であることを終…

ブラッドリー『真理と実在に関するエッセイ』 第一章 序 4

(a)最初に快楽をとれば、すぐにそれが善だという印象を与えられるだろう。原因がなんであれ、それが激しく純粋なものである限り、それは我々に絶対的な実在の感覚を与えるように思われる。しかし、他方において、快楽の純粋さについての疑問をおいておくと…

ブラッドリー『真理と実在に関するエッセイ』 第一章 序 3

こうした反省から二つの結論に導かれる。一方において、生は、それが善である限りにおいて、それ自体正当化される、他方においては、完璧な善というのは見いだされない。それゆえ、我々は我々の性質の一側面を至上のものとし、他の側面はそれを助け、その規…

ブラッドリー『真理と実在に関するエッセイ』 第一章 序 2

端的に言って、すべての思考は、暗黙のうちだろうと明らかにされようと、ある種の検証を受け入れいることを同意することにある。別の言葉で言えば、ある種の満足を追求することにあり、そうした追求に関与しないかぎりは、議論は誰にも訴えかけることはない…

ブラッドリー『真理と実在に関するエッセイ』 第一章 序 1

*生のあらゆる側面は、結局のところ、善に従属する、つまり、善を非常に広い意味にとればである。生のあらゆるところで、我々は、多かれ少なかれ、なぜという疑問を問うよう余儀なくされるように思われる、この問いに対する答えは、満足という事実、不安が…

ブラッドリー『真理と実在に関するエッセイ』 前書き

この本は、主に『マインド』に掲載された論文からなっている。『哲学的レヴュー』に最初に発表されたものも加えられ、これまで発表されていないものもいくつかある。三編の例外を除き、後はここ五、六年のものである。章立てにされているのは、言及するとき…

マクタガート『存在の本性』(途中まで)

第一巻 序 第一章 序 1.この本で私は、存在するすべてのもの、あるいは、全体としての存在に属する特徴についてなにが明らかにできるか考えてみたい。また、我々に経験的に知られている存在の多様な側面に関する一般的特徴から、理論的、実際的などんな帰…

H・G・ルイス『伝記的哲学史』(途中まで)

第一部 古代哲学 第一時代 宇宙の本性についての思弁 第一章 物理学者 §1.タレス その生涯の出来事、哲学の正確な教義は神秘に包まれ、伝説の領域に属しているが、にもかかわらず、タレスはギリシャの思弁の父祖にあたると正当に考えられる。彼は一時代を…

ジャン・ヴァール『イギリスとアメリカにおける多元論哲学』(途中まで)

第一巻 イギリスとアメリカの一元論 イギリスの大学教育が、ドイツ形而上学の観念論的一元論の影響下に入ったのは、影響そのものは十九世紀の初頭から感じられてきたが、主に1870年以降である。コールリッジはシェリングに従い、「奇跡的な全者」、「万…